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クッキーはいかが?

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1200文字以下のエッセイ集。クッキーをつまむような気軽さで、かじっているうちに終わってしまう、短めの物語たち
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2022年1月の記事一覧

昼間のバスの、幸福感たるや

病院を出て、時計を睨む。 5秒だけ考えて、来ていたバスに飛び乗った。 * 病院へは、バスで通っている。 行きのルートは固定しているけれど、帰りに乗るバスは3種類ある。 ひとつは、家の近くに行くいちばん近いやつ。乗車時間10分と少しのメインルート もうひとつは、半端な駅に着く。駅には何もないし、バス停から駅まで微妙に歩くから、一度しか使っていない。 お気に入りは、遠回りのバスだ。 大きな駅ビルのある駅に着くっていうのもあるけれど 30分のバスを、わたしはときどき選んでし

わたしが、未来に残したい風景

あなたと、話をした。 外なのに、暖房があって あたたかくて、良い景色で。 あなたの、知らないことを知れた。 こういう時間が必要だったのだ、とようやく気づいた。 なんでもなさそうな時間にしか、紡がれない言葉がある。 「ねえ、君はどう?」 自分が話したあと、問い掛けてくれるやさしいまなざしが好きだった。 そうしてわたしも、安心して語り始める。 「また、一緒に来てくれる?」 次は違う遊びもしてみたいし、食べてみたいものもあるんだ。 もちろんあなたの好きなスターバックスに

コゴトをオオゴト

なんだか、すぐオオゴトにしちゃうね。 後回しにするたびに、コトはどんどん大きく膨らんで 手を付けられなくなってしまう。 という、錯覚。 * ありがとう、と思いながらぐっと唇を噛んだのは去年のことだった。 お見舞いに送られてきた入浴剤。 お風呂に入るのがいいよ、なんてやさしい言葉じゃなくて 「ずっとお風呂に浸かっていたい」っていうのが、彼女らしかった。 * お風呂に入る習慣があまりない。 シャワーでよくないか?と思う。 「シャワーじゃあったまらなくない?」って言われ

80億年後、地球はなくなる

最近、プラネタリウムを見ている。 ひまつぶしみたいに。 座れるし、眠れるし 何度見ても、悪い気はしない。 (一度聞いた話を、どうしてあんなにも覚えていられないんだろう) その日は、地球の過去と未来というタイトルで 地球の成り立ちから、滅亡までの話だった。 なにもない宇宙から、 ガス爆発のようなものを繰り返して、地球が生まれて 磁力が発生したり、水ができたりして、それから生命が生まれて、っていう話だった。 「もしかしたらこのとき、地球と同じように生命が発生した星が生まれた

洗濯機とわたし

やる気が起きないな〜と思うことがある。 よくある。 だいたいそうだ。 多くのことは「あとでいい」と思う。 いまやらなきゃ死ぬことなんてほとんどない。 そして、眠ることより好きなことだってないかもしれない。 もう少しだけ、うとうとしよう… それでも起き上がってみて、おなかも空いていなくて 「やっておきたいこと」はいくつかあって でも、まだ大丈夫。 もう少し。 「あとでいい」というささやきは、甘いなんてもんじゃない。 もう、ガッと、グッと わたしの腕を掴んで、陽気に歌ってい

あたたかな夜

「最近、ついに寒さを感じるようになった」と、彼女はまじめな顔で言った。 寒い地方の出身で、異様なまでに寒さに強く、年中ずっと裸足だった。 「君もついに、だね」と、わたしは笑った。 * 年々、寒さを感じるようになったというのか、冬が厳しくなったのか、わたしにはわからない。 彼女に宛てて「ついに」と言ったように、わたしはその転機を数年前からじわじわと受け入れていた。 「寒けりゃ寝ればいい」という、パワープレイを押し切れる大学生の頃とは少し違う日々を過ごしているからかもしれ

わたしじゃなくても、世界は回る

いまより冬が、深くなる前の頃。 そろそろだな、と思っていた。 毛布。 出さなくちゃ。 クローゼットを開けて、 圧縮袋から引っ張り出して 外に干して それだけなのに、なんだかうまくできなかった。 まだ、大丈夫だし。と思っていた。 強がりではなくて、ほんとうに。 冬用のパジャマに替えてから、ずいぶん経つ。 なんとなく、家族の分もパジャマの用意をしたりしていた。 別に、わたしがやらなきゃいけない、ってわけじゃないんだけど。 なんとなく、親切にしてしまう。 わたしはまだ大丈

ぽんぽこポンプ

「これ、なに?」 友達の部屋。 問い掛けたあの日のことを、いまでもよく覚えている。 ダンボールの中に、見掛けない形状のボトルがみっつ。 これはね、と彼女は語り始めた。 「押すと洗剤が出てくるやつ」 食器用洗剤用で、 食器洗いのときに、ボトルを傾ける必要がない。 スポンジで押せばいいだけ。 そうしたら、スポンジに洗剤がつくんだって。 なるほど。 それはなんだか便利そうだ。 便利そうだ、とは思うけど、あんまりイメージが湧かない。 わたしはさっそく、勝手知ったるこの家の洗

満腹の幸福

ああ、こうふくだ。 わたしはその夜、幸福を噛み締めていた。 じんわりと、あたかかく、広がるように。 * 実際、幸福の理由のひとつは、あたたかいことだった。 ああ、あたたかさのなんと甘美なことか。 冬の厳しい寒さの中でなければ、「あたたかな幸福」は生まれない。 寒さに耐え、あたたかな毛布にくるまれる。 夏場はあんなに蹴飛ばした毛布を、こんなにも、こんなにも愛おしく思っている。 * もうひとつは、「満腹であること」だった。 味覚と嗅覚を失ったときに、「おいしい」とい

深夜2時の宇宙船

昼寝が好きだ、と思う。 昼じゃなくても 電気を消さないような、ああ少し眠っちゃおうかな、という怠惰なやつ。 目覚めはいつも悪くて、のそりと起き上がる。 すっかり遅い時間になっちゃった。 深夜を、わたしは愛している。 * やることをなにもやっていないなあ、と思うことに絶望することもある。 うまいこと絶望がどこかに旅立って、何もしない日もある。 お風呂だけ、エッセイだけ、洗い物だけ、ピアノだけ ほんとうにひとつだけ片付ける日もあれば、 ひとつに手を付けると、次に進めるときも