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祖母の死とサマーウォーズみたいな私の家の話

祖母が亡くなった。

2年ほど前に病気になって、ご飯を食べることも喋ることもできずに最期は施設で息を引き取った。

祖母と最後にあったのは3年前のゴールデンウィークだった。2016年に祖父が亡くなって、私の住む街に祖母はひとりでやってきた。免許を持っていなくてこれまでどこに行くにも必ず祖父と一緒だった祖母。私はそんな彼女を大宮駅まで迎えに行った。2年ぶりの再会を喜びながらルミネでお昼を食べた。私の地元までお喋りしながら電車に乗って、スタバでケーキも食べた。でも何を話したかなんてもう覚えていない。

それからコロナ禍で祖母の住む県には行けなくなって、母だけが何度も何度も会いに行っていた。だから私は祖母が病気になってからの姿を知らない。目を閉じて高いところで寝かされるおばあちゃんが今にも目を覚ますような気がして、通夜でも葬儀でも上手に泣けなかった。

焼き場に行く前にみんなで祖母の周りに甘いものばかりを置いた。祖母は甘いものとピザが大好きだった。その中に、アーモンドチョコがあった。

これです。

まだ私が小さかった頃、祖母が私のために取っておいてくれたもの。いつも台所で一粒ずつ、他の従兄弟にも弟にも内緒でこっそり食べていた。みんなが「おばあちゃん、いつもこれおじいちゃんに買ってきてもらってたよね」と話しているのを聞いて、元々は祖母の好物だったことを知った。なんかおばあちゃんぽいエピソードだなと思って、お花を手向けるときに「会いにいけなくてごめんね」と呟いたら、少し泣いた。



話は逸れるが、母方の実家はサマーウォーズ顔負けのデカ一族である。

これです。名作なのでまだの人は是非。

今回の葬儀はコロナ禍ということもあり家族葬の形が取られたが、それでも山ほど来た。「家族」に該当する人が多過ぎる。


10年ほど前まで、私は1年の大半を母の実家で過ごしていた。母が病的なまでに実家や地元を愛していたからだと思う。私たちはゴールデンウィークも盆暮れ正月も、なんなら普通の土日ですら新幹線や車で祖父たちの元へ向かった。弟が生まれる時には母は丸1年間実家で過ごし、私は従兄弟の家から程近い幼稚園に1年間だけ通った。そんなわけで家族旅行もほとんど行ったことがない。

今考えるとそうした環境には良くないこともあったんだけど、私と弟は帰省の日に赤丸を付けるくらいには楽しみにしていた。楽しみ過ぎて高熱を出したりゲロを吐いたりして行けなくなった年もありました。切ない。

お盆、私たちは祖父が住んでいた山奥の家に集まって過ごした。提灯を沢山飾って、胡瓜や茄子、その他諸々のお供えをして、お墓まで迎え火で歌を歌いながらご先祖様を迎えに行った。(「ご先祖様、この灯りーにおーいでおいで」みたいな歌だったと思う)

入れ替わり立ち替わり親戚がやってきて、女性陣で山盛りの天ぷらやお蕎麦を作って、井戸水で冷やしたジュースやお酒を飲んだ。

まさにこれ。初めてサマーウォーズを観た時、あまりにも当たり前の夏の過ごし方で何も思わなかった。14歳くらいまで本当にあんな感じの夏を過ごしていた。花札はしなかったし侘助さんみたいなイケメンのおじさんも居なかったけど。

大人がいっぱい居て、年上の従兄弟がいつも遊んでくれた。おじいちゃんが乾杯の音頭を取って、お刺身や天ぷらをたくさん食べた。夜は大人たちがお酒を飲んで構ってくれなくなるからつまらなかったけど、いつか私もあの中に入ってみんなとお酒を飲む大人になるんだと思っていた。サマーウォーズみたいに集まる人が入れ替わっても毎年夏になると全国から人が集まる、自分の家はそういうものなんだと思っていた。

でも現実は全然違った。長男だった祖父が亡くなって、親戚が集まる理由もなくなった。同じ時期に地震でサマーウォーズの舞台みたいな山奥の家が半壊した。直してみんなでまた集まろうとは、ならなかった。


そんな事情から親戚一同で集まることもなくなって5年ほどが経ち、祖母は亡くなった。家族葬でアホみたいな数の「家族」が集うのを見て、私は思った。

サマーウォーズの皆様、高齢化したなあ

サマーウォーズという単語をアベンジャーズみたいに使ってしまったけど、本当にみんな驚くほどジジイとババアになっていた。記憶の中の親戚たちもなかなか高齢だったはずだが、それを上回る老け具合だった。みんな孫の話と定年後の再就職先の話してた。私は孫の写真テロに遭い続けた。

それに加えてあの頃遊んでもらってた「お兄ちゃん・お姉ちゃん」が軒並みアラサーになってて頭抱えた。時の流れ怖すぎる。でも結婚してる人はほとんどいなくて、最近結婚して子供が生まれたという親戚も奥さんと子供は連れて来なかった。

私たちはサマーウォーズのような夏からただ年だけを取ってしまった。生まれる子供の数も、結婚する人の数も減って、サマーウォーズサイクルを回すことは不可能になってしまった。だから私にサマーウォーズのような夏は二度と来ない。



私はずっと結婚や出産を恐れていた。

否、今も恐れている。結婚はしたい。戸籍に跡を残してまで一緒に暮らしたいと思える人が出来たらそれは良い人生だろうと思う。でも私はほんの少しファンキーな家で育ったので、兎にも角にも「家族」という集合体を作ることに自信がない。あんなに悲しくて辛い「家族」を今度は自らの手で作るなんて、と思ってしまう。だから出産に関しては多分しないと思う。それでも良いという人と2人で静かに生きていくことが私が作れる家族の形の限界である。これで勘弁してください。

長い間考えて考えて考えて、こうやって生きていくことが両親も自分も他人も傷つけない一番良い方法だと行き着いた。だからよっぽどのことがない限り、私は子供を持たず両親とも適切な距離を維持したそんな大人になる予定でいる。


でも数年ぶりに親戚が集まる場に出向いてすごく苦しかった。

幼い頃、指折り数えて待ち侘びていたおじいちゃん家への帰省。20人近い親戚が集まって、花火をしたり蕎麦を食べたり流れ星を見たりする日々。結婚して家族が増えて、それを親戚みんなでお祝いして迎え入れる時の笑顔、拍手。生まれてきた親戚の子をみんなで代わる代わる抱っこする時のぬくもり。

そういう当たり前だった夏は、みんなが結婚して子供を産むという行為でサイクルを回していかない限り簡単に途絶えてしまうのだ。

何を今更と思うかもしれないが、そういう事実に頭を揺さぶられるような衝撃を受けてしまった。

昔の楽しかった思い出は、自分が適応できず苦しんできた生き方ありきのものだった。もちろん私たちが集まらなくなったのは親戚の中で結婚する人が減ったためだけではない。祖父の死や集まれる家そのものがなくなったこと、コロナウイルスの影響など数え切れない悲しいことが少しずつ絡まった結果である。

それでも祖父を亡くし祖母の葬式に立つ母親を見たり、酒ばかり飲みはつらつと生きていた人たちが驚くほど年を取っているのを見たりすると、私が「これでいい、これが私の幸せだ」と思って手放すつもりだったものが急に堪らなく価値のあるものに思えてきて苦しかった。

少しずつ減っていく親戚や老いていく両親。そういったものを見て「結婚しなきゃ」と思う人たちの気持ちが今回よく分かった。たくさんあったと思っていたものがいつの間にか減っていて、どうにかするためには自分で増やしていくしかないのなら、そりゃ結婚や出産を目標に生きる人がいるのも納得だ。婚活垢の皆様、今まで娯楽として眺めててすみませんでした。


でも、それでも、私はまだ親になりたいと思えない。

親になった人、今親になりたいと思っている人。その全てを否定するつもりはない。素晴らしいことだし、尊いことだと思う。

ただ私はそういう人たちにずっと暗い気持ちを向けてしまっていた。「いいですね、他人を婚姻を通じて人生に引き摺り込むことに罪悪感を感じない人、子供を持ち育てることに疑問を持たない人」などと最悪の気持ちが心の中で渦巻いていた。本当にごめんなさい。そっちの綺麗な道に進めなかったのは私で、この文章にも私の人生にもあなた達を傷つける意図はありません。

こういう気持ちは私の中でこの先何年も燻ることになるだろうし、自分で心から「母になりたい、家族を持ちたい」と思えるようになるには3回くらい死ななきゃ無理な気がしている。

でも、今回のことで3万キロくらい離れているように感じた「親になれる人たち」との距離が2万キロくらいには縮まった気がする。

祖父が死んで、祖母も死んだ。私は来年社会人になる。冠婚葬祭以外で母方の実家に帰ることなんてほとんどないだろう。

少しずつ死んでいく愛しい人たち。

それを思うとあんなに恐れていた「自分の手で家族を作る」という行為である結婚や出産も、ほんの少し明るいものに思えてくる。

こうやって人の考えは変わるし、ライフプランも変化していくんだろうなあ。

数年後、私が婚活に奔走していたら笑ってください。そして井浦新に似た声の小さい独身男性を紹介してくださると嬉しいです。

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