レールを外れても外れても戻っていくわたしの話(社会人編)

前回、学生編を書きましたので、社会人になってものらりくらりやっているわたしの話、社会人編を書こうと思います。

レールを外れても外れても戻っていくわたしの話(学生編)がまだの方は、ぜひお先にそちらどうぞ。


楽しい楽しい大学生活。
入学時、親から、大学に行ってくれるだけでもいい、卒業に何年かかってもいいと言われていたわたしは、入学当初まったく就活をしようなんてことは考えていませんでした。

でも、就活セミナーが始まり、周りが就活を始めると、流されるように就職活動をはじめ、東京の某IT企業2社から内定をもらいました。(当時は氷河期でしたが、狙った先がITだったのもあり、学年で最速で内定をもらいました。)

そこにそのまま就職するつもりでいましたが、色々と事情が変わり、急遽地元に帰ることになりました。

そして、バリバリの文系学部卒で司書資格をもっていたわたしは、適当に見つけた地元の中規模病院の院内司書に応募し、内定をもらいました。

が、しかし、実際の配属はメディカルクラーク(医療秘書)でした。
それでもまあいいか、と思ったのが運の尽き。
理由はいろいろありますが、女の園のような職場が務まるはずもなく、3ヶ月で退職しました。


その後、2ヶ月ほどニート生活を満喫し、飲食店のキッチンのアルバイトを始めました。
これはとっても楽しくて、料理の手際と盛り付けを習得しました。
人が足りていなくて10時間休憩も取らずに働く、帰ると2キロ痩せてる…!、みたいな環境でしたが、精神的な負担がほとんどなく、1年半くらい続けていました。

仕事自体は好きだったのですが、あまりに人がいなくなり、シフトが決まらなくなっていきました。前日か、悪いときには当日に連絡が来て出勤か休みかが決まるようになったことが耐えられず、辞めることにしました。


それから、もう少し将来に役立ちそうなバイトをしよう(就職する気はなかった)と思い、パソコン教室のインストラクターのアルバイトを始めました。

インストラクターというよりは、営業、ティッシュ配りがメインなこと、MOSのExcel試験に満点合格したのに、同日に受けていた教室長の愛人がひどい点で不合格になり、まったくわたしの合格に触れてもらえないということがあったりしながら、少しずつモチベーションを下げていっていました。

ティッシュ配りをしていると、正社員で生命保険の営業にならないか(生保レディーというやつ?)という勧誘が数社からあったりして(保険会社がたくさんあるエリアだった)、あー他の仕事もいいなあなんて思っていました。

そのころ、シフト表に教室での自主学習の時間が組み込まれるようになり、「時給が発生しないのに拘束されるのはおかしい」と教室長にかけあったのですが、改善されることがなかったため、逃げるようにやめました。


そして、一念発起して就活を始めました。

が、高校中退、最初の就職先を3ヶ月で退社、アルバイトを転々とした経歴が響き、なかなか決まりませんでした。
(この頃受けた会社の中から、のちに、やっぱりうちに来ませんかと連絡が来るという事件がありましたが、そのときには派遣で楽しく働いていたのでお断りしました。)

そして、なんとなく登録した派遣会社から紹介された仕事に、なんとなく就いたのでした。そのときは、「なんかできることが増えそう」くらいの感覚でした。


その派遣先は、とある公共系システムのヘルプデスクでした。

役立つことをと始めたパソコン教室のインストラクターのアルバイトの経歴から、パソコンにアレルギーのない人という判断をしてもらい、決まった仕事でした。

ここはここで、1つ記事が書けそうなくらい紆余曲折あったのですが、結果的に2年半務め、わたしが現在の職場で、社内SEとして働くきっかけとなったのでした。

この職場で覚えたことは本当にたくさんあります。
最終的に上司が退職し、システムの運用を一人で担当した数ヶ月も含め、とても多くの経験を積むことができました。


ヘルプデスクを退職したあとは、職業訓練校に半年通いました。
社内SEを養成するようなコースで、内容は基礎的なところばかりでしたが、今の仕事に就くうえでは、とても有意義なものになりました。


職業訓練校を終えると、本来は正社員として働かなければなりません。声がかかった会社の中から2社の試験を受け、内定をもらったのですが、どちらも気が進まず辞退してしまいました。
そして、就職先を決めないまま、修了してしまいました。


再び派遣会社に登録し、今度はパソコンのセットアップ兼社内ヘルプデスクの仕事を始めました。

これは1年半ほどでしたが、ここでの経験も今の仕事に活きています。


そして派遣期間が終わり、再び職を探しました。

小さなWEB制作の会社を受け、内定をもらいましたが、面接の時に会った社長と絶対に合わないと確信があったため、また辞退しました。

派遣会社に仕事を探してもらっていると、正社員としてうちの社内SEにならないか、という話をもらいました。

これが今の職場です。

真面目にやってきて良かったなあ、投げ出さず期間満了まで続けてよかった、と心から思いました。

本当は新卒でしたかったIT系の就職に、30歳を目前にして、ほとんど未経験で就くことができる。

やりたいやりたいと言い続けてよかった、夢は叶うんだ、と本当に浮かれました。


そして今、入社9ヶ月で休職状態ですが、今後、今の会社に戻っても、辞めても、きっとわたしはわたしのやりたいことをのらりくらりと見つけて、しれっとやっているのだろうなあと思います。

こんなわたしの、フラフラした人生ですが、ひとつだけ決めていることがあります。

それは、どうでもいい選択をする時こそ、自分の将来への貢献度を基準にすることです。

情熱があって、やる気があって、やりたいと思うことは、損得関係なしに手を出してもきっと後悔しません。

だけど、どうしようかな〜なにしようかな〜と思う時には、役に立ちそうなことという基準で選ぶようになりました。

実際、パソコン教室のアルバイトから、2つの派遣先、職業訓練校、そのすべてが今の仕事につながっています。


今はまだ戻るだけの元気が湧いていませんが、今の職場で復帰できるくらいの気力と体力を取り戻したいと思います。ずっとやりたかった仕事ですから。

まあ、戻らなくてもなんとかなるのが人生ですが。

それくらい、気楽に行きたいですね。


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