自己を見つめる仏教とうきうきおばさんの話
おはようございます。昨日はまたずいぶんとあたたかい東京でした。みなさまはいかがお過ごしでしょうか?年末って慌ただしくなりますね。私も、予定が満載でこちらのブログを書く時間をとることが出来ませんでした。
昨日は天気が良く、布団を干したり、カバーを洗ったり、カーテンを洗ったりと一日中家事をすることが出来て、ほっとしました。
家を整えると気持ちもすっきりとするし、家族も気持ちよく過ごせるからですね。一石二鳥で最高です!
日々雑務少なくし、そういったことを丁寧にやる時間をとり丁寧にやることで、気持ちを整えることを、私はとても大切にしています。
さて、今日は「仏教」のことを徒然に書きたいと思います。仏教というと、敬遠される方もいらっしゃると思いますが、そんな方も、ほんの少しだけ読み進めていただけると嬉しいです。
最初に申し上げておきたいのは、私は特定の宗教を信仰しておらず、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教など学問として学ぶことが好きで、趣味で探求しています。
昔から、世界で一番読まれていると言われている本である「聖書」に興味を持っていて、学生の頃から「世界でそんだけ読まれているのであれば、どんな素晴らしいことが書いてあるのだろうか」という探求心から、何度となく目を通したのですが、どうしても理解できない部分が多くて、知人についていき2,3回教会にいって聖書を学ぼうとしたこともあったのですが、教会にはただ単にに学問として学ぶなんて言う人はいず、「聖書を読み解きたい」という気持ちだけで教会に通うということはなかなかしづらく、結局のところ、聖書とそれにまつわる解説本を頼りになんとなく独学で読んできました。
しかし、結局読み解くことは出来ず、解説本頼りの読み方になっています。聖書を読むというより「聖書についてどなたかが解釈して書いて下さった本を読む」という形どまりであるということです。
それは、「バガヴァッド・ギーター」なんかもそうですね。なかなか理解できず、わからないところについては、「原著ついて解説してくださった本を読む」という形になっています。
仏教は、その点結構わかりやすいんですよね。仏教というのは、キリスト教やヒンドゥー教のように、自分の外側の存在の全知全能の神様に大きな救いを求めるものではありません。開祖である仏陀に拝むということではないんですよね。
仏教というのは、簡単にいうと「自己鍛錬システム」。要するに、「自分の力で自分の生き方を変えていこう」という、自分の心という内側に目を向けて、日々、努力を継続しながら、少しずつでも着実に自己改革をするという、自己鍛錬の大切さを説いているのです。
自分の外側にではなく、心のあり方を変えていくことに、救いを見出しているということです。
私は仏典には、世界の大ベストセラーである「七つの習慣」の原理原則についても網羅して書いてあると思うし、生きていく上での原理原則が書いてあると思っています。
そのため、私が心がもやもやした時や悲しい、寂しいときには、仏教の本を読むと、スーと自分の心と素直に向き合うことが出来、「そうだよな」って、私なりの正解である答えがでてきて、心が静かに収まります。これは、私が心の中心に置いている「自灯明、法灯明」です。というゴータマ・ブッダが涅槃時(お亡くなりになる時)に比丘(弟子たち)に伝えた教えであります。
私は、好む宗派もなく、釈迦の仏教に新思想を組み込んだ大乗仏教と呼ばれるものよりも、それ以前の原始仏教(初期の仏教)についてが一番興味があります。時代、人種、国境、性別、言語を超えて広まってきた原始仏教の教えです。
「マハーパリニッパーナ スッタンタ」、日本では阿含経(あごんきょう)」と呼ばれるものや、「ダンマパダ」いわゆる「涅槃経」など、古い仏教経典集(スートラ)である、釈迦の言葉を色濃く反映した真正な仏教の経典が好きです。
私が仏教にはまったのは、45歳の時に心理学を学ぶために入った大学の建学の精神がたまたま仏教であったこと、そのため強制的に「仏教」という科目を学ばないと卒業できない(仏教の単位をとらないと卒業できない)ということだったので、とりあえず学んだことがことのきっかけでした。
大学の仏教の教科書の表紙には、このような題名が書いてありました。
「仏教(自己をみつめる)」と。
私は、心理学を学ぶにつれて、心理学の礎は仏教ではないかと思うようになっていきました。
大学に入り、はじめて受けた授業は「仏教」でした。45歳で大学で学ぶということにワクワクしていた私は、はじめての大学での校舎での授業に大興奮で、一番前の席に座るという「うきうき、はりきり、おばさん」だったのですが、仏教の授業がいざ始まると、さらに前のめりになり、私の後ろにいる生徒からは「うきうき、前のめり はりきり おばさん」にうつっていたに違いありません。
たまにそうゆう人いますよね(笑)。それ、私です。好きな学びになると、テンションがMAXになりますね。大学の教室は私にとって、まるで、そこは推しのコンサート会場のような世界。子どもの保護者会の教室でのテンションとは大違いですね(笑)。
「ねっ!み、みんな!この前の席、空いているけど、いいの??私座っちゃうよ!いいのね?!座るよ!!」みたいな、内なる声。
そんな私は子どもの保護者会では、なるべく隅へ隅へと「すみっコぐらし」になりきります。
またまた大興奮で、話は脱線してしまいましたが、その大学で学んだ仏教では「十牛図(じゅうぎゅうず)」の考察についてレポート課題がありました。
これが、これが本当に面白かったんです。「十牛図」ってなんじゃそりゃ?って感じだったのですが、本もたっくさん出てまして。ヨガをやる人なんかも知っている方が多いようですね。
この「十牛図」というのは、悟りに至る10の段階を、10枚の図と詩で表したものです。
10枚の版画と詩で出来ている本なのですが、何が書いてあるかというと、人生の悟りの深化について、絵と文で書いてあるんです。
そのころ私は、自分の人生について「そうゆうことなのか」と納得感を得ていたことが多かった時期で、この十牛図を読み、さらにレポートを書くために探求した時に、自分の人生の「そうゆうことなのか」とこの十牛図にある人生の悟りについてぴったりとはまり、パズルのピースがぴたりとはまった感覚になり、感動して涙が溢れてきました。「すべて納得」と自分の歩んできた人生とこれからの道がまあるくつながり、腹落ちしながら本当に楽しく学べました。
頭で理解したことを自分の体験と重ね、更に納得し、そしてそれを言語化することにより、必要な人に教えることができる。そこまでできて、分かったと言えると思っています。
言語化できないうちは、「わかったつもりである」と自分に言い聞かせ、様々な言語化にチャレンジしている途中であります。noteの皆様にもお付き合いいただきありがとうございます。
もし「心理学」や「自己と向き合う」「原理原則」「真理」であったりにご興味のある方は、仏教についての本なんかもちょっと読んでみると面白いかもしれません。「十牛図」も是非おすすめさせていただきたいです。
では、今日も心晴れ晴れ、素敵な一日にしていきましょう!
※この記事は佐々木閑さんの「100分de名著 ブッダ 最期のことば」を参考にさせていただなかながら書きました。
自己実現メンタルコーチ
しんかいさんこと新海智子
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