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クッキーはいかが?

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1200文字以下のエッセイ集。クッキーをつまむような気軽さで、かじっているうちに終わってしまう、短めの物語たち
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#言葉

悪くない雑巾

 からだに力が入らなくて  本当は、ぎゅうっと絞り出して  いろんなものを吸い尽くして吐き出した  洗い立ての雑巾みたいに  晴れやかなピカピカで、話をしたかったのに  言葉を繋ぎ合わせることもできずに  ぽたりぽたりと零れゆく  理想に届かなかった夜は、すべてが後悔のように思えてしまうけれど  それもそれで、そんな夜だって  笑えなくても、やり過ごすことができたのならば  それはもう、悪くない雑巾の話なのだと思う。

今日も音の波に揺られながら、言葉を紡ごう。

毎日書くことは、 適切なBGMを選ぶ能力かもしれない * 最近はときどき、そんなふうに思う。 先月から思い立って「今日のBGM」をエッセイの最後につけることにした。 聞いていた曲のSpotifyリンクを貼っている。 そんなことをしていたら、「いろんな曲を聞いてみよう」と思えるようになったのは、ほんとうにふしぎだ。 わたしは、音の海を泳ぐことに決めた。 好きな曲と、作業用のBGMっていうのは異なる。 わたしはスガシカオを愛しているけれど、彼の曲を聞きながら言葉を紡ぐこと

クッキーちょうだい

すごく不思議と、 でもかなり日常的に、 「言ってはいけない」と思うことが、たくさんある。 のだと思う。 例えば、 わたしは同居人に「片付けて」って言えない。 言ったら気を使わせて、この家で居心地悪くなったら、それがいちばん悪いなあ。 と、勝手に思っている。 そんな話を友達にしたら、 「恋人と別れるときにね、”後学のために嫌だったことを言い合おう”ってしたときに  ”蛇口キツく締めすぎ”って言われた」 ていう話は、今でもじんわりときてしまう。 わかるなあ。 そういうことを

わたしをだまして

「よし、お風呂に入ろう」とわたしは言う。 家族にそう告げることもあるし、ひとりのときもある。 聞いてくれる相手の有無は、問わないのだ。 「お風呂に入る」と吐き出された声が、空気中をぐるりとめぐり、わたしの耳元に返る。 そのたった一秒と少しのあいだで、わたしの心は騙される。 さっきまで、「面倒だけとお風呂に入らなきゃ」やだなあという気持ちだったのに 「よし、お風呂に入ろう。なんかお風呂に入らなきゃいけない気がする」と、少しだけ前向きになる。 不思議だ。 どうしてわたしってば

顔も知らないあなたへ

チリン、 その音は軽く、遠くで聞こえた気がした。 ずいぶん控えめな音だった。 すぐに、自転車のベルの音だと気づいた。 そのときわたしは、工事中のずいぶん細い道を歩いていて、焦った。 反対側の道を自転車が通り抜けて行くのを見て、「ああ、あっちの自転車か」と思ったそのときだった。 「アリガトウ」 確かな声と、静かな音で、わたしの隣を自転車が通り過ぎていった。 ヘルメットに、競技用の自転車、おそらく2つ目以降の言語として習得された日本語の声。 たまたま道の端を歩いていたわ

食べることと、書くこと

「食べたいものが決まらない」 少しだけ顔をしかめて、彼女はそうつぶやいた。 彼女の家に行くと、結構な頻度でデリバリーを頼む。 わたしはいつも、「なんでも食べれる」とか「食べなくても平気」という回答になってしまうので、選ぶのは彼女の仕事だった。 スマートフォンの画面を、一生懸命に見つめている。 「ぜんぶ美味しそうに見える。ぜんぶ食べたい」と、あんまりまじめな顔で言うので、わたしは笑ってしまった。 食べたいものが決まらない、というときには、2種類あると思う。 それは、いまの

わたしには、そういう生き方がいい。

そろそろ、いいかもしれない。 充分、満足した。 そんな気持ちで、ふとんを蹴り上げた。 * 眠ってしまおう、と思う。 ときどき、そう思う。 「少し休もう」ではなく 「もういいよ」と思って、眠りにつく。 「あれもこれもやらなくちゃ」とか、 「今日の日課も終わってない」とか、 「掃除もしてない」とか いろいろ思うけれど、まあまあ、落ち着きたまえ。 眠ってしまおう。 今日のところは、それでだいじょうぶ。 * そんなふうに眠ると、朝が来る。 “相当”寝すぎない限り、最終

ときどき、好きだと思う。

言葉が、少し遠くなってゆくような 感覚、錯覚かもしれない。 零れ落ちているというか、 最初から、受け止めるお皿なんか、どこにもなかったような気がしてくる。 それでもわたしは、狂気に生きたいから、言葉を紡いでいる。 わたしの原点は、そこにあるような気がしている。 苦しい夜が幾度訪れても、手放すことが永劫の幸せとは思えない。 わたしは、そういう生き方をしてしまう。 悪くない、と思ってしまう。 ピアノはいいな、と時々思う。 練習は好きじゃないし、毎日の即興以外はほとんどピア

いつかわたしは、夜へと帰る。

夜もいい、と思う。 やっぱり夜がいい、と思う。 最近、朝にエッセイを書いたり、日課をこなしたりする日々を過ごしていた。 日課を朝にすれば、夜には何も考えなくていいし、そのまま眠れるのがいい。 朝、仕事に行く前の限られた時間、“妙に”研ぎ澄まされた空気。 それは、朝だけの特別な時間だった。 朝にしか動かない器官がわたしの中には備わっているようで、「朝はいいな」と思っていた。 同時に、夜が恋しくなった。 朝がいい、ということは「夜はよくない」ということではない。 朝もよく、夜

心に浮かぶ、風船を見つめている

「そんなことないよ」と 言われることは、わかっている。 * わかっている。 だいたいわたしの、杞憂なんだ。 ほんとにもう、びっくりしちゃうくらい、「杞憂」って言葉が、ぴったりだ。 でもほんとうは、 杞憂の奥底に、こびりつくような感情があるのだと思う。 なにかしらの、真実の色をしている。 でもわたしは、その色を言語化することができない。 だから、「杞憂」という名前しかもらえなかったわたしの感情は 誰かに届くことなく、「そんなことないよ」に打ち砕かれることもなく、 わたし

「さっきまで、あったのにね」

「あれ〜〜〜???」 枕カバーを持って、わたしは部屋の中をうろうろする。 そんなに、うろつけるほど広い部屋ではないのに、うろうろする。 「どうしたの?」 ゲームをしていた同居人が、律儀に尋ねてきてくれた。 「まくらがないの」 枕カバーをつけようと思ったら、まくらがない。 ベッドか、ソファーの上だと思ったのに。 「朝にはあったのにね」と、同居人が言う。 さっき、枕カバーを外して洗濯した。 そのときには、あったのに。 やっぱり、見つからない。 まくらなんて大きなものが、

深夜のポテトチップス

言葉はそこあるようで、溢れない 絞り出すこともできるけれど いま、それをすべきかわからない。 絞り出すことだって、悪くない。 だいたいこんなに毎日書いてるんだから、絞り出す日だってたくさんある。 ただ、そうすべきかどうかが、わからないだけ。 わたしはパソコンの前にしばらく座って それにも飽きて、ふらふらと家中を徘徊し始めた。 こういうときは、煙草でも吸うのがいい。 それから考えよう。 バリバリ、と音がした。 「今日はもう、ゲームをやって寝る」と言った同居人は、宣言通

言葉の掛け算

「慎重に、急ごう」 同居人がやっているRPGを、見たり聞いたりしながら、ぼおっと過ごしているときの出来事だった。 次の目的地に向かうところで、少年は「急ごう」と言った。 それに対して20代の主人公が、「急いだら危ないだろ」とたしなめる。 「じゃあ、慎重に急ごう」 それが、少年の答えだった。 ささいな言葉の掛け合わせだけど、なんだかとてもすてきに思えた。 RPGというのは忙しなく次の事件が襲いかかる。 誰かが困っていて、それを助ける繰り返しだ。 なんとなくしか話を見ていなか

だいじょうぶ

夜、ゴミを捨てに行った。 うちは、細い路地を入ったところにあるので 大きい通りまで、ゴミを捨てに行かなきゃいけない。 何十メートルか、歩く。 隣のアパートの入り口のところに、男の人が立っていた。 電話をしているみたいだった。 わたしは、邪魔にならないよう、隣をすっと通り抜ける。 夜中に、外で電話したい気持ちとか、しなきゃいけない状況とか、 ちょっと、わかる気がした。 「だいじょうぶだよ」 声が聞こえてきた。 「おれは、だいじょうぶだから」 重ねるように、声は言った