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あの日孤独だったから始めたそれだけのことを、だけど今日はたしかに、いとしいと言える



 私以外 知らないこの傷を
 強く 深く 愛せるはずないんだ
 どうせ みんなもそうでしょ? 何か言って
   - Sissy Sky/宮川愛李


 昔々に、私が小説を書き始めた理由なんてたいしたことはない。さみしかっただけだ。学校にも、家の中にも、居場所を見つけられなかった。一日の大半をいじめられて過ごし、仕事で疲れ果てて帰ってくる親とは不仲で、月刊の漫画雑誌の付録のノートに、言葉を吐き出すことを覚えた。華やかでかわいい女の子が描かれたかわいいその用紙に、澱んだ感情を綴っていく。私は、どうあがいてもかよわいいきものにはなれそうにもなかったので、漫画の中で笑顔を振りまく愛らしいキャラクターたちを、付録のノートにも描かれた彼女たちを、息つく暇もないくらいの言葉で埋め尽くすことに必死になった。端々に散りばめられた花なんか、いくらでも黒く塗りつぶした。たぶん、それが私の最初だった。

 あの頃の私は、書くことが楽しいなんて思ったことはなかった。書かないと死ぬ。死ぬしかなくなる。私が私の言葉を失ったら、私は呼吸を忘れるだろうし、渇いて、喘いで、続いていく日常の絶望で干涸らびる。異世界から迎えが来るわけはなかったし、ある日突然価値を見出されて憧れの人になれることもなく、翼も生えない、とろいだけの足で逃げ出すさきもない、私の指先は魔法を使えないから生き残った男の子のような英雄にだってもちろんなれない。だから書くしかなかった。生きるために書くしかなかった。

 別に、何も、巧く書くことなんてできなかったし。
 どこかで読んだことのある、ありふれた言葉しか知らなかったし。
 創意工夫に富んだ物語の断片すら、ひとひらも持ち合わせてはいなかったけど。だからいくら言葉を綴ったところで、特別な私にも、世界でただひとつの物語にも、何者かになることもできるわけがなかったけど。こんなものを毎日書きためたところで、誰かに必要とされる日は来ないって、最初から、本当はずっと知っていたんだけど。

 あいしたかった。
 生きていくことを愛してみたかった。

 ここで生きていていい私でいたかった。



 私、「文章を書くことが楽しい」とか「小説を考えることが好き」とか、いつから言えるようになったんだろう。悲しいこと、つらいこと、苦しいこと、さみしいこと、憎いこと、許せないこと、死んでしまいたいこと、そんなことばかり書いてきたこの道だったのに、いつの間にか愛しいものに変わっていた。恋しい、嬉しい、楽しい、幸せ。言葉が、文章が、物語が、私の許を去ってどこかへ旅だってゆく、誰かが見つけて好きだと言ってくれるそのことを、一体いつから、こんなに尊く想うようになったんだろう。

 この一年、くりかえし、その気持ちを掬いあげては考えた。

 書くことをいつからこんなに好きになってしまったんだろうって。生きるためでもなんでもない、好きだから書いていたいそれだけで、両手の指がパソコンのキーを自由に踊る、こんなふうになったのかしら、って。傷つくことだけがあたかも特技のようだった、あの日の私が書き始めた理由は全然、これっぽっちも、きれいなものではなかったのに。

 あなたが私の言葉を好きだと言ってくれるのが嬉しかった。
 嬉しかったんだ、本当に。



 あなたがくれた、降り積もった花びらをひとひら摘まんで、矯めつ眇めつ、私は今日も、光に透かしている。ひとりだけど、独りじゃない。
 大丈夫、きっと明日からも私、歩いていける。
 いまはちゃんと信じられる。


 手にしたい光がある君は今 寄る辺も無くひとりで岐路に立つ
 もう後戻りできぬように、と今 横切る不安を殺して帰路を断つ
 失いがたい光だった 優しい易しい あいだった
 それでも、君は行くんだろ
 足りないものは足りないままで構わないよ、今から探しに行こう
 強さは要らない 何も持って無くていい 信じるそれだけでいい
   - 航海の唄/さユり



(and then, will be bloom)

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