マーガリンよりバターを食べれる生活がしたい

エホバの証人の道を歩むとすると、当然のごとく「王国を第一に」した生活としての代表的な生き方が、全時間をエホバに捧げる正規開拓者としての生き方です。

私がJWだった頃は、開拓者は月70時間、補助開拓者は月50時間を奉仕に充てる事になっていました(今は、どうやら少々変化があるようですが、詳細は分からないです)。

月70時間を奉仕に充てるとすると当然アルバイト生活、正社員で働いて安定した給料なんて、とんでもないですね。不可能です。

月50時間の場合、仮に仮に正社員として働いて、休日のみ奉仕をするとしたら、一日7時間ほど奉仕をしなければなりません。体力的にも精神的にも、なかなか無理のある時間の使い方です。

結果、非正規雇用、収入の不安定なアルバイト生活を送ることになります。

私自身、正規開拓奉仕者を目指して、連続補助開拓奉仕をアルバイトしながら続けていたのですが、一年ほどやっていると、無理しないときつくない?本当にアルバイトで正規開拓奉仕なんて非現実的では無いか?と思う様になりました。

お金を上手に節約しながら、時間も体力も上手にマネージメントすればいける?

いや、それって食事が貧相になり、将来的には医療費がかさむようになるのでは?

と思うようになった頃には、体力的に限界、体に不調が増え、病院通いが始まりました。それこそ、一年ほどの補助開拓生活が過ぎたからです。

このため、私は「これでも開拓奉仕を目指し、エホバと言う主人に仕えるか、それとももう一人の主人に仕えるか?」なんて考えながら、長い事悶々と考えました。

そして、結論は「マーガリンよりもバターを選んで食べる」生活がしたいと思いました。

要は、わざわざ無理な節約をするために食事のランクを落とし、体に良くない食材ばかりを選び、かえって体に負担をかけるような収入は嫌だと思いました。

更には、たかだか数百円をケチケチして、日常の中で自分の好きなものが選べない様な生活も嫌でした。

何も毎月毎月、50万越えのバッグを買う生活がしたいと言っているわけでは無いんですから。

普段から自分の好きなものを選ばないような生活は、心が貧相になり、最終的には、心にゆとりが持てなくなる気がしました。

というか、気持ちにゆとりが持てなくなったから、心身ともに病んだのです。

マーガリンとバターは物の例えで出しましたが、基本、バター派です。

そして、JWを離れてからの方が断然、気持ちにゆとりがあります。

イエスの所に行けば「さわやか」になるとは、いったい何だったのでしょう?

イエスでは無く、JWに仕えていたから重い重いくびきをしょっていた様な気がします。



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