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エホバの証人の毒親問題、深刻ではないだろうか?

どうやら、N〇Kで毒親について取り上げられたようですね。
私の家にはTVは無いのでNH〇を見る事は無いのですが、少しSNSにて取り上げられていたので、取り上げたいと思います。

エホバの証人では、「親を敬う」事を勧めています。決して間違った教えではありません。

しかし、これがどこか過剰な事になっている様に感じました。

エホバの証人親のムチ

一番わかりやすいのは、やっぱり「エホバの証人のムチ問題」でしょう。

子供が聖書の教えに反した行動(犯罪でもなんでも無く、ただの子供らしい態度や失敗)を、叩くなどの暴力を使って、教育をしようとします。免罪符として使われる聖句は、「子供にムチ棒」ですね。

箴言13:24の、「むち棒を控える者はその子を憎んでいるのであり,子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める」。

これを経験した世代の悲痛は大きかったでしょう。場合によっては、言い聞かせなども無く、ただ暴力を振るわれるがままの状態でもあったでしょう。

親側の方に歯止めが効かない、または、歯止めを効かせないケースもあったでしょう。

この手の話をすると、必ずと言っていいほど、ムチ棒を振るった世代は言います。

「親も辛かったのよ。時には、泣きながら子供を叩いたの」

そうですか。そうですか。

子供の側の辛さに言及しないんですね。

「私たち親の辛さを汲み取って、憐れんでください。許してください」と言う態度ですか?

まさに毒親的反応そのままですね。

JWにいた頃は、私もまだ「そうなんですね。大変でしたね」と同情するような言葉をかけましたが、今にして思えば、聞けばよかったです。

「子供が大人になってから、謝りましたか?」

エホバの証人の親による支配と子供の人生操作

「ムチ」と言う身体的苦痛と恐怖を伴う様な親による支配はまだわかりやすいかもしれません。

しかし、「言葉や態度」による支配となると、親子の支配関係が見えずらくなります。

暴力を振るわず、衣食住が整っていれば、充分にいい親だと周りからは見えてもらえるケースの方が多いです。

しかし、親が子供の人生を決めてしまうのも、毒親の所業です。

特にJWは、子供をJWに仕立て上げる事を目標にして子供を育てます。そこには、「子供がどうしたいのか?」に焦点を当てられることはありません。

そのため、子供の感じている事や、子供の考えている事を親が肯定する環境には無いです。

もしも、JWにとってはあり得ない考えを言うなら、
「エホバがどう感じていると思う?」とか、「サタンはどう思う?」「それはJWにとってふさわしいと思う?」と言うやり取りによって、子供の側の自由な発想や考えはどんどん封じ込められていきます。

こうして考え方の固定化をされてしまい、JWとして生きる道しかない様に思わされます。

この様な事を本当に幼子のうち、幼少期にされていると自分の親が、自分の人生を操作してきたとは気づきにくい場合もあります。

この様な気づきにくい親からの支配を受けた子供の人生は、一見、仲良し親子や友達親子の様に見え、良い親子関係を築いている様に見えます。

しかし、子供側が何かしら問題を抱えている場合は少なくありません。

一番わかりやすい子供側の問題は、「若くして病気がち、または精神病になった」でしょう。

若い人の精神病は割と社会全体でも多いのですが、「喜びの民」であることを強調するのであれば、JW内で精神病が蔓延している現状は、やはり何かがおかしいとしか言えません。

そして、見えない歪んだ支配を受けている大人になった子供の特徴には、対人トラブル、仕事が上手く行かない等もあるでしょう。

人の一生は、トラブル無しで済むことはありません。しかし、毒親の支配を受けてきた側のトラブルは多く、その上、その状況に上手く立ち回れないなんて言う事もあります。

実際、JWの家庭で育った兄弟姉妹が世間一般よりも幼く見える、どこか浮世離れしている、どこか世間とずれているなんて言う風に言われますが、これは毒親による支配も関係があるでしょう。

(私自身もどこかずれているよなぁなんて思いますが、個性の面もあれば、毒親による影響もあります)

何もって、精神的な成長を正常と言うのか、定義しきれない気もしますが、
一番は、「親から自立している」事が精神の成長を表すでしょう。

エホバの証人は自立しているか?

自立と言うと、一番先に思いつくのは、経済的に自立しているかどうか?実家から離れて暮らしているかどうかが指標になりがちです。

しかし、精神的な面での自立も非常に重要なポイントです。

精神的な自立は目に見えにくいものです。経済的に親に依存することなく、結婚もしているならば、一見、自立している様に見えます。

しかし、親からの精神的支配を受け続けているなら、本当の意味では、自立しているとは言い切れません。

この面でJWはどうでしょうか?

創世記2:24には「それで,男は父と母から離れて妻にしっかり付き,2人は一体となるのである」と言う聖句があります。

この言葉はJWでは、主に「結婚」や「若者が自活」する際に使われることが多かったですが、物理的に離れる事だけを意味していたのでしょうか?

「毒親」に関する書籍をいくつも読んで思うのは、精神的にも自立する事を指していたのでは無いかと思います。

それは、「自分はJWを辞めたいんだけど、親がJWだから辞めたいとは言えない」などと言って、自分の気持ちよりも親をどこかで優先する態度があるなら、やっぱり自立していないと言えるのかもしれません。

自立しているなら、「親は親、自分は自分の決定をする」と言う行動を取りやすいですから。

毒親問題とJW組織

しかし長年過ごしてきたJWの組織から抜け出すのは、中々厄介なのは事実です。サクッと、脱会届を一筆書いて終わり!とはならないんですよ。

何となくこの組織にいるのが嫌と言う程度だと、やっぱり組織にとどまってしまいます。親の事や、仲間関係がなまじいいと離れずらいものです。その分、辞める際にも周りからあれこれ言われるでしょう。

ある意味、精神的に組織に依存し、親にもまだ遠慮がある点では依存的な状態だと言えます。

親と子だけでなく、親と子と組織と色んな事が絡むと本当に問題が複雑化しやすいです。

毒親なんて言葉を使うと「組織内に分裂を持ち込んでいる」「世の考えを広めている」などと言い出す人もいるかも知れません。

しかし、親からの精神的な呪縛から逃れる事は、良い人生を生きるには欠かせないと私は思います。

また、その呪縛から逃れる際には、JWの呪縛から解かれることも絡んできます。

現在私は結果的に、組織から離れ、親からもだいぶ距離を取っています。正直、悲しいと思う面もありつつ、明らかに精神的に軽やかで、一体どうしてもっと早い時期にJWを離れる決意をしなかったのかと思ってしまいます。

すぐに離れられなかったのは、やっぱり色んな呪縛があったからだと言えます。



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