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過ちとは信用を発展させる好機である

松下幸之助 一日一話
12月21日 信用は得難く失いやすい

われわれが何か事を成していく場合、信用というものはきわめて大事である。いわば無形の力、無形の富と言うことができよう。

けれどもそれは一朝一夕で得られるものではない。長年にわたるあやまりのない、誠実な行ないの積み重ねがあってはじめて、しだいしだいに養われていくものであろう。

しかしそうして得られた信用も失われるときは早いものである。昔であれば、少々のあやまちがあっても、過去に培われた信用によって、ただちに信用の失墜とはならなかったかも知れない。しかしちょっとした失敗でも致命的になりかねないのが、情報が一瞬にして世界のすみずみまで届く今日という時代である。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁が仰る「無形の力、無形の富」という一朝一夕で得られるものではない「信用」とは、具体的にはどのようなものなのでしょうか。松下翁は、著書「物の見方考え方」(2001)にて以下のように述べています。

…新しい店を開いて信用を得どんどん発展するのには、それだけの実――つまり発展する何物かを持っているわけだ。そうであってはじめて、成功する。
 そういう信用の基礎になる「実」というものが、その商品なり、店になければだめなわけだ。信用というものは、築こうと思って築けるものではない。つまり、その人が誠実に、商売なり自分の勤めを大事にしていくことが積み重なって、自然に信用を得るというか、生れるもの、そういうものではないかと思う。

 利益にしても、利益を持ってやれ、という考えからではなくして、これはひとつあの人にすすめてあげよう、お使いになれば喜んでいただけるだろうという気持ちで、商売に精を出すところから、おのずから適正な利益をも頂戴できる。その利益が自然に積み重なって儲け、というものになるのだ。信用というものを、私はそのように考えている。

 一つの物を売ったら、それが果たしてうまく使われているだろうか、一度訪ねてあげたいなあ、ということで訪問する。…

…そういうように、誠意とでもいおうか、これが自然にお客様に喜ばれ、そして信用されるということになるのである。私が商売をはじめたころ、私はそれをやった。とにかく、そういうことを実際に行なうことによって、お客様には自然に喜ばれ、喜ばれることによって信用が積み重ねられていくものではないかと思う。
(松下幸之助著「物の見方考え方」より)

つまり「信用」とは、基礎に「実」が必要である。「実」とは、商品やお店にある「誠実さ」。その「誠実さ」を積み重ねることで、ものごとが「発展」していく。ものごとの一つである「信用」もこれに当てはまるということでしょう。

更に、「信用」を得るために必要となる「誠実な行ないの積み重ね」とは具体的にどういうことなのかについて、松下翁がご自身の実体験を振り返り以下のように述べています。

…私は、自分が歩んできた道から考えて、私どもの身近の青年にはそういうことを話しているんです。「夢を失ってはならんということが、よく本なんかに書いてあるから、それは一つの見方として私は否定はしない。否定はしないけれども、夢を見て現実を忘れるようなことがあってはならない。だから、やはりその日の仕事を大事にしていこうやないか。あすはあすの風が吹くやないか。それよりも、きょうをひとつ大事にしようやないか」ということを、私はときどき言うんです。自分の過去をふり返ってみて、私はそういうように思います。

 そういう、その日その日を大事にしていく商売、その日その日を大事にしていくところの仕事というものが積み重なってまいりますと、そこに一歩一歩の進歩というものが必ず積み上げられる。それがついに大きな仕事ともなり、大きな信用ともなり、またお得意先に喜んでもらえる立派な仕事ともなってくるんやないかという感じがいたします。
(松下幸之助著「人生と仕事について知っておいてほしいこと」より)

加えて、松下翁は「信用というものはきわめて大事である」ということに関して、以下のように述べています。

――”ヒト・モノ・カネ”すべてに劣る中小企業。きょうを維持するのにせいいっぱいだったところに不況による競争の激化で、われわれの経営はどうしょうもないところにまで追いつめられています。このようななか、われわれ中小企業はこれからどのように戦っていけばよいのでしょうか。

松下 何をもって不利と感ずるかですわな。元手の足りないことを嘆いておられるのか、店の大小、場所の良否に不足を言われているのか。どんな商売でも条件が100パーセント満たされて進められるということは、まずありえませんわな。不足を探したらどこにでもあり、きりがありませんでしょうな。

 しかも、そうした表に出てくる不足などは、実は商売の足を引っ張るような大きな問題やない。「店の大小よりは場所の良否、場所の良否よりも品のいかん」やし、「資金の少なきを憂うるのでなく、信用の足らざるを憂うべし」ということですわ。

 それよりも、「自分の行う販売がなければ社会は運転しない」という自信をもつことであり、「それだけの大きな責任を感ぜよ」ということが、しっかりした商売ができるかどうかの基本になりますな。景気がいいとか悪いとか、競争が激しくなったとか、あまり一つひとつの条件にふり回されてはいかんです。

 ぼくの考えでは、どんなに不景気のときにでも進出していく道はありますよ。むしろ不景気のときのほうが面白いとさえいえる。気を引き締めて真剣になるから、道もみつかるんですな。…

…「無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ」「店先をにぎやかにせよ。元気よく立ち働け。活気ある店に客は集まる」といった具合ですわ。商売の本道をふまえて、力強くがんばる、オロオロしない。一つひとつをキチンキチンと正しくやれば、おのずと道がついてくるんです。
(松下幸之助著「社長になる人に知っておいてほしいこと」より)

そして、信用を得るために必要となる「誠実な行ないを積み重ねる」ためにはどのような行ないが必要なのかに関して、以下のように述べています。

 賢い人が、賢いがゆえに失敗する、そんな例が世間にはたいへん多い。

 賢い人は、ともすれば批判が先に立って仕事に没入しきれないことが多い。だから、せっかくの知恵も生かされず、簡単な仕事もつい満足にできないで、世と人の信用を失ってしまう。

 ところが、一方に「バカの一つ覚え」といわれるぐらい仕事に熱心な人もいる。こういう人は、やはり仕事に一心不乱である。つまらないと見える仕事も、この人にとっては、いわば後生大事な仕事、それに全身全霊を打ちこんで精進する。しぜん、その人の持てる知恵は最上の形で働いて、それが仕事のうえに生きてくる。成功は、そこから生まれるという場合が非常に多い。

 仕事が成功するかしないかは第二のこと。要は仕事に没入することである。一心不乱になることである。そして後生大事にこの仕事に打ち込むことである。そこから、ものが生まれずして、いったい、どこから生まれよう。

 おたがいに、力及ばぬことを嘆くより先に、まず、後生大事に仕事に取り組んでいるかどうかを反省したい。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

他方で、「信用」を失う要因の一つとして「約束を守らないこと」について、以下のように述べています。

 この世の中、見方によっては、すべて人と人との約束のうえに成り立っているといってもよい。友人との待ち合わせの時間の約束から、金銭物品の貸借の約束、さらには社則や国家の法律というものも、おたがいの生活を秩序だて円滑にするための、一つの大事な約束ごとであるといってもよい。

 約束はおたがいの信用の上に花ひらく。だからこれらの約束を守るか守らないかは、人間の精神の高まりを示す一つのバロメーターであって、道義とか道徳というものも、こうしたところにその成果の如何をあらわしてくる。

 自分に都合が悪くなったからといって、平気で約束を破るというのは、これはまさに動物の世界。人間だけが、おたがいにかわした約束は、これをキチンと守るという天与の高い精神の働きを持っているのである。

 もしもこの精神が力弱くなったら、その影響は社会生活のあらゆる面に、物心ともの大きなマイナスとなってあらわれてくる。単に待ち合わせの時間をムダにするというようなことだけでは事はすまないであろう。おたがいに、約束は守りたい。
(松下幸之助著「道をひらく」より)


翻って、約2,500年前に書かれた兵法書である「孫子」には「信」の重要性を説く次のような言葉があります。

「将とは、智、信、仁、勇、厳なり」(孫子)

リーダーが身に付けなければならない条件とは、勝算のあるなしを見極める能力。嘘をつかない、約束したことは必ず守るということ。思いやりや心の温かさ。勇気や決断力。信賞必罰の厳しさである。という意味です。

更に、「易経」にもまた、「信」に関する次のような言葉があります。

「黙してこれを成し、言わずして信あるは、徳行に存す」(易経)

黙したまま発言などしなくても、仕事も上手くいくし、周りの信頼も集めることができる。それはほかでもない、その人に徳が備わっているからである。という意味です。

つまりは、仕事をする上では周りの信頼を得るように務めなければ、どんな仕事をしても上手くいかないということであり、周りの信頼を得るためには、能力を磨くことはもちろんですが、それ以上に徳を身に付けて人格の向上をはからなければならないということです。更に、リーダーであるならば、能力があるのは当たり前の条件であって、能力があるからと言って褒められない。無能であるならばリーダーの資格はない。有能であることを前提とした上で、人格を磨く努力を怠らないような人間でなければならないということです。

ICTが進化発展した現代においては、以前では露呈することがなかったと思われるような企業内の小さな過ちでさえも、SNSなどで一瞬にして世界の隅々まで拡散されるだけではなく、更には拡散された情報に尾ひれがつくことで、企業の信用が著しく失墜し致命傷になりかねない時代になっています。小さな過ちに注意をしつつも、仮に小さな過ちを犯してしまった際には、その過ちを直ちに認め改めるということも誠実な行ないの一つであり、それを積み重ねることを怠らなければ、逆に「過ちとは信用を発展させる好機である」と捉えることも出来るのではないかと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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