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満腹の幸福

ああ、こうふくだ。

わたしはその夜、幸福を噛み締めていた。
じんわりと、あたかかく、広がるように。

実際、幸福の理由のひとつは、あたたかいことだった。
ああ、あたたかさのなんと甘美なことか。

冬の厳しい寒さの中でなければ、「あたたかな幸福」は生まれない。
寒さに耐え、あたたかな毛布にくるまれる。
夏場はあんなに蹴飛ばした毛布を、こんなにも、こんなにも愛おしく思っている。

もうひとつは、「満腹であること」だった。

味覚と嗅覚を失ったときに、「おいしい」という感情を失った。
「おいしい」がわからなくなったあと、なぜだか「満腹である」という感情まで、行方不明になってしまった。

なんだか味のわからないものを咀嚼して、味もわからないまま、気づいたら目の前の食べ物がなくなっている。
という感覚なので、「満腹」が行方不明になる、というのも自然な流れなのかもしれない。

「ああ、おなかいっぱい」と思うとき、
「ああ、おいしかった」がセットなのだと、ようやく気づけた。

この冬、わたしはお雑煮を食べている。

危険な食材をぜんぶ抜いた出汁に餅を入れて食べる。ということに成功した。
あたたかいものを食べられて、安心して、たいして味もわからないのに「おいしい」と言って、ボロボロ泣いた。恥ずかしいくらいに。
そして、たくさん食べた。

お雑煮について詳しく知らないのだけれど、お正月だけじゃなくてもいいよね。
お鍋には、今年2度目のお雑煮が仕込まれている。

ああ、こうふくだ。

わたしは、わたしなりのささやかな幸福を噛み締めて、じんわりとする。
冬の、あたたかいおふとんの中で。

ほんとうは、窓の横に設置されたベッドは、隙間風が冷たくて、寒くて目が覚めることも在る。
冷たさはなんだか心を不安にさせて、「このままで大丈夫なのだろうか」とわけのない不安に吹かれることもある。

それでも、
わたしの幸福は、不安に打ち負かされない。
そもそもこのふたつは、争ってはいけないのだ。両立する。
不安もあるけど、幸福でもある。
不安については、状況を整理して、改善のための努力をするから今日のところは許して欲しい。

そんな夜があったって、いいじゃないか。
今日は、あたたかさと満腹で重たいおなかを抱えながら幸福に眠ろう。



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