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あたたかな夜

「最近、ついに寒さを感じるようになった」と、彼女はまじめな顔で言った。
寒い地方の出身で、異様なまでに寒さに強く、年中ずっと裸足だった。

「君もついに、だね」と、わたしは笑った。

年々、寒さを感じるようになったというのか、冬が厳しくなったのか、わたしにはわからない。
彼女に宛てて「ついに」と言ったように、わたしはその転機を数年前からじわじわと受け入れていた。

「寒けりゃ寝ればいい」という、パワープレイを押し切れる大学生の頃とは少し違う日々を過ごしているからかもしれない。
そうだ、あの頃は家にほとんどいなかった。
そしてあの家には、エアコンがなかった。
いや、なくはなかったんだけどーーー窓枠にはめるタイプのやつで、冷風しかでなかったので、「大きい扇風機」と呼んでいた。家賃3万円の部屋に、5年ほど住んでいた。

「乾燥するから、エアコンは苦手なんだよね」と言っていた。
それも、いまでも変わらないんだけど。

寒い。
もう、それどころじゃない。

次第に親しくなってきたエアコンとの関係は、今冬最高潮を迎えている。
もう、君がいないと生きてゆけない。

エアコンのついた部屋のソファーで、とろとろと横になっている。
何度か目が覚めて、寝返りを打ってまた眠る。
二人がけの小さなソファーはたぶん150センチで、わたしの身体を十二分に包んでくれた。
夜、ベッドに向かうにまだはやい。
ああ、でも今日はもう何もしたくない。
料理の音と、ゲームの音が鳴る中で、もう一度だけ、とまた寝返りのこの時間を信じられないくらいに愛している。

「寒いから起きられない」という、あの頃とは少し違う。
足りないことが生きる理由だった。
いまでも足りないままだけど、いまでは他人と比べて足りないことの多さに、妙に納得している。
諦めている、というと少し違う。
腑に落ちた、と思う。
ああきっと、むやみにすべてを欲しがらなくなったんだと思う。
他人が持っているものを持っていないと不安で、自分は欠陥品で、何か手に入れようと、常に努めなくてはいけないみたいな、あの連鎖から抜けたような気がする。
エアコンつけてソファーで寝て、それが幸福なら充分だって。
そうだ、足りないことより充分なことに目がいくようになったのかもしれない。

悪くない夜だ。
今日は何もしていない、などと思うことは想定範囲内なので、さくっと洗濯物だけ済ませてある。
なかなか賢くなったなあ。

やりたいけどやっていないこと、もまだある。
いやでも、まあいいか。いま幸福だし。

そうして幸福を溜め込んだあと、満足してふわりと起き上がる。
いま、パソコンの前に座っているわたしは、充分な幸福を呑み込んでいる。

ああ、良い夜だった。




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