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「ありがとう」を美しいと思ったあの夜を、

ああ、なんと美しいんだろう。
わたしも、然るべきときにはそう在りたい。
と、強く願った。

「洗っておくよ」と言われた。

赤いネルフのロゴ入りの、黒いマグカップはわたしのお気に入りで
昨日から、飲みかけのコーヒーを冷蔵庫に入れっぱなしになっていた。
今夜はもうコーヒーは飲まないから、洗っちゃおう。
そう、思ったときにこと。

「いいよ、わたしやるよ」
だってマグカップひとつだし。
わたしは、シンクの前に立っている。
君はこのあと、手を洗うついでだと言ったけれど
ぜんぜんだいじょうぶ、わたしがやるよ。

いつも通りにそう答えたあと、小さく首を振った。
ああきっと、こういうとき。
いまが、然るべきとき。

「やっぱり、お願いね」と、隣を向いてほほえんだ。

美しい、と思ったのはとあるアニメを見ていたときだった。

内容としては超フツウーーーそのアニメを卑下するわけではなくて、
何かすごく感動的なシーンとか、思い入れのある特別なシーンではなかった。という意味で

他校の文化祭に遊びに行ったら、友達のお店がとても忙しそうだった。
それを見て、「手伝うよ」と手を貸す。

言われたほうが少し驚いた顔をしたあとに、「ありがとう」とほほえむ。
それだけのシーンだった。

ああ、なんと美しいことか。

わたしは何度「自分でやるよ」と言ってしまっただろうか。
だって自分でできるし。
大丈夫だし。
説明するほうが面倒だし。
ああ、常套句。
そして、「自分でやったほうが早い」だの、「うまくいく」だの
もうほんと、それも一理あるのだけれど。

美しい、と思ってしまった。
「手伝うよ」
「ありがとう」
ただ、それだけを
すごく、あたたかいもののように思えた。

「だいじょうぶだよ」というよりも
よほど、愛があるような気がしてならなかった。

むしろどうして
「へいきだよ」とへらへらすることを選び続けてしまったのだろう。
本当に平気ならそれでいいかもしれない。
でも、誰かと分かち合うことに、意味があるとか、
分かち合っている余裕が双方にあるとか、そういうときは、どうか

あなたと同じ世界を見れますように。
ときどきはそうやって、同じ荷物を持てますように。
ひとりと、関わることの線引きができますように。

「ありがとう」を美しいと思ったあの夜を、
これからも忘れないように。




【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
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※見てたアニメ

7話でした。
主人公たちがすぐ歌うので好き嫌いあると思いますが…
わたしは好き! 今期見ているアニメのひとつ

※now playing





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