![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/71652006/rectangle_large_type_2_1f58f8dcd4a060f9b670f7dc012ea64c.jpeg?width=800)
今日も音の波に揺られながら、言葉を紡ごう。
毎日書くことは、
適切なBGMを選ぶ能力かもしれない
*
最近はときどき、そんなふうに思う。
先月から思い立って「今日のBGM」をエッセイの最後につけることにした。
聞いていた曲のSpotifyリンクを貼っている。
そんなことをしていたら、「いろんな曲を聞いてみよう」と思えるようになったのは、ほんとうにふしぎだ。
わたしは、音の海を泳ぐことに決めた。
好きな曲と、作業用のBGMっていうのは異なる。
わたしはスガシカオを愛しているけれど、彼の曲を聞きながら言葉を紡ぐことはできない。
曲に優劣は存在しない。
あるのは、好きとか嫌いとか
あと、評価をするならばルールに準ずるだけで。
だからやっぱり、曲そのものの優劣は存在しない。と思う。
あふれる音の中を、わたしは彷徨う。
いまの言葉に、心に寄り添って
輪郭のない感情を縁取って、言葉にするのを手助けしてくれるような
そんな音を、選んでゆく。
ただ、それだけのことのような気がする。
*
あとは、「音を選ぶ」という土俵に立てばいい。
わたしの場合、最近は自室のパソコン前が作業場だから
まず、ここへ座るということ。
そして少しずつ心を整える。
無音にすることもあれば、他の人の文章を読むこともある。
ゲームをしてみたりもする。
先にピアノを弾いたりもする。
なにもしないで時間が過ぎることもある。
心を整えることは、慣れないと難しいかもしれない。
そう、最初からうまくできるようなすばらしい人間ではない、ということを
わたしは思い出す。
そうして少しずつ、揺られて、流されて、
わたしは、流れたい、と願っている。
言葉のある場所に
もしそこが、あんまり明るくも愉快でもなかったとしても
たぶん、他の場所よりは息がしやすい。と信じている。
いや、そこで息をしたい。とつよく願っている。
どうせ、適した温度で暮らし続けることができないのならば
わたしは今日も音の波に揺られながら、言葉を紡ごう。
そうして
どうにか
ようやく
言葉のとなりに、辿り着こうとしている。
スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎