あなたが残してくれたこと
(まあ、そうだよなあ…)
わかってはいたけど
やっぱり、嬉しくない。
11月になって、細々とピアノと弾き語りの練習を再開させた。
毎日、じゃないけど
2,3日に一度、わたしはまとまった時間を確保して、ピアノを弾いて歌をうたう。
今までの数日間は「やっぱり練習すると、違うな〜意味あるな〜」なんて思いながら、成果を噛み締めていたのだけれど
今日は、全然声が出ない。
ヘルペスなんか作って、認めたくはないけれど、身体が「調子悪いですよ」と訴えているのだから、当然なのかもしれない。
ピアノの調子は、少し弾けば、ある程度取り戻すことができる。
と、自負している。
ピアノとの付き合いは、30年近くなる。
うたは、ここ数年で思い立ってはじめた。
「ふつうのひと」よりも、わたしは歌ってこなかった。
カラオケにもほとんど行ったことがないし、音楽の授業だってサボってた。
そんなわたしが、調子が悪いときに、「歌の調子を取り戻す」のは、なかなか難しい。
どうしていいか、わからない。
いままで教えてもらったことや、気づいたこと
口を大きく開ける
ひとつひとつの音を、点で意識する
リップロールをする
息をたくさん吸う
歌がきついときほど、ピアノに意識を置く
を、たくさん試したけど、ダメだった。
もう今日はダメかもしれない、と思ったときに
背中が丸くなっていたことに気づいた。
わたしは無意識のうちに、すっと背筋を伸ばした。
視線が上がる。
その瞬間、少しだけ声が、遠くに飛んだ。
調子が戻った、というわけではないけれど
「ダメなりに、しっかり歌えるようになった」という、手応えがあった。
(なんだ、そういうことか)
わたしはひとりで、笑った。
わたしは、この感覚をもう、知っていたはずなのに。
すっかり忘れていた。
*
もう、6,7年前のことだろうか。
わたしは当時、うたとピアノの二人組のユニットで活動をしていたのだけれど
すごく大切なライブがあって、かつて一緒に演奏をしていたドラマーを、一時的に呼び戻すことにした。
かつて、禁断のお菓子を飲むように一緒に食べた男だ。
お菓子については、もっと昔の話。
このドラマーは、わたしの先輩であり、あるときの家族であり、音楽のことをたくさん語り合った戦友だった。
もうほとんど会わなくなったいまでも、彼の演奏は「世界一美味しい空気のようなドラム」だと、わたしは信じている。
彼がいてくれると、息がしやすい。
そういう演奏をする人だった。
彼は、わたしたちのユニットを脱退したあと、しばらく別のバンドで活動をして、そのあと結婚して、よくある言葉で表現するのであれば、一線を退いていた。
久し振りのスタジオで、彼のドラムは、まあへたくそになっていた。
本番までの練習の回数は限られているし、どうしたもんかな。と
わたしたちは、口には出さず、虚無のような不安を抱えていた。
その次のスタジオで、わたしは驚いた。
彼のドラムが、もとに戻っていた。
わたしの愛する、彼のドラムだった。
わたしの知っている、息のしやすくなるような、世界で一番頼りになるドラムの音だった。
「ねえ、練習とかしたの? 前とぜんぜん違うじゃん」
わたしは、嬉しくなって問いかけた。
そうすると彼は、いつも通りの顔で、「なんもしてないよ」と笑った。
うっそだー、そんなはずはない、と思わず言ってしまうくらい
その前の練習とは、全然違ったのに、なにもしてない、と言うのだ。
じゃあ、違いはどこにあるのだろう、と考えたときに気づいたのは、彼の視線だった。
視線が、上がっていた。
下ばっかり向いてたら、合うものも合わない。今日は、彼とたくさん目が合った。
前回の彼は、自信を失い、視線を下げ、音も合わなくなる悪循環に陥っていただけだったのだ。
ほんの少し背筋を伸ばしながら、視線を合わせる。
自信のない自分を、霧払いして、自由になる。
ただ、それだけのことで、わたしたちの音は、劇的に変わった。
彼がそのときわたしに、教えてくれたことだった。
*
いま思い返すと、彼は見栄を張って「なにもしてない」と言ったのかもしれない。
それはもう、わからないけど。
それでもわたしは、この話が好きだった。
単純でおバカなドラマーが、ちょっと視線を上げただけで、調子を取り戻す。
ただ、それだけの物語は
いまでも、わたしの宝物だった。
力を抜いて、視線を上げて
身体と、視線を調整することで、「そのときいちばん良い状態」に、持っていく。
ただ、それだけのことだった。
わたしはもう、知っていたのだ。
わたしはこれからも、この物語を連れて
また、何度でも転んで、それでも笑って
これから先の、続きを、絵描いてゆくのだ。
練習5日目
(Twitterでは誤って4日目と書いてありますが…)
いつも調子が良いわけじゃない
うたはわたしの、ウリじゃない。
売れるものがあるとしたら、へたくそでも歩み続けてゆく
その過程しかないのだろう、と思って。
今日の練習風景を載せています。
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