レバネコ

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エホバの証人の求める寄付の仕方に違和感

ある時、エホバの証人の寄付の求め方に違和感を抱きました。 やっぱりとも言えますが、JWの方のブログを見ていると、ある時からの寄付の求め方に違和感を抱いている方が多い印象でした。 2010年以降のどこかのタイミングから、寄付を求める話が増えたのと、寄付の内容にオイオイとツッコミを入れたくなる様なものがありました。 JWの寄付は基本的に強制では無いです。最低金額もこのぐらいは入れろと言うのはありませんでした。この面では、非常にクリアな組織に見えます。 しかし、違和感が出る

    • エホバの証人の経済観

      アメリカのとある統計に、宗教とその信者の年収を比較したものがありました。 こちらのリンクのサイトです。 これを見ると、エホバの証人(以降はJWと記す)は経済的な豊かさの面では最下位に位置しています。 多くの成員が、JWとして立派に「王国のための業」に専念していると言う証拠に思えます。 自己犠牲をすることができる人が多く集まっている宗教とも言えますし、どこかお花畑で、現実的な事はあまり考えない宗教とも取れます。 そして私は、あまり将来の経済的な面を、「王国の業」を第一

      • 多くの時間が奪われるエホバの証人の活動

        エホバの証人(以降JWと略)は人々に聖書について語り継げる伝道、集会や大会などで仲間と集まるなどの活動を行います。 私にとっては、大会は非常に多くの時間をスポイルされるものであると前回書きました。トータルにすれば年に6日間(現在は大会の日数は減っています)の時間を大会に割くわけですが、仕事をしながら、休日を大会のために使うのは中々にキツイものがありました。 伝道活動は時間を奪うため ネットのどこかで、「伝道の様な活動は信者の自由時間を意図的に奪う事を目的としている。伝道

        • エホバの証人の大会の思い出

          夏と言えば、エホバの証人(以降JWと略)の大イベント、地域大会の時期ですね。 大会では多くの信者が集まって、喜びと共に、お互いに励まし合ったり、鼓舞しあったりする場ですね。 私はこの大会が苦手でした。 人の多い所に集まる事、しかも三日間も! 結構疲れました。皆さん笑顔で参加してたけれど、その笑顔はどこまで本当の笑顔ですか?と聞きたくなります。 JWの大会制度、私には本当に辛かった~。 何かを学ぶのはいいんです。好きな聖書について学んでいるはずなんです。 (今では

        エホバの証人の求める寄付の仕方に違和感

          エホバの証人の言う、聖書に答えがある=考えるな

          エホバの証人(以降JWと略)の勧誘の話題の一つに: 「すべての問題の疑問に対する答えは、「聖書」にあります」 です。 現役または以前はJWだった皆さんは、「すべての問題の疑問に対する答えを聖書から得た」と思いましたか? 私は、「NO」です。 「聖書」や「JW」を通して、疑問の答えを得る事はできませんでした。 結局のところ、色んな体験をし、本を読み、調べる事によってでしか疑問の答えは得る事はできませんでした。 例えば、「人が悪を行うのはなぜか?」 JWでは、「人

          エホバの証人の言う、聖書に答えがある=考えるな

          エホバの証人の活動 vs 仕事-不安

          エホバの証人(以降JW)は日々の食事を得る事に対して不安になるなと教えています。 まぁ、分かります。「今日は何を食べるか?明日は何を食べるか?」と考えすぎるくらいに考えて、過度に不安になるなと言うのは分かります。 日々の糧をエホバが備えてくれる。エホバに仕えている者が飢える事は無いと言うのも文字面では分かります。 しかし、20代前半、大学に入る前、何とも言えない不安に襲われることが度々ありました。 エホバに頼ってれば何とかなる? 不安定な働き方をしていて、このまま4

          エホバの証人の活動 vs 仕事-不安

          エホバの証人としての活動 vs 世の仕事-大学と罪悪感

          エホバの証人(以降JW)として生きるのであれば、エホバのために生きる事が優先です。 そのため、宣教活動や建設の業など、JWのために時間を割かなければなりません。 集会は絶対に休まず、奉仕は週一はほぼ絶対といった感じです。 高校を卒業したばかりの頃の私は、まだ盲目的な熱心さを持っていました。そのため、JWとしての活動を行う事に喜びを感じていました。 しかし、JWとして年数が経つにつれ、私の中で「最初に抱いた愛」は薄れてしまったのでしょうか? どうしても、仕事の方に多くの

          エホバの証人としての活動 vs 世の仕事-大学と罪悪感

          エホバの証人として選んだ職業にモヤモヤ

          何かを選択する時には、エホバを基準にして生きる事を勧められるエホバの証人です。 人生の中の重要な選択として、職業、結婚などがあります。それらの選択においても、エホバの証人として職業選択をしたり、結婚相手を選ばなければなりません。 職業は、JWとして聖書の教えに反しないものは当然。ギャンブル、風俗、反社会的な形での日々の糧を得る方法は、一般人でも避ける道です。ここまでは、いいです。 しかし、問題となってくるのは、職業選択をする際に、 やれ、勉強する期間が長いだ、時間がとら

          エホバの証人として選んだ職業にモヤモヤ

          エホバの証人、訪問して来ないで。

          エホバの証人は人々に宣べ伝える事に命をかけてます。どんな地域でも、だれに対しも、訪問してJWの聖書について語ります。 これが迷惑だと感じる人は多いでしょう。 ネット内で検索すると、「宗教の人を撃退したったwww」みたいな話は結構見かけます。 そんな迷惑な事を自分もしていたんだなぁと、少し罪悪感を感じます。 そして、自分も訪問される側に今はなってしまったのですが、やっぱり思います。 迷惑!! 私は彼らの訪問、もとい突然の見知らぬ人の訪問は基本無視します。居留守使いま

          エホバの証人、訪問して来ないで。

          自分の意志を殺して生きる。生きづらいJWの他人軸人生。

          エホバの証人やってて、生きづらいと思ってました。 JWとしての生活って、普通の生活とは違うから当然生きづらくはなるんです。信仰による出来ない事柄、集会、奉仕・・・色んな事が日常生活を送りづらくさせます。 そんな中、生きづらさの原因となる要因の一つとして挙げられるのが、 「自分の意志を押し殺して生きる」 が、あるんですよ。 「エホバの意志に沿って生きる」 これが、自分の中の中心とならなければならないんです。 そうすると、何かにつけて、「エホバはどう思うだろうか?」

          自分の意志を殺して生きる。生きづらいJWの他人軸人生。

          若い時の浪費になってしまいかねないエホバの証人

          エホバのために、若い時を捧げた元兄弟姉妹に何か積み上げるものはあっただろうか? 天に宝として積み上げた? それは結構。どうぞそのまま目には見えない、感じる事が難しい宝を積み上げてください。 私個人としては、自分自身がエホバの証人(以降JWと略す)であった時期について思うことは、「若い時の浪費」であったと言う事です。 JWによって聖書を学び、JWとなるためにバプテスマを受け、JWとしての生活をしたことのすべてが悪かったとは言いませんが、それでも、「若さの浪費」だったと結

          若い時の浪費になってしまいかねないエホバの証人

          エホバの証人の疲れた笑顔

          久々の投稿です。 最近はエホバの証人を駅前で見かける機会が増えてきました。 ふと思いました。 JWの兄弟姉妹の笑顔って結構かたいなぁと。あんなに作った笑顔をしてましたっけ? 奉仕の時間、集会の時間、仲間とのレクリエーションなどで笑顔を絶やさない様にと訓練されているJWの兄弟姉妹達、やっぱり頑張って笑顔を作ってるんですよね。 だから当然、立ちっぱなし奉仕の休憩中の兄弟姉妹は無表情どころか、少し疲れてるのかな?と思うような雰囲気。 別にそれでいいんです。 むしろ、JWの

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          マーガリンよりバターを食べれる生活がしたい

          エホバの証人の道を歩むとすると、当然のごとく「王国を第一に」した生活としての代表的な生き方が、全時間をエホバに捧げる正規開拓者としての生き方です。 私がJWだった頃は、開拓者は月70時間、補助開拓者は月50時間を奉仕に充てる事になっていました(今は、どうやら少々変化があるようですが、詳細は分からないです)。 月70時間を奉仕に充てるとすると当然アルバイト生活、正社員で働いて安定した給料なんて、とんでもないですね。不可能です。 月50時間の場合、仮に仮に正社員として働いて

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          エホバの証人、進路に口出しするのは僭越な行為では無いだろうか?

          エホバの証人は主に、「王国の業」である伝道活動を推進するために、多くの若者に開拓者として生きるようにと教えます。 私自身も巡回監督から牧羊訪問の際に、「将来はどうするのか?できるだけエホバのために生きる道を選ぶように」という趣旨の話を高校3年の時にされました。 正直なところ、血縁者でも無い、将来の学費や生活費用を出すわけでも無い人が、父親を差し置いて将来の話をすることには、何となく違和感を感じたものです。 そして、今現在、この様な事から思うのは、JWは家庭内で話し合うべ

          エホバの証人、進路に口出しするのは僭越な行為では無いだろうか?

          エホバのためならと美化される暴力行為:迫害

          エホバの証人の中であいさつ代わりの会話に、ほぼ必ずされる質問があります。 「迫害はあったの?」 私は、この質問が大っ嫌いです。 この質問がものすごく無遠慮で不躾、そして無思慮に感じるからです。 部思慮で無遠慮なJW私と母はJWと聖書研究をして、エホバの証人になりました。では、その際に父が殴る、怒鳴る、書籍を隠すなどの方法で、JWとの研究や交わりを阻止したり、反対してくることはありませんでした。 研究も集会の出席も自由にさせてくれた父です。せいぜい、父が言う事は、「宗

          エホバのためならと美化される暴力行為:迫害

          エホバの証人の毒親問題、深刻ではないだろうか?

          どうやら、N〇Kで毒親について取り上げられたようですね。 私の家にはTVは無いのでNH〇を見る事は無いのですが、少しSNSにて取り上げられていたので、取り上げたいと思います。 エホバの証人では、「親を敬う」事を勧めています。決して間違った教えではありません。 しかし、これがどこか過剰な事になっている様に感じました。 エホバの証人親のムチ一番わかりやすいのは、やっぱり「エホバの証人のムチ問題」でしょう。 子供が聖書の教えに反した行動(犯罪でもなんでも無く、ただの子供らし

          エホバの証人の毒親問題、深刻ではないだろうか?