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もう″ゆとれない″の? -そして誰もゆとらなくなったを読んで-

2022年8月8日。
この日に僕の生きる意味がある。


仰々しすぎるが、それくらい楽しみにしていたものがある。この日は、朝井リョウさんの新刊エッセイ「そして誰もゆとらなくなった」の発売日でした。

読み終えてから表紙の描写想像しただけで笑える🤣


年始にtwitterで新作エッセイの発売発表から今の今まで、心待ちにしていた本でした。さながら遠足前の小学生のようなワクワクが止まらない感じ。
好きなものの新作発売日っていつまで立ってもいいものだ。だってその日までは楽しみ過ぎて死ねないもの。
人類に希望を与えるもの「新作発売日」。
毎日が好きなものの新作発売日だったら、日本人の幸福度もちょっとは改善されるかもね。


朝井さんのエッセイ3部作の最終巻ってことでとにかく楽しみで仕方なかった。1作目「時をかけるゆとり」、2作目「風と共にゆとりぬ」そして今作と続く。面白人間のその後の生態を文章で読めると思うだけでテンション爆上げだし、読んでる最中はところ構わずにニヤニヤしてた。



やっぱり面白い。



好きなものの理由を言語化するって頭で理解するために必要なことって思ってたけど、なんだか不粋な気もしてきた。

だって好きなものは″好き″なのだから。

どれだけ言語化しようと、
どれだけ頭で理解しようと、
好きなものを好きだって理由づけすることに意味なんてないんだね。好きなことに理由付けした途端にその理由が原因で嫌いに転じることもあるだろうから。子供の時くらい直感的で純粋な″好き″って感情が大事だったりするんだね。



今作で刺さった言葉たち。

おもしろいというのは私にとって、様々な邪念が一切入ってこないくらい、素直に、そして真剣に生きているときに滲み出る”おかしみ”のことなのだ。
(中略)
私の思う”おもしろい”というのは、真剣味と背中合わせの滑稽さなのである。ただ悲しいのは、年齢や経験を重ねると、素直さや真剣さを上回る危機察知能力が身に付いてしまうというところだ。
人生経験からリスクヘッジ能力ばかり醸成され「あれはやめておこう」「これもやめておこう」と平静さに逃げ込むようになる。それでは私の思う”おもしろい”出来事は遠ざかっていくばかりだ。
(中略)
解決策としては 真剣に生きるしかないのだから。

肛門科医とのその後

noteで見る他人の真剣な生き様。
真剣に悩んで葛藤していればいるほど、その姿の「おもしろさ」にはどんな物語も勝てないと思う。だから好き。


参加者のためではなく自分の評判のために重ねられる試行錯誤。

空回り戦記

この試行錯誤こそ朝井さんの真骨頂なんだよね。誰かのフリして全力で取り組むのは「自分自身」の止まらない好奇心によるもの。



私という体内に貯蔵されている愛の総量の少なさと向き合う作業でもあるのだ。行きたい場所も見たいところもあんまりないんスよねェ〜等とヘラヘラ笑っていられるのは今のうちで、様々なものに対して愛を注いでこなかったこの生き方は、今後の人生に必ず、何かしらの形で影響してくるだろう。私はそれを引き受けなければならないーーーー。

こんなに愛ある人もいないのにな。って思ってたから意外だったのかもしれない。朝井さんもこんな風に思うのかって。
「愛」って誰かと比べたりするんじゃなくて自分の内側から発生するものなんだろうなって。この人の思う「愛」の深さにもっと触れてみたい。


″その経験をしたい″ではなく″それをした人生を送りたい″という、もはや他者というよりはその選択をしなかった未来の自分へのマウント的思考である。

本書で語られる「精神的スタンプラリー」。
″あの時のこの経験をした私″になるために数ある項目を埋めていくある種の作業的な一面が面白かった。「移動距離が長くなるだけ想像力が増す」ってことだけで精神的にも肉体的(便意的な意味合い)に重い自身を引きずって日本の裏側にある南米ペルーに旅立つ話は、最高に笑えた。



誰でも人生の中で「いつか絶対に行ってみたい」とか、「いつか絶対にやってみたい」というような、スタンプラリー的な願望はあるだろう。そしてそのうちの幾つかはやがて「あれをやっておけばよかった」に変わり、いつしか「あのとき、あれさえしておけば」というような後悔として、心身の奥底に沈殿したりもする。過去の叶わなかった願いは時に、現在の自分を認められない理由になってしまう。
ただ、たとえば今回のような肩透かしを経験するたびに私は、人生をバラ色に塗り替えてくれるような、何かを劇的に一変させてくれるような出来事というのはこの世界に存在しないのだと感じ入れる。「あのとき、あれさえしておけば」のあれやこれも、そのとき叶えてみていればきっと、数多ある「こんなものか〜」の列の最後尾に並ぶのだと思う。
年齢を重ねるにつれて、押せなかったスタンプは増える。選ばなかったほうの人生が顔を出し、豪快に心を支配されるときはいつ何時でも訪れる。(中略)その押したくてたまらなかったスタンプを押せていたとしても多分「こんなものか〜」なんだよと、そのときの自分を甘やかすために。

精神的スタンプラリーin北米編 最終盤の文章

「朝井さんってやさしいな。」
ってこの文を最後に見た時にそう思った。自分自身を許してあげられる余裕みたいなものが生まれる一文。

たぶん人間ってどれを選んでもいずれ後悔するようにプログラムされてるんだと思う。
だったらなんでも「やってみる」が概ね正解のルートなんだろうけどそれでも否応がなく「選択する時」はやってくる。2択や白と黒みたいな分かりやすいものだけじゃなくて、複数択やグレーと銀色とかそれらが合わさった複雑なものとか。そんなときそこ自分自身が「おもしろい」と思う方向を選びたいと思う。どうせ後悔するんだから。なにやったって許されるさ。でしょ朝井さん?


もうちょっとゆとっていたかったなーーー。
これはこれでおもしろいけれどね。
明日からもっと真剣に生きよ。

朝井さんの思う「おもしろさ」を僕自身で体現するために。

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