声色
話が全然まとまっていないと思うけれど、
書きたいことをそのまま書き連ねていきたいから
思うままに書いていくことにします。
忘れもしない。
あの日は、母と一緒にリビングでテレビを観ていました。
すると急に、スマホから、テレビから、地震の時に鳴る、あの音。
そして揺れ。
震度はそんなに大きくない地域に住んでいたけれど
初めて経験する縦揺れのような地震に驚く母と私。
「こわい!」
私たちからは、その言葉が自然と何度も漏れ出ていたように思います。
家族に連絡を取り、遠方にいる知り合いにも連絡を取り。
それがなかなか繋がらないので時間がかかって。
そうしているうちにテレビ画面には
家々を凄まじい速さで飲み込んでいく津波の姿が映っていました。
とてもこの世の出来事とは思えなかったです。
母と共に、絶句していました。
そして心臓がバクバクしていました。
「どうかお願い。絶対大丈夫」
何度も言い聞かせながら、なかなか繋がらない電話番号に
リダイヤルを繰り返していました。
私には震源地の割と近くに住むパートナーがいました。
付き合ってまだ数か月だったと思います。
なかなか繋がらず、なんとかやっとのことで連絡がつきました。
本人の声でした。
なにかがあって、本人が出なかったらどうしようと思っていました。
「もしもし?大丈夫だから心配すんな。またすぐ連絡する」
とても怖い思いをしているはずなのに、
いつも通りのトーン、いつも通りの安心する声色でした。
そんな状況下で、
私にそんなふうに声をかけることのできる彼はすごいと思いました。
できる限りのいつも通りをできる彼はすごいと思いました。
あの時の声色を、私はいまでもはっきりとおぼえています。
だから、「絶対に大丈夫だ」と強く信じていられたのだと思います。
あれから10年。
本当に色々とありました。
その彼とは、とても遠い距離だったけれど、
なんだかんだありながら、それこそ大体10年近く続きました。
その彼とはずっと一緒だと思っていたけれど
だいじにだいじに、時を重ねるほどに、
お互いのいろいろな思いや考えなどにズレが生じてきたり
いろいろなものが見えすぎてたくさんのことを知りすぎて
それが逆に問題となってしまったり。
人生はむずかしいもので、いまはどうしているかわかりません。
でも、きっと、元気にしていることと思います。
あの時の声色が、いつもそう思わせます。
どのような状況でも、彼はきっと元気に生き抜いていくだろうと。
だいじにだいじに重ねた、長い月日。
私にとって、だいじなだいじな時間になりました。
もうその時間は戻ってこないけれど、
人生は常に、その瞬間にしかないものの積み重ねだと思います。
この10年でいうと、
私はその彼との時間がほとんどを占めているけれど
その中でも、彼だけではない、たくさんの出会いや別れがありました。
だけど別れは悪いものではないと思います。
なぜなら、別れた相手は必ず「贈り物」を残してくれるからです。
たとえば祖母はこんなものを残してくれました。
どんなに辛くても常に明るく前向きに笑って過ごすこと。
誰も見ていなくたって真面目に一生懸命働くこと。
おもてなしの素敵さ。
いつも変わらない安心感を与えてくれる食卓の雰囲気。
趣味や仲間を持つことの大切さ。
早起きして活動することの気持ちよさ。
栄養が一番の薬だということ。
多少の体調不良ではへこたれない気持ち。
感謝の気持ちを持って掃除すること。
寄り添い続けたパートナーを支え続けるということ。
とてもかわいい、いつも私のそばにいてくれるたからもの。
愛猫たちはこんなものを残してくれました。
どんなに苦しくても決して諦めないこと。
相手がどんなであろうとも愛を持って接すること。
いつも誰に対しても優しい気持ちを持つこと。
相手の話をよく聞くこと。
母を大切にすること。
そして彼が残してくれたものは
気にしないこと。
心配し過ぎないこと。
なんとかなるということ。
誰かに対して使うお金は惜しくないということ。
「ずっと」や「絶対」は無いということ。
どうにもならないことも人生にはあるのだということ。
誰しも自分の家族が一番大切であるということ。
どんな状況であっても続けていけるということ。
時間をかけ過ぎるのは良いことではないこと。
どのような結果になってもやったことに意味があるということ。
伝え続ければ相手の気持ちはいつか動くということ。
歳を重ねれば変わっていくということ。
与えることは良いことだということ。
「大丈夫だよ」という言葉の持つ力。
しんどい相手を安心させる時の自分の在り方。
この10年、本当に色々なことがありました。
彼のことがほとんどだから、内容がそれ中心になってしまったけれど
この10年、色々な声色がありました。
声というのは、すごいと思っていて、
一度聞いた声、出会った相手の声ひとつで、
どんなに離れていても会っていなくても
その人のことを鮮明に思い出すことができます。
声は記憶に直結すると思っています。
10年前、大震災が起き。
10年後のいま、コロナ禍。
誰も予想だにしていなかったでしょう。
誰かと会い、同じ時間を過ごすことがどんなに貴重なことか
いま皆さんは痛いほどに感じているのではないでしょうか。
だけど、私や皆さんには、これまでの思い出や記憶がたくさんあります。
その思い出や記憶が、絶対にあなたの助けになってくれます。
私がそうであるように。
コロナによって、誰かと、なにかと、
お別れすることになってしまった人もいるかと思います。
だけどその別れは、必ずなにか「贈り物」を残しているはずです。
私は、出会っていく人たちをこれからは
これまで以上に大切にしていきたいと思っています。
その出会いは必ず自分の思い出や記憶になってくると思うから。
いつか必ず助けてくれるから。
最後に、
私は「シド」というバンドのファン15年目です。
ずっとずっとボーカルであるマオさんの声に支えられ続けてきました。
コロナ禍、シドが「声色」という曲を出しました。
自分で言うのもなんですが、
根の部分は変わらないとはいえ、
10年前の私と、いまの私は全然違います。
色々なことがあってのいまの私とは思いますが
一番影響を受けたのは、まぎれもなくシドのマオという存在です。
私は今の自分が好きです。
こんなこと、10年前の自分は絶対に言えませんでした。
だから、この10年間の自分をまとめて抱きしめてあげたいです。
本当にいろいろなことがあったね、と。
それが出来るくらい、
いまの自分は、10年ぶんの自分以上の存在です。
そんな自分を生きていられるいまに、すべてに、
心から感謝します。
そして
そんな自分と出会った人たちのこれから、
まだ出会っていない人たちとのこれからの出会いを
とても楽しみにしています。
きっとこの10年間より、全てを大きな気持ちで愛することが出来る。
私の10年間、ありがとう。
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