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かくれんぼ
陽の光、アスレチック、砂ぼこり。故郷のA公園には、大人になって自己肯定感を叩き潰される前の、輝かしい幼少期が詰まっている。そのはずだった。
「ここ、何?」
六歳の甥が発する声が、廃墟のような公園に響く。はっとするほど青かった滑り台には、茶色のさびがグロテスクにまとわりついている。シーソーは黒と黄の『使用禁止』のガムテープで覆われていた。十数年の歳月は、あらゆる暴力を遊具に浴びせてきたらしい。
「私が小学生の頃、よく来た公園だったんだよ……」
一月の寒空に、声は空しく溶けていった。
この公園はまるで私のようだった。何にでもなれると信じていた少女が、くたびれたアラサーになったように。私は大学進学を機に名古屋から上京し、大手企業に就職をして、上司と合わずに休職に至り、実家へ身を寄せている。人生に疲れはてたシングルマザ―の姉も、似たような境遇だった。彼女は両親の目と鼻の先に住んでおり、隙あらば甥の世話を押し付けてくる。今日も例外ではなかった。
「別のとこ行こうか」
もう記憶を上書したくない。好きな男の子に見込みのない告白をし、ソフトボールの試合に負けて泣きに来た、淡くも美しい記憶に包まれた場所にしておきたかった。
「ねえ、聞いてる?」
私は甥がいるはずの、左斜め下に視線を向けた。彼は消えていた。
「くそ、どこ行ったんだ……」
遊具は冷ややかに私の声を聞き流している。姉から聞かされていた愚痴を思い出した。年長男児とは卸しがたいクソガキで、合意なしにかくれんぼを始めると言う。
「あと探してないのは、ここだけか」
私は公園の最奥に足を運び、ある遊具を見上げた。そこには木製のアスレチックがあった。
小学生の頃は「これを攻略できた奴はすごい」と言われていた。ターザンロープは子供の手が届く範囲になく、周りの柵から飛び乗らなくてはならない。ネットを伝って上る角度はほぼ直角で、手を離すと落下してしまう。要するに設計ミスだったのだ。無能が遊具を創っても許される空気感が、あの時分には漂っていた。
「ここで何してるの?」
振り向くと、いつの間にか女の子が立っていた。
彼女は甥の少し上、小学生低学年くらいに見える。赤いワンピースを着て、髪の毛のおさげはきっちりと編み込まれている。全体的にどこか古めかしいが、洋服にも靴下にも一流子供服のロゴが入っていた。公園にこの格好で来るとは、母親から存分に愛情を与えられているのだろう。親から期待をされている子供に授けられる、自信に満ちた目も一揃い持っていた。ラプンツェルの魔女を思い出しながら、私は言った。
「男の子と一緒に来たんだけど、はぐれちゃったんだ」
「おばさんの子?」
二十七歳にして二度も「おばさん」と呼ばれ、眩暈を覚えたが、平静を装って返した。
「違うよ」
「シッターさん?」
「それも違う」
「じゃあ、おしごとは?」
私は女の子を見つめた。
「しばらく休んでる」
「どうして?」
「風邪を引いたからね」
「ダメじゃない。外に出ちゃ」
「大丈夫。心の風邪だから」
大丈夫じゃなかった日々が、胃の痛みを誘発させようと押し寄せてくる。妙に明るい声で女の子は言った。
「ねえ。これ、てっぺんまで上れる?」
女の子はアスレチックを指さした。
「さあ」
「あたし、何回やってもできないの」
私もできた試しはなかった。登れないまま大人になったのだ。しかし身体が大きくなった今ならできるかもしれない。私はネットに手をかけた。
「やった! できた!」
拍子抜けするほど安々と登ることができ、頂上で叫んだ声が公園に響き渡った。見渡すと、実家の屋根も目に入った。かつて世界の全てだった町は、情けないほど小さく感じた。
「めっちゃ眺め良い!」
「おばさん、すごい!」
下から女の子の興奮が伝わる。彼女は親指をグッと上に向けて、片目をつぶった。もう片方の目も閉じかかっておりい、彼女がウインクを練習中であることを告げていた。
「……え?」
母親の呪縛、公園という避難場所、下手くそなウインク。あの頃の私が、そこに居た。
急いで下に降りようとして、手と足をちぐはぐに動かした。気付いた頃には遅かった。急いでいても、順番通りに。無理してはだめだ。でないと、真っ逆さまに落ちてしまう。
後頭部を襲った痛みと、口に入り込んできた砂ぼこりが、地面に落下したのだと教えてくれた。哀しく蒼い色をした空が歪む。公園の古びた時計は止まっている。十数年、時を刻んでいないようだ。それでも許されている。私は目を閉じた。もう、どうだって良い。
目をあけると、甥の顔が飛び込んできた。
「ねえ! あんなことできるなんて、僕知らなかったよ!」
彼は興奮した様子で、アスレチックを指さした。
「あんな大きくて怖そうなの上ってて、すごかったよ!」
「は、ははは……」
私はアスレチックを見つめた。小学生の頃にできなかったことが、今はできる。それで充分なのだ。もうこれ以上、大人になれない。名古屋から東京に出て行ったから、絶対に成功しなくてはいけないわけじゃない。生きて、年を重ねる。それだけで良いのだ。
私へ称賛を続ける甥の頭を、ぐしゃぐしゃと撫でた。彼の目には照れたような、少女のような瞳をした私が映っていた。
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