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今日も音の波に揺られながら、言葉を紡ごう。


毎日書くことは、
適切なBGMを選ぶ能力かもしれない

最近はときどき、そんなふうに思う。

先月から思い立って「今日のBGM」をエッセイの最後につけることにした。
聞いていた曲のSpotifyリンクを貼っている。
そんなことをしていたら、「いろんな曲を聞いてみよう」と思えるようになったのは、ほんとうにふしぎだ。
わたしは、音の海を泳ぐことに決めた。

好きな曲と、作業用のBGMっていうのは異なる。
わたしはスガシカオを愛しているけれど、彼の曲を聞きながら言葉を紡ぐことはできない。

曲に優劣は存在しない。
あるのは、好きとか嫌いとか
あと、評価をするならばルールに準ずるだけで。
だからやっぱり、曲そのものの優劣は存在しない。と思う。

あふれる音の中を、わたしは彷徨う。
いまの言葉に、心に寄り添って
輪郭のない感情を縁取って、言葉にするのを手助けしてくれるような
そんな音を、選んでゆく。

ただ、それだけのことのような気がする。

あとは、「音を選ぶ」という土俵に立てばいい。

わたしの場合、最近は自室のパソコン前が作業場だから
まず、ここへ座るということ。

そして少しずつ心を整える。
無音にすることもあれば、他の人の文章を読むこともある。
ゲームをしてみたりもする。
先にピアノを弾いたりもする。
なにもしないで時間が過ぎることもある。

心を整えることは、慣れないと難しいかもしれない。
そう、最初からうまくできるようなすばらしい人間ではない、ということを
わたしは思い出す。
そうして少しずつ、揺られて、流されて、

わたしは、流れたい、と願っている。
言葉のある場所に
もしそこが、あんまり明るくも愉快でもなかったとしても
たぶん、他の場所よりは息がしやすい。と信じている。
いや、そこで息をしたい。とつよく願っている。
どうせ、適した温度で暮らし続けることができないのならば
わたしは今日も音の波に揺られながら、言葉を紡ごう。

そうして
どうにか
ようやく
言葉のとなりに、辿り着こうとしている。









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