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最近考えていること。

↓自分的に衝撃を受けた文で、触発されたから書く。


細い内容とか感想は書かないけど、この文章のどこに触発されたかと言うと「価値観の違い」「真剣に生きること」を強く感じたから。
人間みなそれぞれ価値観が違う。男女の違い、年齢の違い、人種の違い、住処の違い、立場の違い、関係性の違い等、いろんな違いによって考えや感じ方、選ぶ選択が異なってくる。とにかく違いすぎたのだ。それがとてつもなく嬉しかった。

会社でサラリーマンとして働く。
友達と遊んだり飲んだりする。
彼女とデートする。

普段の人付き合いからでも色んな違いがあって、話していくことで色んな価値観を伝え合うことはできるんだけど、全く違った考え方を得られるのは、本であり、文章であり、言葉であり、noteだから知れるんだと思う。
政治情勢も、経済状況も、ビジネスも、国際情勢も、お金を稼いで生きていく上で重要なことで知らないといけない。だけど人としての深みは出てこない。「人との違い」を知ることで、自分の”器”が広がるような気がする。


生きることへの真剣さは下記の文章に集約されてるとも感じた。

私は身体は売るが、自分がなんとか掴み取った言葉たちを、やすやすと渡すのは、いやなのだ。

肉体は捧げるけど、心までは捧げないみたいな。社畜として時間と労働力を会社に捧げるけど、心は腐らせず粛々と独立のために準備していくみたいな。強かさとポリシーを感じたね。自分の”心”って結構蔑ろにしがちだけど、芯の部分はしっかり捉えておかないとね。

生命力の高い人だと思う。




だから、自分も最近の価値観について書いていこうと思う。
僕は最近、彼女・彼女候補1・彼女候補2の「3人の女性」とLINEや電話やデートをしている。平たく一般的に言えば”浮気”である。悪いこととは微塵も思ってない。みんなそれぞれいい所があって、みんな好きだ。それ以外でも以下でもない。

単に色欲に溺れている訳ではないし、僕自身にモテの要素がある訳でもない。ただ機会が巡ってきた。それだけ。

クズである自己認識とか、自己嫌悪に陥るよりも、何より、とにかく最近は自分のメンタルが安定している。それはおそらく、それぞれ同じように好きって博愛的な部分と、「この子じゃなくても他にバックアップはいるし」ってリスクヘッジ的な、ポーカーでより良い役を作るみたいなそんなギャンブル的なワクワクした感覚が強いからなのか。
恋愛関係にそれほど多くを求めていないから。”好き”って感覚以上の感覚は存在しないし、短所とかコンプレックスと言われる部分すら”好き”って言えるくらいにフラットに相手のことが見れる。だから一人のことで悩んだり、燃え上がったり、恋しくなったり、悲しくなったり、怒ったりなんてしない。

以前に「彼女のここが好き!」的な記事を書いたのも”僕”だし、
この記事にある内容の僕も”僕”である。
自分自身の気持ちはホンモノなのだ。誰にも否定することはできない。
だって本人が言っているんだから。

ものすごくエゴで、自分勝手な考えと物言いだとは思っている。
「相手の立場に立って物事を考えて行動する」
会社でよく言われていること。相手の立場に立った提案・サービスの提供が顧客の利益に、ひいては自社の利益へと還元される。1万回は聞いただろうね。今の状況も相手の立場になって考えればすぐに分かる。多くは「悪」と捉えるだろう。でも契約書に判をついた訳ではないから「罪」ではない。

弄び、転がし、心を殺す。長続きはさせないよ。小心者だからね。



僕は「31歳で結婚すること」を短期目標として設定している。

根本の考えとして「人は決められた一人だけを一生愛することは出来ない」と思っている。関係性は時とともに変化するし、一生を決められた二人で過ごすにはあまりに人生が長くなりすぎていると思う。あと”結婚”と言うシステムそのものに懐疑的だし、そのシステムを一度も活用できない人、またはこのシステムを活用し失敗したことがある人、これらの人々が好奇の目にさらされことも意味がわからない。人と人が行う営みである以上、歪みは必ず発生するし、その煩わしさの億劫さに及び腰になることも十分に理解できる。

だからこそ、一生をかけて一人の人間を愛することの覚悟を背負う、その強さに惹かれるんだ。結婚したからって何か特別なものに生まれ変わる訳でもないし(これは童貞捨てた時にも”何か自分の中で変わるかもしれない”と思っていた時の感覚と近い)、上記に記述した通り、あらゆる変化に伴って関係性は破綻するかもしれないけれど、何よりも他人のために「努力できる自分」に憧れる…..。書いてて思ったけど、相当ナルシズムな考えだと思う。キモい。

でもでもなんでこんな考えに至ったか分かった気がする。
それは「敷かれたレールの世界に戻りたい」って気持ちがあるから。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学。
ーーーーーーーーーーーーーーーー→

大学くらいまでは敷かれたレールに乗ってるだけで自動的に人生が動いていた。与えられるだけで受動的に動いたものが、社会人になり、1年、2年、3年・・・・気づいたら7年目。能動的に行動を始めないと、何も動いていかない。人生が始まらない。次の中継地点はどこ?僕はどこに向かって歩いているの?そもそも歩けているの?レールはどこに?見えないよって。

で、苦し紛れに見つけたのが「結婚」って言う中継地点。

周りはしてるし多分これが人生の道筋なんだろうって。
幸せ?何それ美味しいの状態。
他人に生涯をかけて奉仕し続ける究極のドMプレイゲームに僕も身を投じたい。次に続く中継地点だから。再び外れた道から”受動的に始まるレール”に乗れるから。ズタズタに引き裂かれてボロ雑巾のように捨てられる結果に終わるかもしれないけれど。




自分の心情を吐露することはできたけど、
けじめはつけよう。
「選ばない」って選択を選んできた自分に回ってきたツケだと思って。

あと、レールに戻るんじゃなくて、
レールを”作る”覚悟も持って。

与えられる人生はとっくの昔に終わっているから。



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