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会社は経営者に似せて穴を掘る

松下幸之助 一日一話
12月25日 経営者次第

昔の日本の言葉に「頭がまわらなければ尾もまわらない」というのがあるが、私は、経営者が100人なら100人の人を緊張させて、大いに成果を上げようと思えば、その人の活動が、端の人がみて「気の毒な」と思うくらいにならないといけないと思う。「うちのおやじ、もう一生懸命にやっとる。気の毒や」という感じが起これば、全部が一致団結して働くだろう。けれどもそうでない限りは、経営者の活動の程度に応じてみな働くだろうと思う。

人間というのはそんなものである。決してぼろいことはない。自分はタバコをくわえて遊んでいながら「働け」と言っても、それは働かない。私はそういうふうに考えてやってきた。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁は、上記の「経営者次第」というお話と同様に、「社長が動かなければ、社員は動かない。社員を動かす「特別な方法」などない。自分が動く。それを見て社員が動く。そういうなかで良好な人間関係も築かれていく。」とした上で著書「社長になる人に知っておいてほしいこと」(2009)にて言葉を換え以下のように述べています。

――従業員の勤労意欲をいかにして盛り上げればよいのかで頭を痛めております。何かそのためのよい方法があればお教えいただきたいのですが・・・。

松下 昔の日本に「頭回らなければ尾も回らん」という言葉があるんですよ。だから百人の人を緊張させて、大いに成果をあげようと思えば、あなたの活動をはたの人が見て”気の毒な”というようにならんといかんでしょうな。
 うちの社長はもう一所懸命にやっている、”もう気の毒や”という感じが社員のあいだに起これば、全部が一致団結して働くでしょう。けど、そうでないかぎりは、あなたの活動の程度にみな働くでしょう。(笑)私はそう思いますね。人間というのはそんなものです。
 だから決してぼろいことはないわけですね。自分はタバコくわえて遊んでいて、「働け」と言うたって、そら働きよらんですよ。(笑)私はそう考えてやってきました。
 それともう一つは、あなた自身が働きがいを覚えることが大事ですね。自分が雇っている人がほんとうによくやってくれる、もったいないほどよくやってくれる、自分もうっかりしてられんわい、というような気分があなたに起こるということも、それとまた相対した一つの姿でしょうな。そういうことによって人間関係ができていく。その人間関係によって、いまあなたが希望されるようなことが達成されるのではないかと思いますね。
 そのための一つの方法として、あなたが意見を求めるということをしきりにやらないといかんですね。面倒やけどいっぺんあの男の意見も聞いてみようと。「こういう問題、きみどう思うか」と、立ち話でもいいと思うんです。
 つまり、皆に相談して、皆がそれに関心をもってやるという方法がいいのではないかと思いますね。百人ぐらいであれば私はそれができると思うんです。
 たくさんになるとちょっとむずかしいですが、それをやるのに百人ぐらいがいちばん使いごろやないですか。そういうようにまあ感じますがね。特に方法というのはないと思います。あなた次第だと思いますね。(1962)
(松下幸之助著「社長になる人に知っておいてほしいこと」より)

上記にある、はたの人が見て気の毒に思う経営者の活動とは、具体的にどのような姿なのでしょうか。

中国古典の大家である「ん~、守屋です。」でおなじみの、守屋洋先生は指導者に求められる条件は、大別すると以下の3つであると仰っています。

1.「経世済民」
2.「応対辞令」
3.「修己治人」


先ず、条件の1つ目の「経世済民」とは、「経済」の語源とされる言葉で、世を経(おさ)め民を済(すく)うという意味です。これは、中国古典の中心をなす政治に関する考え方です。

この「経世済民」のために求められる要素は、以下の3つであると守屋先生は仰っています。

1つ目の要素が、

「天下の憂(うれ)いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」(宋名臣言行録)

嫌なことを先にやっておいて、残りの時間は楽しむという優先順位付けの意味ではなく、憂うべき事態は人々が気づくまえに察知して解決に奔走し、楽しみごとは人々に楽しんでもらってから、自分はその後で楽しむという意味です。略すと「先憂後楽」となり、宋代の范仲淹(はんちゅうえん)という政治家が書いた「岳陽楼記(がくようろうのき)」と題する文章の中に出てくる言葉です。

「廟堂の高きにおいては則ちその民を憂い、江湖(こうこ)の遠きに処(お)りては則ちその君を憂う。これ進むもまた憂い、退くもまた、憂う。然(しか)らば則ち何れの時にか楽しまんや。それ必ず天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむと曰(いわ)んか」

これは范仲淹が示した指導者のあるべき姿であると言えます。

2つ目の要素が、

「速ならんを欲することなかれ。小利を見ることなかれ。」(論語)

焦らずじっくり腰を据えて取り掛かり、目の前の小さな利益に惑わされるなという意味です。つまりは、長期的な視野を持ち、大局的な判断を行うということです。

3つ目の要素が、

「国を治むるの道は、寛猛(かんもう)、中を得るに在り」(宋名臣言行録)

名君の誉れ高い宋の太宗が語った言葉であり、国を治めるコツは、「寛」とはゆるやかな面、「猛」とは厳しい面。この2つの面がほどよくバランスがとれている。「寛」に方寄ってもいけないし、「猛」に方寄ってもいけない。それが国を治めていく秘訣である。という意味です。


次に、条件の2つ目の「応対辞令」とは、人と会って話をする時の受け答えや言葉づかいという意味です。社会生活の諸々の場における人間関係にどう対処するかの方法であり、安岡正篤先生は「中国古典とは応対辞令の学である」と仰っていますが、中国古典では特に「戦国策」などに多く書かれています。

この「応対辞令」のために求められる要素は、以下の3つであると守屋先生は仰っています。

1つ目の要素が、

「即(つ)かず離れず」(菜根譚)

世俗と同調してもいけないし、とはいえ離れすぎてもいけない。これが世渡りのコツである。人から嫌われてもいけないし、とはいえ喜ばせることばかり考えてもいけない。という意味です。くっつきすぎず、離れすぎない距離感が人間関係でもよいものであり、これが事業を経営するコツになると言えます。

2つ目の要素が、

「君子の交わりは淡きこと水の若し、小人の交わりは甘きこと醴(れい:甘酒)の如し。」(荘子)

水のように淡々とした交わりは、飽きが来ないので長続きする。ベタベタとまとわりつくようなつき合いは、くっつくのも早いが、別れるのもまた早いのだという意味です。

守屋先生は、これを人間関係の「間合い」を説いたものと解釈され、この間合いは、相手に対する思いやりといい替えることもできそうだと仰っています。

上記二つの要素は、人間関係だけでなく国と国の付き合いにも当てはまるものです。

3つ目の要素が、

「一飯(いっぱん)の徳にも必ず償(つぐな)い、 睚眥(がいさい)の怨(うらみ)にも必ず報(むく)ゆ」(史記)

一度飯を恵んでもらったその程度の「恩」にも必ずお返しをし、ちょっと睨まれたくらいの僅かな「怨み」にも必ず仕返しをするという意味です。中国人は、恩に対しても怨に対しても淡泊ではないという国民性が背景にある言葉です。

更に、「恩」について考えるならば、人間は一人では生きていけず、色々な人の恩を受けながら成長していくものであり、その恩にどう対応すればいいのかという人生作法を身に付ける必要があると言えます。具体的には、「受けた恩は忘れず、いつかお返しをする」。そして、「人に与えた恩は忘れるようにする」。しかしこの2つが逆になり、「受けた恩はすぐ忘れて、与えた恩はいつまでも覚えている」となることが多いと言えます。

そして、「怨み」について考えるならば、日本人は淡泊な民族と言われており謝罪すれば許してもらえると思いがちだが、他の国は同じではないということを理解しておく必要があります。

どんな些細な恩義でも、受けた恩義には必ずお返しをする(返礼)というのは、基本的な人生作法の一つであると言えます。


最後に、条件の3つ目の「修己治人」とは、個人の修養から始まり家庭の道徳、社会の倫理を正し、天下国家を収めるという意味です。つまりは、上に立つものがまず徳を身に着けそれを下々に及ぼしていくという意味であり、現代風にいうならば、部下を使う立場の人は、まずは自分を磨くことという意味になります。

この「修己治人」のために求められる要素は、以下の2つであると守屋先生は仰っています。

1つ目の要素が、

「士は以(もっ)て弘毅(こうき)ならざる可(べ)からず 」(論語)

上に立つ人間というのは、広い視野と強い意志力を持たないといけないという意味です。

2つ目の要素が、

「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(論語)

立派な人物は自分をしっかり持った上で周りと仲良くするが、つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないという意味です。小人の姿が「付和雷同(ふわらいどう)」の語源とされる言葉です。


上記の守屋先生が示す指導者に求められる「経世済民」「応対辞令」「修己治人」の3つの条件を満たすことで、自分は経営者だから偉いとタバコをくわえて遊んでいるような驕りある人物ではなく、この人は「気の毒に思えるようなことを率先してやる徳のある偉い人」だから経営者に相応しい人物となり、部下たちが一致団結して働こうとなるのでしょう。


翻って、稲盛和夫さんは、会社と経営者の関係性は「蟹は甲羅に似せて穴を掘る。」ようなものであり、経営者の器以上に会社は大きくならない、とした上で著書「人生の王道」(2007)にて以下のように述べています。

…トップに立つ人間には、いささかの私心も許されないのです。基本的に個人という立場はあり得ないのです。トップの「私心」が露(あら)わになったとき、組織はダメになってしまうのです。常に会社に思いを馳せることができるような人、いわば自己犠牲を厭わないでできるような人でなければ、トップになってはならない…
(稲盛和夫さん著「人生の王道」より)

つまりは、経営者の普段の行いや、人格や器の大きさに、社員は正直に反応を示すものであり、「頭が腐れば尾も腐る」、換言すると、「会社は頭から腐る」ので「人の上に立つリーダーは私利私欲を捨てて正道を歩め」ということになります。

経営者やリーダーであるならば、「自らが腐ることで組織が腐るのだ」、或いは「組織が既に腐っているならば自分が腐っていることが原因であるのだ」ということを認識する必要もあると言えます。

先ずは、守屋先生の指導者に求められる3つの条件を念頭においた上で、曹洞宗の宮崎奕保禅師の言葉である「ああせよと、口で言うよりこうせよと、して見せるこそ教えなり。」や、山本五十六元帥の言葉である「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」の実践こそが、経営者に求められる姿であると私は考えています。



中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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