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食べることと、書くこと

「食べたいものが決まらない」
少しだけ顔をしかめて、彼女はそうつぶやいた。

彼女の家に行くと、結構な頻度でデリバリーを頼む。
わたしはいつも、「なんでも食べれる」とか「食べなくても平気」という回答になってしまうので、選ぶのは彼女の仕事だった。
スマートフォンの画面を、一生懸命に見つめている。

「ぜんぶ美味しそうに見える。ぜんぶ食べたい」と、あんまりまじめな顔で言うので、わたしは笑ってしまった。

食べたいものが決まらない、というときには、2種類あると思う。
それは、いまの彼女のような「すべて食べたい」というとき
もうひとつは、「なにを見ても、いまいちピンとこない」とき

いろいろおいしそうに見えるという彼女のすこやかさに安堵しながら、「それはよかったね」「ゆっくり選びな」と、告げた。

いま思えば、物事ってだいたいそうだよなあ。と思う。
着るものを選ぶとき、
今日つけるアクセサリーを選ぶときもそう。

ものを書くとき、もそうだと思う。
伝えたい言葉が溢れすぎて、多くなりすぎて、支離滅裂になるときもあれば
「なにもないなあ」と途方に暮れるときもある。

言葉に関していうならば、
そんなときは、少しだけ距離を置けばいいと思う。
それは時間だったり、言葉そのものとの距離だったり、
言葉通り、距離ー遠くを見つめたっていいと思う。
途方に暮れる、というのは案外悪くない。
そうして、言葉や感情のチャンネルを整えて、状況を整理してゆく。

ばんごはんなら、お蕎麦と中華を一緒に頼むのもいいかもしれない。
言葉でそれをやってしまうと、なかなかうまくまとまらないときがある。
そういうときは、次のあさごはんやばんごはんに
もうひとつ、記事を書けばいい。いまでは、そう思っている。

どうしていいかわからない
うまくいかない
なんていうのは、めずらしい感情じゃなのに、いちいち焦っちゃう。

焦るわたしも嫌いじゃないけれど、しばらくしたらのんびりとなだめて、少しだけ距離を置いて
時間と、わたし自身が解決してくれることを、これからも信じてゆくのだ。




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