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「ありがとう」を美しいと思ったあの夜を、
ああ、なんと美しいんだろう。
わたしも、然るべきときにはそう在りたい。
と、強く願った。
*
「洗っておくよ」と言われた。
赤いネルフのロゴ入りの、黒いマグカップはわたしのお気に入りで
昨日から、飲みかけのコーヒーを冷蔵庫に入れっぱなしになっていた。
今夜はもうコーヒーは飲まないから、洗っちゃおう。
そう、思ったときにこと。
「いいよ、わたしやるよ」
だってマグカップひとつだし。
わたしは、シンクの前に立っている。
君はこのあと、手を洗うついでだと言ったけれど
ぜんぜんだいじょうぶ、わたしがやるよ。
いつも通りにそう答えたあと、小さく首を振った。
ああきっと、こういうとき。
いまが、然るべきとき。
「やっぱり、お願いね」と、隣を向いてほほえんだ。
*
美しい、と思ったのはとあるアニメを見ていたときだった。
内容としては超フツウーーーそのアニメを卑下するわけではなくて、
何かすごく感動的なシーンとか、思い入れのある特別なシーンではなかった。という意味で
他校の文化祭に遊びに行ったら、友達のお店がとても忙しそうだった。
それを見て、「手伝うよ」と手を貸す。
言われたほうが少し驚いた顔をしたあとに、「ありがとう」とほほえむ。
それだけのシーンだった。
*
ああ、なんと美しいことか。
わたしは何度「自分でやるよ」と言ってしまっただろうか。
だって自分でできるし。
大丈夫だし。
説明するほうが面倒だし。
ああ、常套句。
そして、「自分でやったほうが早い」だの、「うまくいく」だの
もうほんと、それも一理あるのだけれど。
美しい、と思ってしまった。
「手伝うよ」
「ありがとう」
ただ、それだけを
すごく、あたたかいもののように思えた。
「だいじょうぶだよ」というよりも
よほど、愛があるような気がしてならなかった。
むしろどうして
「へいきだよ」とへらへらすることを選び続けてしまったのだろう。
本当に平気ならそれでいいかもしれない。
でも、誰かと分かち合うことに、意味があるとか、
分かち合っている余裕が双方にあるとか、そういうときは、どうか
あなたと同じ世界を見れますように。
ときどきはそうやって、同じ荷物を持てますように。
ひとりと、関わることの線引きができますように。
「ありがとう」を美しいと思ったあの夜を、
これからも忘れないように。
【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
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※見てたアニメ
7話でした。
主人公たちがすぐ歌うので好き嫌いあると思いますが…
わたしは好き! 今期見ているアニメのひとつ
※now playing
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