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つれづれなる恋バナ 第三章 秘めたる思い【歴史長編恋愛小説】

第三章 秘めたる想い


 新帝の即位礼は十一月十六日、太政官庁にて盛大に執り行われた。 
 式典を取り仕切ったのは当然、七年ぶりに皇位を奪還することとなった持明院統に与する公卿たちである。高御座に座したまだ元服前の十二歳の新帝の脇を、この時を待ち焦がれていた連中が意気軒高に固めている。どの顔も得意満面な有頂天ぶりに溢れている。単なる一儀式にとどまらない、覇権交代を世に知らしめる格好の舞台。権力をついに掌握した連中の喜びが透けて見え、先帝が急逝したことなど忘れてしまったかのようだ。後二条院への哀悼の意がかすむほどの豪勢な式典であった。
 覇権交代は、式典の外に備えられた車の待ち場で顕著だった。尊大な官庁正門に、持明院統公卿たちの牛車がずらりと並ぶ。対して大覚寺統公卿ら車は小さな裏門の前の狭い空き地にひしめいて、式典を退出する主人を待っていた。
「大納言様、こちらでございます」
 裏門をくぐった堀川具守の姿をとらえた兼好が呼びかける。大納言で右大将でもある堀川家当主の車は、裏門からはかなり近場に陣取ることができていた。
「即位の詔を読まれた帝はかくも凛々しく、そのお姿はまことに荘厳であった」
 そう第一声をこぼしたのみで、口をつぐんだまま具守は牛車に乗り込んだ。今後の冷遇ぶりを予感させる儀式の雰囲気と政権側にいる面々の得意げな顔に、心底辟易した様子がうかがえた。その心情を察した兼好も、さっさと官庁を去るべく、無言で牛車を先導したのだった。

 堀川邸に到着すると、具守は兼好を奥の間に招いた。
「本日は、お疲れ様でございました」
 兼好が主人を労うと、
「先帝が崩御あそばされたのが、はるか遠い昔であるかのような、豪華さであったな」
 具守はため息交じりに、式典の様子を振り返る。
「いま朝廷は団結とは程遠い。ふたつの系統がいがみ合い、それに群がる連中が足を引っ張り合う。こんないびつな状態が、いつまで続くのであろうか」
 その構造に兼好は辛酸をなめたばかりだ。
「蔵人所でも、持明院に関係ある連中が新たに登用され、先帝ゆかりの我々のような者は排除されました。中にはうまく胡麻をすって職を確保した者もいましたが」
「役人は気軽じゃ。日和見を決め込んで政局を見極め、情勢が優位な側にすぐになびく。だが私たち公卿はそうはいかん。祖先からのしがらみが強く、お慕い申し上げる系統と運命を共にせねばならぬのだ」
 堀川家と大覚寺統との関係は深い。具守の父、堀川基具(もととも)は後宇多院の天皇在位中に従一位准大臣に任じられた。その後宇多院に娘の基子が嫁ぎ、皇子は後二条天皇となった。これまでに醸成した結びつきが強いだけに、対立勢力からは疎まれることになるのは目に見えている。
「わしの政界での発言力は下がり、飾りだけの大納言に過ぎなくなる。取り巻きもいなくなるだろうし、暇を持て余すことになるだろう。齢六〇を越え、何を生きがいに生きていけばよいのか」
 ため息交じりに肩を落とし、視線を落とす具守。社交性に溢れた男が滅多に見せない弱気な発言に、兼好はかける言葉が見つからない。
「兼好、心配に及ばぬ。そなたには引き続き家司として我が家に勤めてもらいたい。卜部家を見捨てることは一切せぬゆえ」
「それはありがたいお言葉」
 改めて具守は、兼好を家の執事役としてとどめおくことを告げた。無官になった兼好は、今は家司の座にしがみつくほかない。当面の食い扶持は保証された格好となり、神妙に頭を下げたが、内心はほっと胸をなでおろしていた。主家との関係が継続するとなれば、父も安堵することだろう。
「実は、基子から先帝の追善供養の歌集について相談を受けた際、収載歌人にそなたを推薦したのはこのわしだ」
「やはりそうでしたか」 
 格別な計らいがあったことを、具守自身が打ち明けた。歌人としては実績がまだ無きに等しい兼好が起用されたのは具守の力添えがあったのだ。
「二条殿から話は聞いておる。若手の門下生の中でも、そなたはめきめき上達しているとな」
「二条様がそのようなことをおっしゃっていたとは。光栄に存じます」
 二条様とは、兼好の和歌の師である権大納言・二条為世である。和歌詠みの名門・二条家の総帥で当代随一の歌人だ。嘉元元年(一三〇三)に後宇多院の命を受け『新後撰和歌集』を撰進している。父の為氏も亀山院の御世である弘安元年(一二七八)に『続拾遺和歌集』を奏覧しており、二条家は大覚寺統と深い関係を築いている。
「そなたには和歌という武器がある。和歌の才のないわしには羨ましい限りじゃ。勅撰集に選ばれるほどの歌人になれば出世し、ひいては家格も上がるからな。卜部家にとっては願ったり叶ったりだろう。わしは期待しているぞ」
 そんな声をかけられ、兼好は自然と頭が下がった。家格が低いうえに政治家としての感覚は皆無に等しい。そんな兼好が朝廷の中で地位を獲得し後世に名を残す術があるとすれば、文化人としての道を究めることだ。兼好の素質を熟知している具守は、無官となった家司に対し、彼の持つ可能性を後押ししようとしている。その姿勢が、兼好はただただ嬉しかった。
「有難いご提案でございます。しかしながら」
「何かね?」
「私めに対しこんなにも格別のご配慮をいただき光栄なのですが、どうしてそこまで私に良くしてくださるのでしょうか?」
 それは素直に湧き出た疑問であった。確かに家司として堀川家には長年仕えてきたし、主人の具守にはそれなりに尽くしてきた。だがこうも立て続けに喜ばしい計らいがあるのは、なにか裏でもあるのではないかと、そんな思いがよぎったのだ。
 ましてや今日は持明院統の帝の即位礼が行われたばかりで、心中穏やかではないはず。事実、不安がにじんだ弱気な言葉を口にしていただけに、家来である自分を満足させるのに躍起になるのはどこか不自然ではある。
「察しがよいのう。配慮の代わりと言ったらなんだが、ちょっと頼みごとがあってな。詳しくは明日話すことにしよう。今日のところは、もう帰ってよろしい。ご苦労であった」
「はい……」
 話を打ち切った具守は、そそくさと奥の間を出ていった。残された兼好は呆気にとられたが、「まあ明日になればわかること」とさほど気になることもなく、ほどなくして堀川邸を後にした。
 卜部家に戻った兼好は、父兼顕に即位礼が滞りなく行われたことと、主人具守から格別な計らいが相次いだことを報告した。息子の家司の地位が安堵されたことに、兼顕も胸をなでおろした様子だった。

 その夜、自室にて兼好は、北の空を眺めていた。部屋でひとりになると徐々にあの天真爛漫なにっこり顔が頭に浮かんできて、つい夜空の向こうにいる彼女に語り掛けたくなったのだ。
「もう実家には帰ったはずだ。咲子さん、どうしているかい?」
 冬の夜空は澄んでいるから、星がよく見える。星屑たちの輝きに、咲子の微笑みを重ねる。いつもは無邪気に笑顔を振りまきつつ、心儚きときは素直に涙をこぼす。裏表のない彼女の人となりは、ありのままの煌めきを映し出すこの澄み切った夜空とも共鳴しているかのようだ。
(そろそろ、文を書き送ろう)
 この空の下、たしかな意志が固まった。
 最初の手紙、何を書こうか。恋心が芽生え始めた折に綴る最初の文が、一番楽しく心をときめかせる。あれこれ考えるひとときが、たまらなく愛くるしい。真っ白な紙に恋の風景画を描き始めるとき、そこには、明るく楽しくそして幸せな未来しか思い浮かばない。
(明日、家司の仕事を終えてからゆっくり考えるとしよう。今日は疲れた。ゆっくり休むか)
 ほどなくして、兼好は寝床についた。すんなりと寝付くことができた。夜半の冬の夜空は、静かに彼を眠りに誘ったのだった。

 夜が明けると、前夜とはうって変わって、どんよりとした曇り空が広がっていた。冷気が身に堪え、今にも雪が降りそうである。
 家司としていつも通りに執事室にて勤めていた兼好は、未の刻(午後一時)に入ったあたりで具守に呼び出された。具守が待っていたのは邸宅の離れ舎のひとつで、普段は何にも使用されない空き部屋である。
 ここで、例の頼みごとを言い渡されるのだろう、と兼好は思った。だが、離れ舎に招くということは、他人の耳の届かない秘密の話なのだろうか。少しばかりの緊張感も芽生える中、具守が口火を切るのを待っていた。
 具守の前に文机があり、そこに一枚の書状が横たわっている。
「兼好、よくぞ参った。早速なのだが」
 これから本題に入る。兼好は軽く頷く。
「代筆をしてもらいたい」
「代筆、ですか?」
 予想だにしていなかった依頼である。
「そなたは字がうまい。家中でも兼好ほどの達筆の持ち主はいない。わしが書く文を清書してほしいのだ」
「はあ……」
 急な話に、頭がなかなか追いつかない。具守だって、決して悪筆なわけではない。大納言にまで上った人物である。高貴な身分の者へもこれまで多数の文書を書いてきたわけで、筆に慣れていないわけでは全くない。なぜ私なのか……
「想い人に文を送る。若く美しいおなごにな。そのために、若々しく流麗な字が欲しいのだ」
「想い人に、ですか」
 兼好は思わず目が点になった。六〇歳にして、好きな女性がいることを堀川具守は打ち明けた。それにしても、「想い人」と口にした時、具守の目が生気が蘇ったかのように一瞬閃光を放ったように感じられた。昨日は弱気な姿をさらしていた男が、だ。
「ああ。兼好、やってくれるか?」
 主人のたっての願いである。断る理由がない。何しろ、家司として今後も雇い、生活を保障してくれると約束してくれたばかりだ。無下に断るなど、できるはずもない。なるほど、この要望を難なく飲ませるために兼好を喜ばせる計らいをして、外堀を埋めたというわけだ。
「承知つかまつりました。ご期待通りに清書いたします」
 兼好は主人の頼みを受け入れた。
「よくぞ申した。ここに下書きを書いている。これを丁寧な字で写してくれ」
 一安心したのか、具守の表情が一気に緩む。そして、文机の上の書状に目を移すと、対面する兼好にも読めるように、上下をひっくり返した。
(一体、誰なのだろうか……)
 兼好はゆっくりと文机に近づき、したためた下書きを視界に収めた。やはり、決して下手な字ではない。想い人に送るに恥ずかしい字ではないとは思う。代筆の必要など、本来はなさそうだ。だが、具守は若々しい達筆にこだわっている。彼の想う相手は、よほど若くて麗しい女なのだろう。
 書状の最後尾の宛名の部分に視線を移す。
 そこに飛び込んだのは、

一条どのへ

 その瞬間、兼好の中で、時が止まった気がした。
(なんだって)
 書き込まれた「一条」の文字が、脳裏に深く刻まれる。
(想い人とは、咲子さんのことか……)
 たちまち気が動転したかと思うと、視界が漂白されたかのように、何も目に入らなくなった。そこに、具守の声が聞こえてきた。
「一条のこと、存じておろう。基子の侍女だったおなごだ」
「はい。先日後宮を訪れた際、基子様へ取り次いでくれたのが一条どので」
「その一条のことが、気になって仕方がないのだ」
 戦慄が走る。具守が咲子への真っ直ぐな想いを吐露したのだ。まさか、自分と同じ人を、主人である堀川大納言具守もまた想っていたなんて。
「後宮にて仕えていた折に何度か目にし、可愛い女だと思っておったが、徐々に心が奪われるようになってしまってな。このたび後宮を離れ実家に戻ったという。先帝の崩御に深く悲しんだと聞いておるし、尽くしてきた基子と離れ、さぞ寂しいであろう。まずは労をねぎらい、心を慰めてやりたい。文を送りあう仲になりたいのだ」
「左様に、ございますか」
 小さな声で、そう答えるしかない。心ここにあらずである。だが具守は、そんな兼好の胸の内を全く知らない。家司の私心など全く眼中にない。己の恋心が全開であることは、書状を見下ろす目がみるみる細まり、目尻の皺が三重四重五重に浮かび上がっていく様でも十分にわかる。
「清書ができ次第、至急使者を遣わして、一条大路の唐橋家に届けさせる。今日はこの部屋を使ってよいゆえ、速やかに書き上げよ。なおこの件は秘密事項である。信頼おけるお前にのみに漏らした私の気持ちであるから、決して他言せぬように」
「ははっ」
 兼好は平伏するのみだ。とんでもないことになった。心を寄せ始めた咲子を主人の掘川具守もまた想い、具守が咲子に向けた文を事もあろうに自分が代筆する。なんという皮肉な事態か。おぞましい現実を全く整理できぬまま、兼好は承知してしまった。
 真礼した兼好のそばを、具守が軽い足取りで通り過ぎた。離れ舎にひとり取り残された兼好は、改めて下書きに目を通す。
 冒頭には、こうある。

そなたの侍女としての働き、誠に大義であった。基子の父として、心より御礼申し上げる。

 咲子にとって具守は主人の父君でかつ先帝の外祖父でもあり、そのような大人物から文を送られるだけで光栄なことである。その上で侍女の務めを労われることは、本来なら震え上がるほどの僥倖である。

そなたの忠心に私も報いたい。そなたと実家の唐橋家にとって力になれることは、何でもしよう。

 帝の代替わりで家運が下がっていようが、堀川家は村上源氏久我家支流の名家には変わりはない。そんな名門の長から贔屓にしてもらえるとなれば、家を挙げてひれ伏すことになるだろう。これで咲子は確実に返書をしたためるはず。こうして、具守と咲子は文通を交わし始めることになる。

今後のそなたの健勝を心より祈っている。

 下書きの本文はここで結んでいる。全体的に簡潔な文書である。恋心を匂わせる言い回しは何一つない。確かに、最初の手紙となるこの文は社交辞令の体裁が強い。だが、徐々に彼女の心を開かせて、恋心を打ち明けるのであろう。当たり障りない言葉でやりとりを始めることには大きな意味がある。文を交わし合って親交を深めた後の「下心」が透けて見える。男なら、わかる。
 それでも、任務を行わねばならない。兼好は下書きの手前に白紙を置き、下書きに書いてある通りに筆を走らせる。内容は短文である。清書するのに、さほど時間はかからない。だが、筆の速さは普段より格段に遅い。
 この手紙は咲子のもとに届く。自分が書いた文なのに、具守の意思として咲子に伝わる。前夜、冬の星空を眺めながら彼女に文を送ることに心を躍らせていた。その行動自体はあくる日に早くも果たすのに、自らの思いを届けることはできない。このじれったさときたら。
 これだけの短文を清書するのに、普段の倍の時間がかかってしまった。差出人の堀川大納言具守の名を記し、最後に宛名の「一条どのへ」を書く。これで、卜部兼好の意思が一切ない、卜部兼好直筆の手紙が完成した。
 代筆を終えたまさにその時を待ち構えていたかのように、具守が部屋に戻ってきた。兼好による清書を一目眺めた具守は、「よしよし」と言って満足げに清書を懐に入れた。自分と兼好以外に誰にもこのことは知られたくないという意向の表れである。
「ご苦労であった。これからも、この件は何卒よろしく頼む」
 そう言い残し、具守はあらためて部屋を出た。
(ああ、こんなことになってしまうとは)
 この離れ舎で起きた出来事に、未だに困惑する兼好。このまま主人が咲子に入れ込むとなれば、自分は恋の争いから降りるしかない。
 兼好の感覚としては、咲子とは「いい感じ」にはなったものの、彼女が自分に恋心を抱くところまでは行っていないはずだ。これから、芽生えだした恋の花を育てるはずだったのに、一滴の水も注ぐことなく、花びらを咲かせぬまま枯れさせてしまうことになるのだろうか。
 代わりに、高い地位を誇る具守に心を許し、すべてを委ねることになってしまうのであろうか。咲子はそれでいいのだろうか。恋の成就を、私は指をくわえて見ていなければならないのか。咲子の運命は一体どうなるのだろう。
 兼好の役割は「具守と咲子が結ばれること」になったのは事実だ。代筆という仕事を通じて具守の恋を下支えせねばならない。具守の邪魔をすることは決して許されない。乱心して仮に出し抜くことがあれば、その先に身の破滅が待ち構えていることだろう。
 様々な邪念が頭をよぎっては過ぎていく。脳内はぐちゃぐちゃになって沈静化には程遠い。とりあえず、この狭い離れ舎を出よう。
 部屋の外に一歩出ると、ぱらぱらと粉雪が降っていた。洛中に降る、今年最初の雪である。
 風に吹かれ、右に左と揺れながら、粉雪たちは落ちていく。その姿は、混沌として落ち着きを完全に失っている今の自分自身のようだ。
(雪もまた、気もそぞろなのか)
 兼好は、白い雪の粒たちを見るのも辛かった。


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