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令和維新の志士として宇宙の開化に努力する

松下幸之助 一日一話
12月17日 昭和維新の志士として

いまから百年ほど前に明治維新というものがあり、そしてその後、日本の姿が世界各国から認識され、評価されるようにまでなりました。しかし今日に至って、日本はまた大きな転換期を迎えていると思います。また日本ばかりでなく、目を転じて世界をみてみると、世界の情勢も必ずしも安定しているとは言えません。

そういう情勢を考えるとき、私はいまは“昭和維新”のときであると考えねばならないのではないかと思います。明治維新は日本の開化であった、昭和維新は世界の開化に努力する時期であると思うのです。そしてわれわれ日本人が、昭和維新の志士を買ってでなくてはならないのではないかと思うのです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁は、世界の開化に努力する昭和維新に必要な志士について、別の場面にて具体的に以下のように述べています。

―― 塾長の考えておられるリーダー像に関してなんですけれども、たとえば明治維新の場合ですと、たくさんの人々がそれを動かしていったというよりも、一部の傑出した人たちが、民衆を率いて、明治維新を起こしたと言えると思うんです。その面から考えてみますと、この政経塾の場合、毎年三十名ずつ新しい人を入れて、それでその人たちをどんどん社会に送り出していくということになりますと、明治維新の場合に現われてきたリーダーとは違ったかたちのリーダーというものを考えておられるんじゃないかという気がするわけです。そういうかたちで社会を動かしていくことが、ほんとうに可能なのかどうかということをお伺いしたいのですが。

松下 明治維新の志士というのは何人ぐらいか知らんけれども、たとえば吉田松陰な、あの一派はわずか一握りや。しかし各藩で志を同じくする人は、何千人とおった。吉田松陰が考えていたようなことと共通したことを、日本人としてみんな考えておったわけや。
 京都の東山の霊山(りょうぜん)というところに、明治維新の志士を祀ってある。そこに、志士の墓が五百なんぼあるんや。それを祀るために、十年ほど前に「霊山顕彰会」という会をつくって、ぼくはその会長になった。理事長は、ここの理事をやっている塚本幸一さん(当時ワコール社長)や。それで、このあいだ調べてみたら、その墓に入っている志士たちはほとんど全県から出ている。君の言うように少数の人によって維新をやったんやなくして、もう澎湃(ほうはい)として各地から出てきたわけや。松陰一人じゃないわけや。明治維新という時期には、志をもつ者は全県から出ている。
 だから、政経塾だけがやるんやと思ったら、まちがいや。政経塾はそういうことの ”言い出しべえ” や。君らは ”言い出しべえ” の一人になる。あと、こういう塾やなくても、塾に準ずるような考えをもつ人が全県に出てくるわけや。

―― そういう志士の人たちを率いていくリーダーというのは、そんなにたくさんの数は必要でないと思うのですが、そうではないのでしょうか。

松下 いや君、何千人もいるで、リーダーは。あの時分の日本の総合力というものに比べて、今の日本はそれに数千倍するほどの力になっておるわけや。人の数は数倍ぐらいにしかなってないけれども、内容は明治初年と比べて、今は経済力でも何千倍となっている。人間も増えているけれども、職業の種類も増えているし、すべてのものが増えているからな。だから少人数のリーダーでは足りない。政経塾は一つの ”言い出しべえ” になって、政経塾に準ずるようなものが、おそらくまだまだできてくるやろう。ぼくはそう思っている。だから、政経塾はしっかりやらないといかん。

―― その場合に、それぞれの人が必ずしも同じ方向を向かない考え方をもっている場合がおそらくこれからどんどん出てくると思います。いろんな立場の人々が、全然違う方向で自分の理想を求めていくというようなことになると、全体として、いい方向に向かっていくとは思えないのですが。

松下 それは、多少の幅はあるわ。幅が広くなってもいいわけや。諸君にしても二十三人いるけれども、みんな一つずつ、それぞれに幅をもっているわな。
 しかし、何かお互いに期するものがないと、これは頼りないからね。できるできんは別として、何かあると。何かもつということがないと頼りないし、第一それでは人を説得することもできない。
(1980年7月19日)

(松下幸之助著「リーダーになる人に知っておいてほしいこと」より)

つまりは、維新に必要な志士とは、一部の限られた人間ではなく、松下翁を含めた「言い出しべえ」に共感する何千人もの志士たちが必要であると仰っています。

志士に求められる条件が分かった上で、改めて、明治維新を成功させた要因とは何だったのかについて考える必要があると言えます。昭和の先哲である陽明学者安岡正篤先生は、著書「運命を創る」(1985)にて、明治維新を成功させた要因として、以下の3つを挙げています。
要約しますと、

・江戸時代には心ある学者や先人が多く存在し、教学と修練によって、学識や識見を有する人物が育ち、思いきった政策の断行が出来たこと。
・徳川幕府は、大小ニ百六十余藩による連邦組織によって形成されていたが、江戸は頺廃した田舎侍や田舎役人によって組織されていた一方で、地方の田舎侍たちは充実した教学が生かされ優秀だったこと。
・武士階級における教育や修練、その生活を通して、日本女性の教育や躾(人間形成)というものが非常に優れていたため。優れた女性たちが幕府の旗本や諸藩の江戸詰めのだらしのない侍どもの頺廃堕落の弱点を救って、権威を支えていた。

となります。簡単には、「江戸の充実した教育力、充実した田舎武士の力、江戸の頺廃した田舎侍を支えた女性の力」ということです。

改めて、明治維新が1868年に発生したとするならば、今から151年ほど前ということになり、松下翁が「言い出しべえ」であった昭和の時代から平成、令和へと既に約50年ほど経過しています。この間に、日本には維新を謳う政治団体等も登場し、その姿は一見すると充実した力がある田舎武士のように見えたものの、実際のところは「戦争必要発言をするような潮流を利用しただけの間抜けな議員たち」も多く所属しており、人間形成に必要となる教育力が不足していたようでもあります。

明治の時代における維新を成功させた3つの要因を、仮に令和の現代にあてはめて考えるならば、先ず昭和の時代には、安岡正篤先生や森信三先生を筆頭に心ある学者や先人が多く存在し、学識や識見を有する人物たちが育つ環境は整っていたと言えますが、平成の時代の教学はどうだったでしょうか。次に、昭和から平成の時代は、政府の言いなりに動く思考力を失った官僚たちによる政治スタイルというものが顕著であり、これは徳川幕府の終焉時期にある意味で似ていると言えます。地方公務員たちは、思考力を失わず維新を支える力があるでしょうか。そして、日本において女性参政権が行使された1946年以降は、特定階級に限らず日本女性の誰しもが均等に教育や躾(人間形成)というものが受けられる機会を得たことにより、優れた女性たちが増えたとも言えます。現在のだらしない政府を支えているのは、その周辺にいる優れた女性たちであると言っても過言ではない側面も見て取れます。

上記における3つの条件を照らし合わせる限りでは、令和維新を成功へ導く条件を60%~70%は満たしていると言えるのではないでしょうか。

翻って、明治維新は日本の開化であり、昭和維新は世界の開化に努力する時期であったとするならば、平成維新は情報革命の開化と表現するのが適切かもしれません。ITの開化により、情報の非対称性がなくなり、世界がフラットに繋がりました。更に、令和維新とは何の開化となるでしょうか。宇宙の開化に努力する時期であると言えるのではないでしょうか。仮に、宇宙の開化に努力する時期であるとするならば、私たち日本人が令和維新の志士を買って出なくてはならないのではないかと私は考えます。そして、令和維新の志士たちが宇宙の開化に努力することは、世界の政治だけではなく、日本の政治をも維新していくことに繋がっていくのであると私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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