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クッキーちょうだい

すごく不思議と、
でもかなり日常的に、
「言ってはいけない」と思うことが、たくさんある。
のだと思う。

例えば、
わたしは同居人に「片付けて」って言えない。
言ったら気を使わせて、この家で居心地悪くなったら、それがいちばん悪いなあ。
と、勝手に思っている。

そんな話を友達にしたら、
「恋人と別れるときにね、”後学のために嫌だったことを言い合おう”ってしたときに
 ”蛇口キツく締めすぎ”って言われた」
ていう話は、今でもじんわりときてしまう。

わかるなあ。
そういうことを積み重ねてしまう。

気遣いは必要だし、なんでも言い合うことが正義だとは思わないけれど。
ただ、おとなになってそういうバランスを、少し変えてもいいんじゃないかと思えるようになった。

それは、
「自分が言われる立場だったら、案外どうでもいいことも多い」ということに、気づいたからかもしれない。

いま、一緒にコーヒーを飲んでいる友達も「多すぎる仕事の資料を半分にしてって、ようやく言えたよ」と笑った。
わたしも彼女に「相手にお伝えすれば?」と、言えなかった。
ふたりして、言ってはいけないと思っていたのに、言ってみたら簡単なことだった。

でも、やっぱり伝えるのは難しいよね。
そう、伝える前に「自分がどうなりたいか」を考えなくちゃいけない。

「しあわせになりたい」と思ったところで、
「何が自分のしあわせか」ってわからないと
永遠にたどり着けないのと、たぶん一緒だ。

わたしたちはもう一度、「難しいよね」とうなずきあった。

「そういえば」と、わたしは言う。
「わたしもね、あなたに”クッキーちょうだい”って言うまで、3回クッキーを見つめたわ」

この部屋にあるお菓子は、だいたい自由に食べていいという認識なんだけど
スターバックスの、ホワイトチョコレートとマカダミアのクッキーは、彼女の「お気に入り」のやつだ。
わたしも好き。
3枚ある。
わたしも好き。
わたしも食べたい。
もちろん、黙って拝借するわけにはかない。

3回見つめて悩んだすえ、ようやく「ちょうだい」と口にしたのだ。
もちろんあっさり、「いいよー」と返ってきた。

「そんなこと」と、彼女は笑った。
「言えばいいじゃん」
「そう、そういうことなのだよ」

わたしたちは、笑いながら頷きあった。

まだまだ学びが多いよね。
理想を掲げて、口にしたり、行動したりすること。
難しいとか、だめとか、やっぱりまだまだ勝手に思っている。
でも、だいじょうぶ。
気遣いを忘れずに、少しずつ話せるようになろう。
「だめ」って言われたら、「わかりました」と、必要だったら「ごめんなさい」が言えれば、きっとだいじょうぶ。

わたしたちはまだまだ、愉快で適切な、心地の良い暮らしができるはずだ。
少しずつ幸福な成功体験をして、勇気にして、努めていけばいい。

まずは、クッキーひとつの物語から、始めてゆくことにした。




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