「なぜ生きる」について教えてくれた息子さんの話
こんにちは。自分軸を作り他人に振り回されない人生へと案内するしんかいさんこと新海智子です。
昨夜は医療を考える会に参加しました。この会は毎月、全国の医師、医学生、医療従事者を対象に、現代医療が直面する問題をもとに、よりよい医療とは何かを学ぶ集まりです。
私も、毎月参加させていただいています。
もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、ご紹介させていただきますのでご連絡くださいね。
さて、昨日は「いのちの理由~障害児の親として」ということで、医療関係者ではなく、一般の方が登壇してくださいました。医療を考える会の相談役である医師の昔からのご友人(Mさん)とのことでした。
バブル期に産まれた「重度心身障害児」の息子さん
Mさんはバブルという高度経済成長の時期を東京でバリバリ働いていたそうです。バブル期というのは、イケイケどんどんの時代です。
私も名残を少し知っておりますが、バブルの象徴としては「ジュリアナ東京」。
ワンレンボディコンの女性がセンスを振って踊っていたディスコがあります。行ったことある方いらっしゃいますか?私は18歳の頃だったと思いますが、社員寮に一緒に住むお友達と行ったことがあります。
あっ、この寮というのも超高級マンションを会社で一棟借り上げていて、そこに住んでいました。これも、バブルならではのことですね。
さて、そんなイケイケの時代にバリバリ働いていらっしゃったMさんはご結婚され息子さんを授かります。
お写真を見せてくださいましたが、とてもかわいらしい息子さんです。お写真からは障害児であることは見受けられない赤ちゃんのお写真でした。
しかし、子育てをしていく中で「あまり泣かないな」「訴えが少ないな」ということで、病院を受診したところ「重度心身障害者」であると診断されたそうです。これは、どのような障害かといいますと、
わかりやすく言うと、全介護を要する「寝たきり」ということです。
Mさんはここで子どもが「泣かない」のではなく、力がなく「泣けなかったんだ」ということを知ることとなったそうです。
イケイケバリバリ働いていたMさんに天地がひっくり返るような衝撃的な出来事が起きたのです。
子を育てる親なら、その衝撃は想像がつくと思います。この先どのように育てていけばいいのか、そもそも育てることが出来るのだろうかなど、私などの想像をはるかに超えた様々な思いや感情で押しつぶされそうになられたことだと思います。
そんな中、診断をしてくれた医師このように言われたそうです。
「僕、生まれてきてよかったよ」と言えることをしてあげてください」
と。
Mさんは昨日、このお話をしてくださっている時に
「あなただったら何をしてあげますか?」
という問いかけをしてくださいました。私も自分事として考えさせていただきました。
実際にMさんの立場にはなれませんが、同じ親として想像力をフルに働かせ、心中をお察ししながら考えてみました。
みなさんもMさんの問いかけについて良かったら考えてみてください。
私がそのわずかな時間で考えた答えは、親自身が子に対し「あなたが生まれてきて良かった」とあたたかな気持ちを持ち、親である自分自身が幸せに生きることでないかと考えました。
皆さん、色々な考えがあると思います。ここでは、私が思ったことについて書いていきますね。
たとえ、健常児であっても障害児であっても、子どもは親のことが大好きだと思うんです。もちろん、育ってきた中で、そのように思えない方々も沢山いらっしゃると思います。
私はコーチング、カウンセリングを生業としていますので、「こんな親でなかったら」「親を恨んでいる」「親を許せない」そういった方も世の中には沢山いることも知っています。そして、それを否定もしません。
しかし、もしかすると根っこの部分では親の子とは大好きである、もしくは大好きであったんだと私は思っています。
深い深い愛情があったからこそ、憎しみに変わってしまったのかも知れません。
「そのような生き方をしていたら不幸せだよ」というメッセージを、親に受け取ってもらえず、悲しく悔しかったことが、恨みに変わってしまったのかも知れません。それは、人それぞれであると思います。
そう考えますと、Mさんが「この子に幸せになってもらいたい」と思う気持ちと同じく、息子さんもしゃべれないし表現できないけれども、「お父さんも幸せに生きて欲しい」そんな風に思っているのではないかと想像させていただきました。
決して「君が生まれてきたことでお父さんの人生は不幸になった」などと思い、人を恨み、人生をつまらなく生きることは望まないと感じました。
「大好きなお父さんには、幸せに生きてほしい」そんな風に思うのではないかと。
Mさんは息子さんから「本当の幸せ」について、考える機会をいただいたとおっしゃっていました。
ここで、本当の幸せについて少し深掘りしていきたいと思います。
幸せというのは、大きくわけると2種類ありますよね。
2種類の幸せ
一つは、直ぐに得られる快楽です。これは、すぐに欲を満たせることです。美味しいものを食べたり、どこかに遊びに行ったり、ブランド物を買ってみたり、ネットで何でもすぐに調べて答えがでてきたり、SNSでいいね貰って承認欲求を満たしたり、沢山の快楽が日々ありますよね。
もう一つは、真の幸せです。これは、表面的なことではなく、自分の心が本当に満たされる幸せ。
これは、快楽の先にあるのではなく、時に快楽(欲)を抑えることによって得られるのではないかと思っています。例えば、ダイエットでわかりやすく説明します。
この場合快楽というのは、美味しいものをたらふく食べて「あ~美味しかった、幸せ」となりますね。
しかし、ダイエットして、健康維持ですとか見た目をスマートにしたいと考えている方ならば、この一時的な快楽は我慢して乗り越える必要があるわけです。
そうすることで、健康な身体、スマートな見た目などを得られ、「頑張って良かった、本当に欲しいものが得られて幸せ」となるわけです。
目的を果たすためには、時に辛い手段を選ぶ必要があるのです。
「あれも嫌〜、これも嫌〜、けど快楽も幸せも得た〜い!」だと難しいかなと私は思っています。
親や世間の価値観が自分の価値観であると勘違いしている人が多い
私はコーチングやカウンセリングをさせていただいている中で思うのは、「幸せを感じられない」という方は、自分の価値観でない親の価値観や社会の価値観で良いとされているものを、自分の価値観と勘違いして気付かずに生きていらっしゃる方だと感じています。
勉強が出来た方がいいとか、いい大学を出た方がいいとか、大きな会社に入ったほうがいいとか、結婚したほうがいいとか子どもがいた方がいいとか世間がよいとしている価値観って沢山ありますよね。
実際に、勉強が出来る人にいい大学を出ている人に、大きな会社に入った人に、結婚した人に、子どもがいる人に、「あなたは幸せですか」と聞いたときに、「はい、私はとても幸せを感じて生きています」と。声を大にして言える人がどれだけいるのでしょうか。
もちろん、そういったことがご自身の価値観にぴったりとあてはまっていれば、幸せを感じられていると思います。
しかし、大抵は自分の価値観ではないことが多いように感じます。親や世間の常識と言われること刷り込まれた思い込みだったり、良く思われたいという八方美人的な考えであったり、他人と比較し、優越感に浸りやすい材料であったりですね。
私自身もそういったものを20代、30代は追いかけていました。看護師をする前は商社とメーカーで法人営業をしていました。全国数百名の営業マンの中で、全国1位の営業成績を上げ続けました。
しかし、そこには一時的な快楽。
招待旅行に行き楽しんだり、みんなに「すごいね」と言ってもらい優越感に浸ることは出来ても、そんなことは束の間。
また虚しさ寂しさに溢れるということを繰り返していた時期がありました。そこには、私の本当の幸せはなかったんですよね。
Mさんは、息子さんが「なぜ生きる」という問題を教えてくれた、生きる意味を教えてくれたとおっしゃていました。本当の幸せとは何かを教えてくれたとおっしゃっていました。
私自身も、生きる意味を教えてくれたのはわが子です。わが子以外には、私の人生に起きた様々な苦難が、私を立ち止まらせ、私に生きる意味と本当の幸せを教えてくれました。
私のクライエントさんでも、若くに癌になってしまったとか、大切な方と死別してしまったとか、どうにもこうにも生きることが苦しいなどという方がいらっしゃいます。
人はどうしようもなく辛い経験をしたときに、立ち止まり、色々なことを振り返って考え、「自分の生き方は何かまちがっているのではないか」「私にとっての本当の幸せってなんだろうか」と考えさせられるきっかけになります。
そのため、そのようなどうしようもない辛い経験というのは、実は人生のギフトだと私は思っています。
ただし、その真っただ中にいるときは渦に巻かれていてわかりませんし、そんな風に思えませんが、その渦が少し穏やかになっていくと「もしかして?」と思えていきます。
そして、その大きな谷を超えると、自分の人生に起こりうる困難さえもありがたき物と思えるようになると思います。
なぜなら、私自身が経験してきたことだからはっきりと言えるんです。人生の底つき体験をしてから、私の人生は180度変わっていきました。
正確には、変わっていったのではなく変えていったのですけどね。その時の私は、人生を諦めるか、自分が変わるかの2択しかもうありませんでした。
自分を変えるということは物事の解釈を変え、それに伴い行動も変えるということだと思います。
人生を変えていくのに大切なことは、私は解釈を変えることだと思っています。解釈を変えることで、いままで当たり前ともっていたことが感謝に変わるのです。
感謝の反対は当たり前
日々の生活に、当たり前が多ければ多いほど感謝は出来なくなります。そして、その感謝がなければ、幸せを感じられないと思っています。
何をしてもらっても当たり前。どんなものを食べても、得ても当たり前。なんでも当たり前。
それよりも、自分がしていただいたことに感謝して、そしてそれをまた人にしてあげる。自分で貯めこまない。循環をストップさせない。
そんなことが幸せの循環になっているのではないかと私は思っています。
そして、この感謝の気持ちというのは、「感謝しなさい」といって出来るものではないですよね。感謝って、心の底から湧いてくる感じ。これは、私の感受性で表すと、幸せを感じる心と全く一緒です。
「あ~、ありがたいな・・・」
「あ~、幸せだな・・・」
この満たされる感覚が一緒なんですよね。
皆さんはいかがですか?
感謝ができない人が感謝できるようになるには
最後になりましたが、では感謝ってどうやて湧いてくるのかということです。
私も以前は、実は「ありがとう」と言葉を言うことは常日頃ありましたが、感謝の気持ちが湧いてくる感じってなかったんです。けど、ある時からこの感謝に溢れる日々にかわったんですよね。
そのきっかけは「自分の人生を生きる」ということです。自分の人生を生きることで、自分を満たしてあげるということです。
自分を満たすことで感謝が溢れ、そしてそれを他者にもその愛を惜しみなく与えることが出来ると感じています。満たされていないと、愛を惜しみなくなんてあげられません。なぜなら、自分が愛に飢えているからです。
食べ物と一緒ですね。自分が飢餓状態でしたら、他人に食べ物を分けてあげる何てできません。それと一緒です。
自己犠牲の上に成り立つGIVEには、必ず見返りを求める心があります。自己犠牲の上に成り立つGIVEではなく、自分から溢れた愛でGIVEしていくことが、とどのつまり自分を満たす幸せにつながると感じています。
そして、感謝をすると感謝せずにはいられないようなことが次々と起こりますよ。
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ここまで読んでくださりありがとうございました。
私の提供する半年の継続コーチング「しんかい式自己実現メソッド」では、自分にとって本当の幸せを探すお手伝いをさせていただいています。
一人では難しい、多方面からのアプローチで自己理解を深める楽しいセッションとなっています。
クライエントさんからも、「自分を知っていくってめちゃくちゃ楽しい!」とご好評いただいております。
自己理解は幸せへの第一歩です。これを避けては幸せには辿り着けません。
ご興味のある方は、是非一度お話しましょう。HPのお問い合わせよりご連絡くださいね。
では今日も素敵な一日をお過ごしください。
自分軸を作って、人に振り回されない人生へと導く
しんかいさんこと新海智子
オフィシャルページ
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