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外国語へのコンプレックス

外国語(英語)を、所謂「言語」として早めに捉えることが出来た自分は、中学校での超初級英語をすんなりと理解しテストでの点数や英検、模試や高校入試などを、学校と塾の授業だけで乗り切ることができ、しかもそれらが他人に劣ることはなかった。
高校に入学してもそれは変わらず、英語が苦手だという友達に偉そうに「英語は言語だからさ」「勉強するっていう認識がそもそも違うんだよ」と受験のための英語を勉強している学生(無論自分もそなのだが)に言いふらす。英語を言語としながらもテストの点数を自分の英語力と見誤り、自分は英語が得意だと思いこんでいた。
ある日ありがたいことに、無知な自分にその自覚を与えるチャンスが訪れる。

親戚のアメリカ旅行に同行させてもらえることになった。価値観の古くプライドもある父には、治安の良い保証のない場所に、しかも親戚の力で連れて行ってもらうことには抵抗があるらしく、当時は少々不満がありつつも父親にお願いするという行動を経て渡米した記憶がある。

よく、日本人はいざ外国人を目の前にすると、間違いを恐れて、または不完全な言語を使うのを躊躇って、何も話さなくなるとあるが、自分もこの日本人ぷりをしっかりと発揮した。そもそも学生が大人に同行しているという時点で税関もタクシーも店のオーダーも会計も全て自らでやる必要はないからチャンスは元々少ない上、今考えればチャンスは無限に作り出せるものであるのにこれをせず、転がってきた機会も怖がって大人に任せてしまった。
結局、体調を崩して一人でホテルにいるときに部屋の清掃があるから二部屋のうちもう一部屋に移動する必要があり、カードキーがあるのに開かないので仕方なく清掃員の黒人に話しかけたのが唯一英語を使用した機会だった。切羽詰まらないとやらないとはこのことである。俺の拙い英語に対して英語ではない言語で延々と話し続ける黒人を見て、「やっぱ怖え〜」と思いながら、俺が理解していないのをやっと理解し、「あいつに聞け」と英語で言われ指を指した先にいた黒人に同じことを聞くと、また他の言語で話されたときは参ったし、この人もあいつに聞けと最初の黒人を指さした。俺は必死でありコントなんかやっている場合ではない。そもそも俺は体調がすこぶる良くない。もう一度試してみたら簡単に空いた部屋は掃除がされてなかったので無駄足だったのだが、寝てる間に来た清掃員は優しそうなおばさんだった。もちろん英語以外の言語で話しかけてきた。

そうして自分の無能さを突きつけられ、自分の英語が使えないことを知り、しかし自分にはその才能があると諦めきれない自分のプライドも、他人と比較する悪い癖によって擦り減ることを続ける。

自分より遥かに英語の成績が低かった塾の友達は、英文科の高校でオール英語の授業を受けて、外国でアクティビティをしていた。塾で出来た親友は中学卒業後、自分が喉から手が出るほど望んだ留学を家の経済力と家族の理解により難なく果たし、今もオーストラリアで暮らしている。

高校3年間、留学をしたいと発し続けるも経済力と海外志向でない親からやんわりと否定され続け、親を説得する学力も努力量も、経済力もない自分は海外で学生をするという夢を早々に失い、「大学に入ってから自分でバイトして旅行しまくればいいんじゃない」とか言う適当なアドバイスにとりあえず頷いて、自分の夢を押し殺し、平凡な毎日であり青春でもある日々に価値を感じる間もないまま過ぎ去る時間の無意味さと海外への憧れの大きさと比較された日本人の性格やくだらない人間関係や社会人の有り様に絶望した。当時使っていたスマホのメモアプリに、「今は外国に住むための苦労のつみたて時代」「海外でこのメモを見たとき初めて報われる時間」とある。確かに現状への絶望と異常な好奇心が今の夢を作ってくれたので、ありがたいことではある。

大学に入れば、バイトをしても金は貯まらないということを実感する。決してケチではないが合理主義、効率主義である自分は、バカ高い航空券やその他の費用と滞在日数を天秤にかけた結果、長期の滞在を目標にするようになる。であれば親の説得から逃れ、自らの経済力で行くことになるので、休学は無理、長期間の滞在に必要な費用を稼ぐのも無理。では大学卒業後が妥当だろうと後回しにして納得していた。いやこの結果に納得するほど夢は小さくないしこれにプライドがかかっているのだが、何だかんだ楽しく、同時に無意味な「大学生同士の関係性」でこれを紛らわせた。
大学で受ける英語の授業では、少しだけ他より効率よく年数に比例した英語力で先生に発音がよいだの上手いだの言われ仲良くなるが、所詮ゆっくり話してくれる上に、語彙が出てこず詰まってる自分を待ってくれる先生との関係性であることは承知の上で、これに不快感を感じながらもこれを覆す時間がないことにやるせない気持ちになる。言語の習得というものは要するに慣れることで、慣れることとはそれが当たり前の環境にいることである。日本で勉強する効率の悪さに自分は耐えられない。即効性があるのは単語帳、フレーズを覚えることくらいで、学んだそれらを会話内で散りばめ、拙い英語の中に時々不自然にネイティブの言葉を置き換え、相手の放ったそれっぽいことをオウム返しする。会話の不自然さを許せないのは英語だからという日本人の性格と、更にHSP的要素もあるのだが、これは大多数の理解を得られないし複雑になりすぎるのでやめておく。
効率主義は、「現地に行けば(人間性を構築し会話し続けることが出来る環境を用意できた場合)すぐに英語なんて身につく」という考えのもと、日本でこつこつ勉強することを嫌い単語帳はたまにしか開かなかったが、それでもYouTubeやネトフリで英語を聞き続けた。

そんなこんなで、遠い未来にちらつく大きな夢を頭の端に片付けてゆっっっくりと英語力を鍛えていた日常に最大のチャンスが訪れた。親から急に言い渡された休学&留学の許可。すぐにオーストラリアへの半年間のワーホリを決定した。今までのコンプレックスとプライドと努力が報われるのだ。これが自分には嬉しくてしょうがない。
今現在は、パスポートやビザの申請、エージェントとの面談による語学学校やホームステイ先などの相談をしている。

半年後帰ってきた自分は何を思い、何を語るのか、外国へのモチベーションはどうなっているのか。俺は自分の未来が楽しみで仕方がない。


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