よりそう🍀😊のほほん母さん

自分と家族に寄り添って、日々の暮らしを楽しく穏やかに😊✨

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最近の記事

フォーカスする力と拡大の法則

意識するもの(フォーカスするもの)が拡大していく。 昔から引き寄せの法則とかで聞いていた言葉。 だから、お金も「ない」じゃなくて、今「ある」ものに意識を向けていくと、段々とお金がある状態が増えて金額も増えていく。 先日アドラーの目的論と原因論というものを学んで目的論(何のために?)と原因論(なぜ?)が 目的論は「ある」にフォーカスしてて原因論は「ない」にフォーカスしているのでは!?と気付いた💡 例えば、原因論だと遅刻した部下に上司は 「何故遅刻したんだ!?」 と原因を

    • 嫉妬したらチャーンス😄!!

      皆さん嫉妬した事あります? あんな良い車乗ってて何で⁈ 何であんなやつが可愛いがられるんだ!! 何であんなやつに先を越されるんだ!! 能力や持っている物など、対象は色々とありますよね。 ねたみ。そねみ。 ネガティブな感情がわいてきたら実は 本当の自分を知るチャーンス!! 感情は味わいきるのがポイント💡 ネガティブな事考えちゃダメだとか思って見ないようにしたり、味わう事をしないと、あなたの中にどんどん溜まっていって、無意識にエネルギーおもーくなるんですよ!!

      • 自己肯定感とツワリ

        最近やっと4人目のツワリがおさまりました。 10月の半ば位がピークで、カレーとパスタは食後かなり気分が悪くなって、グレープフルーツは良かったのに同じ柑橘でもみかんを食べた後は胃を鋭い爪で引き裂かれたような感じになったり、よだれつわりになったり、3、4回吐きましたが、軽い方でした。 そして気分的にも楽でした。 理由を考えてみると、全部自分でしなくても良い、きつい時は休んで良いと自分を許してたのか大きい気がします。 食事も外食したり、主人や子供達に手伝って作ってもらったり

        • 私の場合のツワリ症状と乗り切り方

          只今絶賛4人目ツワリ中です。 軽い方ですが、辛いです。 一人目から思い出して書いてみようと思います。 1人目の時は結婚してすぐ妊娠して、3ヶ月吐き続ける人生で1番きついツワリでした。 今思うと足の冷えやむくみともツワリのきつさが関係している気がします。 1人目の長女の時は結婚する前まで24時間勤務でほぼ立ちっぱなしで食事もコンビニとかで済ませる事も多く、足もパンパンにむくんでました。 出産は最高のデトックスと聞いた事があったけど、妊娠した時から始まるとは知らなかった。

        フォーカスする力と拡大の法則

          まさか⁉️

          9月の中旬ごろお腹の調子が悪くて 「何か変な物食べたっけ?」なんて考えてた。 その後も調子良かったり悪かったりが続いて、気が付いたら生理も来てなくて、夫に 「最近調子悪くて生理も来てないんだけど」 と伝えると 「怖い事言わないでよ」 って返された。夫は3人目を妊娠した時、 「申し訳ないけど、今回は堕ろそう」 妊娠した事を伝えた時そう言ったが、私は3人目までは許容範囲だったので、 「はぁ?簡単に堕ろすとか言うなよ‼️」 って言った覚えがある。 結局、夫も同意して

          自分の現在地を確認する

          自分の現在地を確認する。 やっとこの事を自分の中に落とし込んだ気がする。 私はもっと出来るはず。 未来はきっと良くなるはず。 自分に過度な期待をして自分を過大評価して、今の自分の実力を認めず、出来なくても、これは良い事の前兆かも?とか、今やる気がないだけで、未来ではきっと良い方に変わっていってるはず!とか、うやむやにして誤魔化して、バツをつけている今の自分をしっかり見てなかった‼️ 全然気付いてなかった‼️ おいっ‼️今頃かっ‼️笑笑。 先月、佐藤由美子先生の『シン

          自分の現在地を確認する

          あんたなんか産まなきゃ良かった‼️

          あんたなんか産まなきゃ良かった‼️ そんな事言われた事もなければ言った事もない。 でも言いたくなる人の気持ちが少しだけ分かる気がする。 初めての子育てで授乳もうまくいかず、眠れず、夫の帰りも遅く、ワンオペ状態。 休日に私がご飯作ってても子供がうんち💩したら 「俺うんち無理」 って私を呼びに来る。 二人目を2歳差で産んだ時も退院してすぐ出生届けを自分で運転して届けたり、上の子の世話やら何やらで動きすぎて、産後退院して数日後、朝食のお椀持つのも重く感じて、おかしいと思っ

          あんたなんか産まなきゃ良かった‼️

          私の不思議体験②

          20歳の頃、携帯の音楽を聴きながらボーっと歩いていて、横断歩道を渡りかけた時、不意に右肩をグイッと手でホールドされて、ひっぱられる感じがして、 「はい?」 後ろを振り向くと誰もいなかった。 その時ダンプトラックが私の目の前を凄い勢いで走り去って行った。 「えっ?」 私あのままボーっと横断歩道渡ってたら、今、死んでたよね⁉️⁉️⁉️ 凄い勢いで走り去って行ったのに、振り返っているあいだはスローモーションに見えた。 サーっと血の気が引いたと同時に今私の肩を引っ張って

          私の不思議体験①

           子供の頃お盆になると母の実家へよく遊びに行って泊まっていた。古い農家の家で、すぐ近くにお墓もあって、お参りしてご先祖様達が道に迷わない様に曲がる所に線香を立てながら家まで帰って行くのが毎年恒例行事だった。 毎年、仏間の横の広い部屋でお布団を並べて家族みんなで寝ていた。その部屋には遺影がずらーっと並んでいて、母にあの人は誰?その隣の人は?とよく聞いていた。 総祖父母に大叔父、祖父母などなど。  大叔父は祖母の兄で戦争で亡くなったらしい。 黒縁メガネで口髭とフサフサとした顎髭の

          自己受容への旅

          何でこんな事も出来ないの? やればできるのに何でやらないの? もっと努力したら? これはしょっちゅう自分に向けて心の中で言っていた言葉。いつも責めてばかり。 小学校の頃の習字の自由課題はいつも〇〇努力と書いていて、友人に 「いつも努力って書いてるね。」 と言われていたのを今でも覚えている。 私は昔から少しでも出来ていない所にこれでもかというほどに大きなバツをつけていた。 自分の出来ていない所、至らない所、ダメな所を全力で否定していた。その部分は受け入れられなかった。 でも

          うっせえわ‼️

          うっせぇうっせぇうっせぇわ 頭の出来が違うので問題はナシ 少し前に流行った曲で、今でもたまに耳にする。この曲を聴くと、若いなぁ。懐かしいなぁ。と思う。遠い目。笑笑 学生の時は頭が良ければそれで良いと思いがち。先生も成績が良いと少し校則違反してても大目に見てくれる所があったりした。 大人になって社会に出てみると、どうも頭の良さだけでは問題はナシとゆう事にはならないと悟ってくる。 中国の司馬光という人が書いた『資治通鑑』という本によると、人間の能力を「才」、人間性を「徳」と

          プール日和

          よく晴れた7月の日曜日の朝。 遅めの朝食を食べて夫が 「今日は久しぶりにプールしよっか?」 と言うと子供達は 「やったー‼️」 と飛び跳ねてはしゃいで喜んだ。 私も丁度プール日和だと思っていた。プール遊び用にクレイソープも用意して準備万端。 庭にプールを広げて一つは子供達が浮かべる位の大きさで、もう一つは小さめのビニールプール。プールに水を張っている間に近所のお友達が遊びに来て、午後から一緒にプール遊びすることに。水風船持ってきてくれて、小さめのプールで水風船浮かべてクレイソ

          満月の空の下で

          社会人になって私は事務員として働いていた。 とても平和な職場で10時にお茶の時間があって、15時にはおやつの時間まであった。 もちろん定時で帰れる。 中小企業バンザイ‼️ でも数年働くと、暇すぎて15時には仕事の殆どは終わり、再来月の分の準備などをして、定時までの時間をやりくりしていた。余計暇になる。笑。 そんな時、友人とある占いへ行って、事務は不向きよ。美に関する何かした方が良い。と言われた。 その頃私は美顔のエステに興味があり、丁度別の友人から、エステを教えてる人を紹介し

          クソババア‼️

          クソババア!! 母に向かって中2の私は自宅の二階の両親の部屋の前で叫んだ。 なんですか‼️ その言い方は💢⁉️ そう言いながら母は私の頬を凄い勢いでビンタした。 今となっては何でクソババアなんて言ったのか全く思い出せない。その後の事も思い出せない。ただ、クソババアと言ってビンタされた事だけしっかり覚えている。 中2の頃は遊び呆けて親に感謝なんか殆どなくて、やって貰って当たり前だと思ってた。 担任の先生も若い先生で、よくからかったりして、率先してからかう方ではなかったけど

          初孫フィーバー

          私は両親の両家の初孫として産まれました。 両親、祖父母ともそれは可愛いがってくれたそうです。 が、そう長くは続かず、わずか1年でフィーバー終了します。 病弱な妹の誕生により、元気いっぱいの私は、 お姉ちゃんだから我慢しなさい‼️ と事あるごとに言われ続け母が出かける時には1歳で自分でオムツを持って来て自分も連れてってと後を追っていたそうです。 マジ健気。その後、私が3歳位の時、祖母がガンになり、母はよく病院に通っていて、小さかった私は母がいない時に1人で病院に行こうとして