穏やかではなかった、不登校を受け入れるまでの頃の母の気持ち
わたしの気持ちもはじめは穏やかなもの
学校をときどき休むようになったときは、『そういう時もあるよね』『今は元気になることが必要だね』『勉強もなんとかなるか』と感じていたので、はじめはお気楽な感じで、ゆったり過ごしながらも、平日にいろんなところに出かけて、ゆるゆると楽しんだりしていました。
ただ、少し休みが続くと、心にふっと『今日もか』というワードが浮かぶことがあって、イライラしたり、この先どうなるんだろうと、感じることが出てくるようになって。
この先、少しずつ学校に行かない日が増えてくるわけなのですが、娘との間だけでなく、夫や、周りの関係、学校との関係で、なによりわたし自身がいろんな感情を味わうことになっていきました。
不登校関連の情報はほとんど見ていなかったけれど、ちょこっと目に入った、『親がしてはいけないこと』みたいないくつかの箇条書き、あれはたぶん全部やったか、思っていたー 笑
この頃の感情は、なかなかエキサイティングなものでした。体験した人にしかわからない。同じような経験をしている人たちの中にも、きっと、似たような感情を感じているのかなーと感じたりします。
長くなるので、あらためて綴っていこうとおもいますが笑
今のわたしから、あの頃のわたしへ伝えたいこと
目の前で起きていることは、『娘が学校を休んでいる』という事実だけ。
ただその事実を受けいれて、淡々と毎日を過ごしていくことが、穏やかな毎日を過ごすコツだったのだなーとわかった気がします。
最初にふわっと浮かんだ『今日もか』という言葉の奥に、イライラする感覚の奥に、どんな感情が隠れていたのかを、丁寧に感じてあげる時間を持つことが必要だったんだと今はそう感じます。
母という役割にとらわれすぎずに、
ひとりでゆっくりする時間が必要だったこと
その時間をつくってあげることが必要だったこと
イライラする気持ちがあってもいいんだよと受け入れてあげること
自分のしあわせってなんだろうと想う時間をいちばんに大切にすること
そのままの自分でよかったこと
わたしの人生と娘の人生に心地よい距離感をもつこと
『今は休むときだね』と言いつつも、それが自分の基準の中の『今は休むとき』になっていないかということに気がつくことが必要だったみたいです。
すべてを受けいれるっていうことに、なかなか慣れることができずにいたけれど、そのおかげでたくさんのことを学ぶことができたし、自分を大切にしあわせにするための引き出しがまたたくさん増えたのも事実。
『ベクトルは常に自分に』
『目に映るすべてのことはメッセージ』
この時、この言葉の意味に本意で気がついていたら、この先にくるジェットコースターのような波に揺さぶられることはなかったかもしれないけれど 笑
笑っていられる今があるから、それでよし。
毎日ホントよくやってた。よくやってたーー。
頑張る生き方をしなくてもいいんだよー。
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