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何度でも読み返したいnote2

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。こちらの2も記事が100本集まったので、3を作りました。
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#家族

「ありがとう」を美しいと思ったあの夜を、

ああ、なんと美しいんだろう。 わたしも、然るべきときにはそう在りたい。 と、強く願った。 * 「洗っておくよ」と言われた。 赤いネルフのロゴ入りの、黒いマグカップはわたしのお気に入りで 昨日から、飲みかけのコーヒーを冷蔵庫に入れっぱなしになっていた。 今夜はもうコーヒーは飲まないから、洗っちゃおう。 そう、思ったときにこと。 「いいよ、わたしやるよ」 だってマグカップひとつだし。 わたしは、シンクの前に立っている。 君はこのあと、手を洗うついでだと言ったけれど ぜんぜ

祖母の死とサマーウォーズみたいな私の家の話

祖母が亡くなった。 2年ほど前に病気になって、ご飯を食べることも喋ることもできずに最期は施設で息を引き取った。 祖母と最後にあったのは3年前のゴールデンウィークだった。2016年に祖父が亡くなって、私の住む街に祖母はひとりでやってきた。免許を持っていなくてこれまでどこに行くにも必ず祖父と一緒だった祖母。私はそんな彼女を大宮駅まで迎えに行った。2年ぶりの再会を喜びながらルミネでお昼を食べた。私の地元までお喋りしながら電車に乗って、スタバでケーキも食べた。でも何を話したかなん

ある大家族の子煩悩な人の話

父が死んだ。4年前の9月。高3の9月。 あの頃は、もちろん悲しいし、涙は出るけど、人前では全然普通の自分でいられた。 そうすることしかできなかった。 そうすることで自分を保っていたんだ。 _________________________ 父は、気持ちを言葉にするタイプではなかったけれど、超がつくほど子煩悩だった。 第一子の私が生まれる前、「甥や姪でもあんなに可愛いのに自分の子どもなんかどんなけ可愛いんやろう」と言っていたと聞いた。 私が生まれてから、「スナオちゃ〜ん😘か

【エッセイ】人に愛される才能を持った君だから

このところリサーチに余念がない。 甥っ子2号が就職することになり、お祝いの品を探しているからだ。 今日も行きつけの美容院で聞いてみた。アシスタントの男の子は20歳で2号と歳も近い。 「うーん、スケボーがほしいっすね」 「ごめん、スケボー以外で」 スケボーを馬鹿にしてるわけじゃない。むしろめちゃくちゃカッコいいと思う。ただ甥っ子2号はとんでもなくどんくさい。小学校の運動会で大車輪のように転んだのを私は今も覚えている。 何をするのも遅かった。走れば転ぶ。ゲームをすれば負ける、も

百一歳の地図

私の母は、間もなく七十五歳になる。 母の日と誕生日が近いので、私は毎年二つの記念日をひとつにまとめて、少しだけ高価な贈り物を渡すことにしている。 今年は新品の自転車をプレゼントした。 ちょっとした買い物などに毎日使用しており、風雨に晒されだいぶ古くなっていたのでちょうど良い機会だと思った。 母はとにかく元気者だ。 二日に一度はグラウンドゴルフに出かけ、仲間と共に春夏秋冬を問わず広場を走り回り、大声を出しながら汗をかく。 練習が終わると広場の隅にあるベンチに腰掛け、皆

母になった妹を見て泣いた日のこと

妹が母になった。 私には妹が2人いて、2つ下と5つ下。母になったのは、2つ下の妹だ。一昨年結婚して、昨年に結婚式を挙げて、2日前に母になった。 「妊娠した」と聞かされたのは、ここ数年の情勢もあり、家族のグループ通話でだった。初孫ということで両親はとても喜んでいたが、私はなんだか変な気分だった。今まで家族5人だったのに、新たな血のつながりを持った人間が増える、ということがとても不思議で変な気分になった。 妹は嫁いでいるので、産まれてくる子は正確には我が家ではないかもしれない

奥さんがワーママになってみつけた我が家のウェルビーイング

「発狂するほどに戸惑っている」 4人の子育てに一区切りつけ、社員として勤め、働くことにやりがいや喜びを実感していた矢先のサプライズ。5人目の子の妊娠。 奥さんの複雑な胸中を思うと、一人もろ手をあげて喜ぶこともできず、今後のことを2人で長い時間かけて話しあいました。 育児ママから社会復帰に至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。 チャレンジ 「子どもが4人いて雇ってくれるところなんてない」 10年以上、ブランクがある奥さんがそう言うのも無理はありません。当

うちの子たちなら心配ないさー

5人目の子が産まれ、家族7人マンションで暮らすには少し手狭になってきたこと、テレワークによりおうち時間が増えたこともあり、引っ越しを決意しました。 この4月でちょうど長女、長男、三女が揃って進学と、ハレー彗星並みに訪れた絶好のタイミングでした。次は2061年、生きてりゃいいな。 長年、住み慣れた東京から新しい土地に子どもたちが馴染めるか?これが一番の心配ごとでした。 家族にとって、チャレンジの新年度がスタートしました。 高校生  引っ越し後、食って寝るだけの場所を何

母には、もしかしたら美しい部屋で微笑める人生があったかもしれない

「生まれてきてくれてありがとう。」 母のその言葉を何度聞いてきただろう。3人も子供がいるなかで、それぞれにたっぷりと愛情を注ぎ続けてくれる人。大好きな、私のおかあさん。 毎日言葉にしてくれて、何度も抱きしめられて育った私は、愛情を疑うことなど何もなかった。いい母、自慢の母、そうでしょう? けれど私には母に言えていない秘密がある。母だけじゃなくて、今まで誰にも言ったことがない。10年以上前にまだ中学生だったころ、私を産んだ直後の母の日記を見つけたこと。ひとりで読んで泣いた

私が「つまらなそう」と思っていた父の仕事

私は昔、父の仕事が不思議だった。 というよりも、正直今思い返すと恥ずかしい限りなのだが、はっきり言って「面白くなさそうな仕事だな」と思っていた。 父は地方公務員で町の役場勤めだった。 役所の仕事をよくもわかってもいない癖に私はなんとなく、その仕事は誰にでもできる簡単なものだと勝手に思い込んでいたのだ。 簡単というか、決められた仕事をこなすような作業ばかりだと想像していた。 私が私としてこの世にいる意味はなんだろうか。 思春期の頃、思春期らしくそんな事ばかり考えていた私。