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不安障害になった大学生以前の話。(中学生前編)

こんにちは。
また少し空いてしまいましたが、中学生のころを振り返ってみようと思います。
また小学生編以上に長くなるかもしれないと思ったので中編、後編と分けることにしました。
そして、うまく言葉を紡ぎ出すのが得意ではないので、思ったままに書くと思います。あと頭が回りきらないのもある、のでご理解のほどよろしくお願いいたします。
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小学校最後の年。中学生になった時の気持ち。


1つ前の投稿に書いてある通り、小学校は6年生のときが習い事ではいじめられたけれど、学校生活は一番充実してたのもあって、気持ちよく卒業出来たのを覚えている。
今とは顔つきが違う、自分で言うのもあれだが、可愛らしい柔らかい雰囲気をしてる。髪も長かったし、尚更だろう。
本当に6年生のときは友人に恵まれた気がする。
だから、あんな顔つきができたのかもしれない。

だから、中学生になることも躊躇が無いほうだったと思う。
自分に合う制服を仕立ててもらえたときはなんか不思議な感覚がした。

入学式のときの写真もこの前実家の部屋を片付けしたときに出てきた。
そのときはショートボブみたいになってた。
心機一転したかったのかもしれない。

自分が通ってた小学校ともうひとつの小学校の児童が私の通ってた中学校に集まっていた。
だから、知ってる人もいれば知らない人も半数近くいる状況に少しワクワクしてたかもしれない。

学生あるある?

1年生のとき、あるあるだが、席が前後の子と仲よくなった。
でも、その子とはすぐは続かなかった。
私自身も正直無理して関わり合ってた。
それは相手もしかりだった。
だから私はその子にとって、クラスに慣れるまでの繋ぎのような役目だったのだろう。
なぜなら、しばらく経ったときに「里、私、あのグループ(スクールカースト的に上)にうちに来る?って誘われたから行ってもいい?」とわざわざ承諾を得に来たのだ。
世の中そんな状況になったときに黙っていく子もいる中、その子は私に聞きに来たのだ。
それはその子なりの優しさだったのかもしれない。


正直私は何にも思わなかった。
悲しいとも寂しいとも。
「いいよ~」と送り出した。
どうぞ、ご勝手にという気持ちに近かったのだろう。

他人が私を見る目が変わった瞬間


でも、1年の時に2回ほど転機が訪れた。
6年生ごろから大人しくて静かな人間と思われるような人間になってたので、中学生でも継続だった。
そんな私が体育の授業でダンスの練習する時間の時に、カースト的上の子から「blueさん上手いね!」と言ってもらえたことはすごく自分の自信になった。

(カースト上の人たちに好かれたい!と思ってしたことでは決してないです。
それで自信に繋がったのではなく、「人」に自分の良いところ、得意なところを見つけてもらえた「喜び」という意味です。)


あともうひとつは、バスケの授業で、私がゴールから少し距離のあるところからボールをゴールに入れたときにまわりの女子の目が変わったのを瞬時にすごく感じた。
人間って、特に学校という世界では「blueさんって実はこんなことできる人だったんだ…!」と、こんな些細なことで人からの評価って変わるから良い意味でも悪い意味でも面白いし怖い。

クラスで仲良いと呼べた人も不思議な人たちばかりで、今はもう1年の時のクラスの人とは誰とも仲良くない。
どうやって人間関係を築き上げてきたのかさえも覚えてない。
そんなものだ。

1年生のときは、クラスメイト大半が担任の授業をボイコットするような事態も起きていたし、というか中学時代は私たちの代が悪すぎて暗黒時代に近いものだったように思う。(その理由は追々。)

中学時代の部活の決め方

そして、中学に入ったら部活を選択できる。
私はこっそりとだけど、ソフトボール部に誘われていた。(小学生編を見てくださった方なら気づいてくださるはず)

だけど、「なんか」そんな気分じゃなかった。
でも、文化部より運動部がいい、そう思ってた。

その結果、今思うと何でだか分からないがソフトテニス部に入った。

1年生のときに同じクラスでソフトテニス部に入った人は私合わせて3人くらいだったかな?
同級生では私合わせて12人くらい入って、少ないほうだと思う、そんな感じだった。
その分、ひとつ上の先輩たちの人数がえぐかった。

しかも人数が多い上に、大会にも強かった。
だから、中学部活の大半は声出ししながらボール拾いの記憶しかない。
練習させてもらえる環境がなかった。
当時の顧問もその先輩たちに付きっきりで私たちに目もくれなかった。


やっと私たちの代がコートで練習できるようになったのは2年の秋ごろからだったかもしれない。
そりゃ弱くなるはずだ。

部活でもスクールカースト的な雰囲気が立ち込めてたし、いじめられそうにもなった。
だけど、私は2年の夏休みに胃腸炎になった。

それからはもう苦しさしかない、地獄の期間が何ヵ月が続いた。


2年生の時が私の今の状態に近いものだった。
なのに、親も、先生も、誰も救ってくれる人がいなかった。
その続きはまた近々。

スクールカーストに対しての怒り

てかスクールカーストってなんなんだよ。
今でもあるの?
そんなのがあるからいつまでたっても大人になっても差を作ろうとする人たちが絶えないんじゃないの?

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