エホバの証人の大会の思い出
夏と言えば、エホバの証人(以降JWと略)の大イベント、地域大会の時期ですね。
大会では多くの信者が集まって、喜びと共に、お互いに励まし合ったり、鼓舞しあったりする場ですね。
私はこの大会が苦手でした。
人の多い所に集まる事、しかも三日間も!
結構疲れました。皆さん笑顔で参加してたけれど、その笑顔はどこまで本当の笑顔ですか?と聞きたくなります。
JWの大会制度、私には本当に辛かった~。
何かを学ぶのはいいんです。好きな聖書について学んでいるはずなんです。
(今では、本当に聖書好きだったんか?自分の心に嘘ついてただろ?と思います)
私がまだJW現役だった頃は、1日大会、巡回大会(2日間)、地域大会(3日間)と大会がありました。
(1日大会は無くなり、巡回大会は1日になったんでしたっけ?)
1年の内、一週間分の時間を大会に捧げる事を多い感じますか?少ないと感じますか?
私は、正直多いと感じました。
JWイベントってこれら以外もありますし・・・
そして、朝早くまたは前日から大会会場に向かい、夕方遅くまたは夜遅くに帰宅。場合によっては泊まりで大会に参加することもあります。
大会と言うJWイベントは、プライベート時間をスポイルされる感じがしました。
大会会場に行って、のほほんとノート取るだけの立場で、周りの兄弟姉妹と会話するだけとは言っても、世俗の仕事の調整やらなんやら必要です。その上、なんだかんだ色々と準備したりする必要もあります。
(大会に関わる兄弟達(特開者または宣教者以外)は無給な上に、世俗の仕事を休んでいる事を考えると中々にえぐいシステムな気すらします。しかも準備の段階で何日分の時間削られてるんですか?)
大会の目的が霊的な食物を与える事、兄弟姉妹達との仲間としての絆を強固にすることと言うのは聞こえがいいんですがねぇ・・・
大会の様なイベント、ちょっと特別感があります。
そんな中、大勢の人々で集まり、みんなで同じプログラムを楽しみます。この事自体が気分を高揚させます。
比較的、だれもが明るい気分になり、オープンな心になりやすいはずです。その分、洗脳されやすい状況が作られます。
プログラムは毎回趣向を凝らし、話の内容もできるだけ、聞き飽きているであろう話であっても、聞けるように工夫されています。
このため、どんなに話に矛盾点や疑問が生じようが、自分の心をごまかして、プログラムの良い点を探し出します。そのうち、矛盾点や疑問に対しては、深く考える事を止め、「いつか納得のいく答えが出るだろう」と自らを納得させます。
こうして思考を浅くすることに慣れ、雪崩の様な情報の量を受けて行きます。
そして、気分を高揚させる新たな見解の発表、JWの新たな取り組みの発表に大喝采の拍手で、さらに「JW最高!」の空気と共に、みんなして洗脳を強めて行きます。
この中で、不機嫌顔で疑問をさしはさむ大会参加者はあまりいないでしょう。喜びに満ちながら洗脳されきった群衆を前にして、わざわざネガティブな事を言う人もいません。
JW現役の頃は、この洗脳大会はいいものだと思っていたんです。エホバからの備えだなんて思っていたんです。でも、私の心は大会に行くの嫌がってましたねぇ。洗脳だなんて1ミリも思ってませんでしたし。
今にしてみれば、あの空気感はやっぱり洗脳です。
余談ですが、私は外国語の会衆にも行ってました。外国語会衆に籍を置いてました。そのため、外国語会衆の大会に行くことにもなります。
しかも、外国語会衆の大会に参加してたとしても、母国語の大会に行くのも大事とよく言ってました。
さて、こうなると1年のうち2週間は大会と言うイベントに時間がスポイルされます。
きつく無いですか?
私は、もう息切れしてました。
そして、いつしか母国語の、日本語の大会に不参加にすることにしました。そして外国語の会衆の人に言われたことが、
「母国語の大会に参加しないなんて、良心は痛まないの?」
でした。
イラっとするし、どんよりした気分になりました。口はつぐみましたが、思いました。
「あなたも2言語しゃべれるんだから、両方の大会に全日参加してみてね」と。
こうして、大会の時期が近づくたびに、うつうつとした気分になるようになりました。
今は、大会にもいかずに済んで、気分が楽です。自分のために時間が使える事が、もうとにかくありがたいです!
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