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母には、もしかしたら美しい部屋で微笑める人生があったかもしれない

「生まれてきてくれてありがとう。」

母のその言葉を何度聞いてきただろう。3人も子供がいるなかで、それぞれにたっぷりと愛情を注ぎ続けてくれる人。大好きな、私のおかあさん。

毎日言葉にしてくれて、何度も抱きしめられて育った私は、愛情を疑うことなど何もなかった。いい母、自慢の母、そうでしょう?

けれど私には母に言えていない秘密がある。母だけじゃなくて、今まで誰にも言ったことがない。10年以上前にまだ中学生だったころ、私を産んだ直後の母の日記を見つけたこと。ひとりで読んで泣いたこと。そして今もそれは、私が持っているということを。

今で言うと、私は母の若い時の子供だ。今の私は25歳、母が私を産んだのは26歳。末の妹が生まれた時には、母は35歳。私がお腹にいるとわかって父と結婚したというけれど、厳しい祖母に反発して育ったらしい母にとって私はどんな存在だったのだろう。たまに考えても「まゆちゃんのおかげで、ママとパパは家族になれたのよ」とにこにこ微笑む母の顔は目に焼き付いているから、私がその事実を恥じたことは今でも一度もない。そう、ただただ幸せ者だった。

でも社会人になってふと思う。今自分に子供ができたら?仕事を続けていこうとしているのに、結婚していない恋人の子がいると知ったら?私を抱きしめる微笑みまでに、母が通った険しい道を私はほぼ全く知らないことに唖然とした。

日記は、私を産んでからの1ヶ月だけのもの。母はすぐに営業職に復帰し、そこで記録は終わる。母乳が出ないこと、私が泣き止まないこと、何が正しいのかも分からずに苦しいこと。父に当たってしまうこと。感情にブレーキがないこと。疲労、不安、孤独。

母の短い日記には、ひとりで向き合う母の姿が凝縮されていた。それは幸福な日記というよりも、吐き出せない言葉だけを溜めた場所なのだ。きっと、可愛いねという言葉は私に向かってかけてくれていた母。たくさん、たくさん。その一方で、今だったらTwitterに投げられていたかもしれない言葉たちは、母の筆跡のままひっそりと家の奥底に眠っていた。

母は母という生き物ではないのだと、中学生の時に私は知った。誰よりも私の命に向き合ってくれた、心細い一人の普通の女性。突然命を授かった、26歳の女の子。



その日記を見てしまったことを、私は誰にも言っていない。言えなかった。誰かに見られるために書いたものではないとわかったから。でもだからこそ、母は母として生きているのではないと、知ったつもりになっていたのだと思う。だから完璧にできない母も好きだったし、できないことにあっけらかんとする母のお茶目さを可愛らしいとすら思っていた。

例えば私の実家には「掃除」という家事の概念がない。理由は単純で、みんな苦手だから。共働きで忙しい両親に代わって三姉妹で分担していたものは料理と洗濯と買い物で、掃除はしなくても生きられればいいと、常にモノでごった返した汚部屋に住んでた。非常に不潔というわけではないが、我ながら住めない人には住めない部屋だと思う。

だからデザイナー建築だとかイタリアの家具だとかを集めた雑誌を母が読んでいるのを見て、家族みんなでよくおちょくった。「ママ、そんな部屋うちにはないよ。だってほら、洗濯物がソファーにも床にもピアノにも、山積みだよ。」「その雑誌自体が無駄だよ。家の汚さに貢献しちゃってる。」とそんなことも言われていた。

私が実家を抜け出して一人暮らしした時、自分のお城をやっと手に入れたと心底喜んだ。自分の部屋に極力不要な物を増やさないようにして、実家とは似つかないシンプルな部屋になって満足したのだ。ほら、やっぱりあの家から出たら私だって綺麗に住めてるじゃん。あの家が、家族が、汚いのに慣れすぎてたんだよ。

モデルルームや物件の写真は次々と流れてくる。寮を出たらどんなところに住もうかな。たいていおしゃれな物件は家賃が高くてかなわないけれど。そんなふうに妄想することは、一人暮らしの私の小さな希望となっていた。



けれども、ある日自分が母にピッタリと重なってしまった。年々母に似てきたと言われるけれど、それだけじゃない。

もし私がいなかったら?母は、本当は憧れの部屋を作ることができたのではないか?子供に散らかされたり壊されたりすることもなく、オムツや服や保育料の代わりに、フローリングに散らかるもののない美しいインテリアの部屋に住んでいたんじゃないのか?

そんな問いが、またたく間に私の頭を埋め尽くしていた。そうだ。そうだよね。母は私達にたくさんの愛情を注いでくれた分、きっといくつもの憧れに背を向けてきたんだよね。

これから自分が歩む人生に、勝手にたくさんの選択肢があると思っていたし、それは今でも事実だと思う。でもある日あっけなく別の1番が現れて、生活をぐるんと変えてしまうことだってある。私はそうして親の人生、特に母の人生を大きく変えた、変えてしまった。

母が幸せでいてくれたらいいな。私を迎えて、幸せな人生だったと思ってくれたらいいな。微笑むと目元にできる皺が、いつの間にこんなに歳を取ってたっけと私を驚かせることがある。でも海外製のインテリアに囲まれてハーブティーを飲んでいる想像の中の母よりも、ずっと鷹揚で逞しくて、そして美しい。

母がこの記事を読むことはきっとない。でも、もうすぐ訪れる母の日には、ちゃんとありがとうを伝えよう。母が憧れを手放しても私に費やしてくれた愛情を、私はたくさん感じてこられたのだと伝えよう。

私がいない人生なんて考えられないよと、きっと母は私を抱きしめる。

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