見出し画像

本はわたしの心の栄養。

私が本を好きになったのは、いつ頃だっただろうか。

自発的に読むようになったのは、
小学校中学年くらいの時だったと記憶する。

『黒魔女さんが通る!!』や『なんでも魔女照会』など(魔法に興味があったのか・・・?)、図書館で人気の本を借りて読んでいた。

ただ、まだその頃は、「本は遊びのひとつ」という感覚だったと思う。


私にとっての本という存在の意味が変わっていったのは、中学生の時。

友人はいたが、がやがやした学校空間に居心地の悪さを感じて、
学校から足が遠のいた時期があった。

そんな時、さくらももこさんのエッセイ、『まる子だった』を読んでいた私は、ある一文にひどく共感した。

なぜ私がそんなに休みたがりだったのかといえば、単に学校よりも家の方が好きだったのである。

『まる子だった』(さくらももこ)、p98。

「そう、それ!!」

心が大きな共感の声をあげた。

当時、母から学校に行きたくない理由を尋ねられても
うまく答えられていなかった私にとって、
ぴったりの言葉がそこに書かれていたのだった。

いじめられている訳でも、勉強が嫌いな訳でもない。
(実質的には学級崩壊していたし、体調は崩していたのだが。)

自分で適切に「行きたくない理由」を表現できなかったそんな私に、

さくらさんは言葉をくれたのだった。

同じようなことを考えていた子ども時代を過ごし、
そうして大人になっている人がいる。

私はそのことに強く勇気づけられ、「子ども時代のさくらももこさん」という、心強い仲間がひとりできたように感じた。

今思えば、それが私と本との関係性を変化させたきっかけだったのかもしれない。


その後の生活は、本と共にあった。
自分の「好き」を見つけるのは試行錯誤を必要したが、それもそれで楽しかった。

はじめは警察小説になぜだか惹かれて、
その後は犯罪に手を染めてしまった者の心理を描いた小説を多く読むようになった。

社会から「悪」とされる側の人のことを、知りたいと思ったのかもしれない。


その流れで私は、中村文則さんの小説に出会った。

『教団X』に始まり、中村さんの本は今までにほとんど全て読んだと思う。

一番思い出深い『何もかも憂鬱な夜に』は、
心が沈んでいる時に共にいてくれる一冊で在り続けている。


そして、今まで生きてきた中で一番、本のありがたさを感じたのは、
就活で心身疲れていた頃だった。

「疲れたな、でも進んでいかなきゃ」と
何とか日々の予定をこなしていたあの頃。


買い物のため外出していた私は、突如強い焦燥感に襲われた。

全てをかなぐり捨てて、今すぐ走り出して逃げていきたいような。

このままでは平静を保っていられないと直感した私の足は、
書店へと向かっていた。

そこで目にした、前々から欲しいと思っていたが
ハードカバーで手を出していなかった、
西加奈子さんの『夜が明ける』を購入した。

今、買って読まなければ、と思った。


帰宅後、ほとんど一度も顔を上げずに、私はその本を読み切った。

過重労働とセクハラ・パワハラなどの数々の問題が痛いほどに描かれた小説である『夜が明ける』を読みながら、何度も涙を流した。

それは穏やかな読書ではなかった。

心が強く求めるままに言葉を体内に取り込み、
涙として外に流す、
ある意味で苦しく追い詰められた読書だった。

しかし、読み終えた後、こう思った。

「私には本が、読書という行為が必要なんだ」と。


就活という時期が遠い昔に感じられる今も、
もちろん私は本と共にいる。

限りある大切な時間を、読書に使おう。


そう思って、今日も生きている。


読んでくださり、ありがとうございました。