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【シベリア鉄道】飛ばずに大阪〜パリ #3

中露国際列車

ユースホステルを後にし、さっそく北京駅へとむかった。これからこの旅のハイライトである、「北京発 ウランバートル経由 モスクワ行き」の国際列車に乗車する。いわゆる「シベリア鉄道」である。あまりにも壮大な経路ではないか。おもわず胸が躍った。

にぎわう北京駅前=2017年3月8日、北京市(中国)

K3次列車

一般的にシベリア鉄道といえば、ロシア極東の最大都市ウラジオストクからモスクワまで至るルートが有名である。しかし、実は中国国内を始発とする列車も運行されている。そのうちのひとつが、今から乗車する「K3次」の列車番号が附番された列車である。この列車は、中国・モンゴル・ロシアと3か国を経由しモスクワへむかう。

グーグルアースより 筆者加筆

K3次列車とは、北京からモンゴルの首都ウランバートルを経由し、モスクワへと至る中露国際列車である。週に1本運行されており(2017年当時)、5泊6日をかけて約7800kmを走破する。東洋から西洋へと移り変わるさまを楽しむことができ、外国人に人気が高い列車である。

保安検査をすませ、駅構内に入場し、売店でカップ麺を購入した。朝食で食べる用と、列車内で小腹がすいたとき用に大量に買い込んだ。発車の30分前には改札が始まり、プラットホームへと出た。

改札。案内表示に「モスクワ」の文字が躍る=2017年3月8日、北京市(中国)

乗車

ホームに出ると目の前には長編成の客車列車がすでに入線しており、乗客を今か今かと待ちかまえていた。客車のドアはすでに開け放たれており、ドアの前では車掌が乗車券を確認していた。車掌は1両につき1人乗務しており、あらかじめ乗車券で指定された車両からでないと乗り込むことができないようになっている。この車掌とはモスクワまでともにすることとなる。

北京駅のプラットホームはとても広い造りとなっており、ホームの端には、なんと自動車が停められていた。要人が車で乗りつけて、そのまま列車に乗り換えることができるのかもしれない。ひとしきり記念撮影を堪能し、11時20分、列車は定刻で北京駅のホームを離れた。

私が予約した部屋は、「硬臥」とよばれる部屋である。日本風に呼ぶと「2等寝台」であり、4人1部屋で2段ベッドがついたコンパートメントである。一応相部屋ではあるのだが、自分の部屋には、モスクワ到着まで誰も乗り込んでこなかった。ほかの部屋を見回すと、欧米系の乗客でにぎわっていた。

硬臥車の利用者層といえば、普通は地元の人間が日常利用するものだと思っていた。しかし、この列車に関していえばそんなことはなかった。圧の強い中国人乗客との、ヒリヒリするようなコミュニケーションができると期待していたが、拍子抜けしてしまった。

北京→エレン

北京駅を出発してしばらくすると、列車は豊沙線に入り、トンネルが連続する山岳区間へと突入していった。トンネルとトンネルの間に垣間見える景色は、黄土色の岩肌がむき出しになった山々がつづいていた。永定河がつくった渓谷のあいだを縫うように走っていく。

しかし、地形を無視するかのように、線路は直線的に貫いている。トンネルを出たかと思えば、また次のトンネルだ。最初は面白かったが、あまりにもトンネルが続いていくので飽きてしまった。

車内探検をしてみた。ひとまず編成の端から端までみてまわった。途中駅で客車の増解結があるものの、両数は、最長で機関車1両・客車13両の14両編成であった。特等寝台車である「高級軟臥車」と私が泊まる「硬臥車」、そのほかに食堂車と荷物車を連結している。

編成の最後部に行った。客車の貫通扉から眺める後面展望は、客車列車ならではだろう。車内探検をしていると、どうしても営業時間外の食堂車を通らなくてはならなかった。そこでは、係員たちが談笑していた。そんな場所に、車内探検と称して徘徊している挙動不審な外国人がズカズカ入ってしまったため、冷たい視線を向けられてしまった。

食堂車

自分の部屋でまったりしていると、検察に来た車掌から、昼食と夕食のチケットが配られた。無料でということでさっそく昼食を食べに食堂車へ向かった。しかし、すでに多くの乗客で満員だった。敢え無く断念し、北京駅で買ったカップ麺をすすることになった。

朝昼晩3食カップ麺はセルフ人権侵害である。夕食にこのチケットを使うことにした。早めに食堂車に向かうと、係員に相席のテーブルへまわされた。相席になったおっさん、中国鉄路の制服をラフに着こなしている。どう見ても車掌だ。乗客と鉄道関係者が同じ時間に同じ車両でご飯を食べるので、そりゃ混むわ・・・。

ちなみに、出された料理は、白米・野菜炒め・肉団子である。見た目通りの味だった。カップ麺すするくらいならこれ食ったほうがいい。そんなレベルである。

中蒙国境へ

いつのまにか、車窓は荒涼な大地が広がっていた。複線電化だったのが単線非電化となり、いよいよ内モンゴルといった景色だ。22時前には中蒙国境の駅・二連(エレン)に着いた。ここから先はモンゴル領内にはいるため出国検査がおこなわれた。乗客は列車に乗ったまま、検査官数名が1部屋ずつまわり、荷物や所持金の検査をしていた。

この駅の停車時間は約3時間確保されていた。出国検査と、客車の台車を交換する作業があるためだ。列車はこのままモンゴル国内に乗り入れていくのだが、中国とモンゴルでは線路の幅が異なるため、それぞれの幅に対応した台車に履き替えなければならない。

まず、車両を1両ずつ切り離す。そして、ジャッキで車両を持ち上げ、台車を交換するのだ。その間、乗客は車外に出ることはできない。お客をのっけたままジャッキアップするのは、安全面の観点からどうかと思わなくもないが、そのおかげで、交換作業を間近で見学することができた。自分の乗っている車両が宙に浮き、その下をゴロゴロ台車が転がっていく様は、なんとも面白かった。

こうした一連の儀式ののち、無事モンゴルに入国することができた。そしてモンゴル側の国境駅であるザミンウード駅においても、出国検査と同様に入国検査が行われた。この時すでに日付をまたいでいる。検査を終えたころには深夜2時をとっくに過ぎていた。この間、一睡もできないのがつらかった。


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