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「文学部での学びは役に立たない??」

このテーマ、よく議論されていることかと思います。私も文学部に所属する一人であり,入学当初から考えを巡らせていたテーマです。

先日私は,大学受験を控える高校生の相談にのる機会がありましたが,毎回のようにこの質問をされました。似た質問には,以下のようなものがあります。

「就活を諦めてるんですか?」
「文学なんて学んで,どんなメリットがあるんですか?」

今回は,文学部4年生となった私の現時点での考えと,そう思う3つの理由などを記しておきます。(本心では,そもそも「役に立つか」という言葉がしっくり来ていませんが…)

私の答えは,「文学部での学びは,間違いなく意義がある」です。


①ものの見方が変わる

文学部での学びには,答えがないことが多いです。教科書がないことも多く,一つの作品に対して思ったことを議論したり,社会現象に対して「本当にその見方でいいのか?」と疑ってみたりします。この時に大切なことは「自分が発信したことが正解か否か」について悩むのではなく,「自分はこう思っている。一方で,相手には違った思いがある」ということをただ味わう,そしてそれを踏まえたコミュニケーションをしていくことです。答えがない問いにおいては,各自が思っている内容自体には優劣が無いのですから。

また,文学部での学びでは問いが決まっていないということもしばしばあります。日常では娯楽として消費しているものすら問いのきっかけにし,学問的な問いや考えへと昇華していくのです。私はこれまでに,CMソングや「笑」「エモい」といった若者言葉などについても考えてきました。

そうしたことを繰り返していくうちに,世界の解像度が上がって日常がより刺激的になったり,高校までに無意識に身に着けていた偏見が少しずつ取れてきたりします。

このように「主体的にあらゆる物事を考える力」は,いつでもどこでも,価値のあるものなのではないでしょうか?


②自分への見方が変わる

文学部といえば人文科学を学ぶ代表的な学部です。この人文科学とは,人類の文化全般に関する学問の総称であり,私は「いわば人間学だ」と考えています。

国文学では登場人物や作者などの人間やそれを取り巻く環境,歴史学では人間の歩み,言語学では人が紡いできた言葉…といったように,人文科学はとにかく色々な角度から「人について考え尽くす」学問です。

そのように常に人について考えていると,最も身近な人間に自然に目が行くようになります。


それこそが,自分です。


登場人物の感情に共感したり,はたまたしなかったりして,「どうして自分はこう思うのか」と考えます。

激動の時代について知ることで,「この時代に自分が生きていたらどうしていたか」と考えます。

私自身,心理学の様々な現象を学び,「あの時の自分のモヤモヤはこれだったのか」と知ることも多くあります。

また,先ほど書いたように自分の意見を述べる場が多いため,人と話す中で「実は私はこんな意見を持っているのか」と驚いたり,「実はここに興味があるのか」と気付いたりもします。

自分というものは,会社に入ろうが結婚しようが,この世界が一変しようが,これらを知覚している私という者がいる限り存在し続けます。

役に立っているかかどうか試されている時には,少なくとも自分は常にあるのです。デカルトの言葉が思い出されますね。

しかし,この最も身近な自分について深く考える機会は,なかなか持てるものではありません。それならば大学時代にじっくり自分と向き合い,一生付き合っていく相棒を知って磨いていくことは,今後の人生を助けてくれるのではないでしょうか?

③そういう人に囲まれる、ということ

①②の気づきを,文学部以外の場で得ている方も沢山いらっしゃると思います。それは勿論素晴らしいことです。

ただ文学部の良いところは,「周りが皆その気づきに晒されている」というところだと思います。各自が,自分と自分の専攻に向き合う場所にいると、物凄い刺激を日々受けることになります。一人一人が考えを持ち、それを伝え合い,相互作用が起きてお互いに高めあっていく過程は,大学のあるべき姿だと思います。

このような人との関わりは,大学を出てからも自分の財産として生き続けるのではないでしょうか。

それでも不安な方へ

しかしこれらを聞いたとしても,「私,全然大学の勉強が今に活きていないんだよね」「大学時代は時間を無駄にしたなぁ」といった文学部出身の方の声を思い出して納得いかない方がいるかもしれません。

また,「社会のあまりにも大きい声に,反発するまでにはいけない」といった方もいると思います。様々な人生の先輩から成り立つ社会の言うことが正しく聞こえてくるとき,私にもありました。

そういった方にこそ,最後の話を聞いていただきたいのです。

相関関係と因果関係のはなし

「関係がある」という言葉の裏には,相関関係と因果関係という大きな二つのものが考えられます。

相関関係=一方が変化すると他方も変化するような関係

因果関係=一方が原因,他方がそれの結果となるような関係

つまり,相関関係の一部は因果関係でもあるということです。

何が言いたいかというと,「文学部の学び」と「役に立たなさ」あるいは「就活の失敗」などは,「相関関係にあるかもしれないが因果関係とはいえない」と私は考えているのです。仮に今までの人の軌跡があったとしても,自分も同じ結末になることなど決まらないのです。

専攻は勿論大切ですが、大学生にはそこでの学び以外の時間も多くあります。アルバイトやサークル、自分で興味をもって学ぶことなど…それら全てが「大学生活」であり,その後の生き方へと関わっていきます。大学生活がその後意義を持つものになるかは,これらも含めて考えるべきかと思います。

むしろ私の感覚では、「文学部って楽なんでしょ」と言われるような講義時間の合間で、様々に個性ある自分を作り上げている方が多いかと思います。そこの時間の使い方は,専門分野を極める・サークルに精を出す・起業するなど様々であり,まさに自由に決められる大学生の醍醐味と言えるでしょう。

これらの時間も含めて大学生活をどう生きるか,これがその後人生により影響するものなのだ,と私は感じています。

自身の思う方へ勇気をもって進んでいくこと。そうすれば,想像していなかった相関関係の中で,想像していなかった未来になるかもしれません。

文学部に行きたい自分に気付いている方は,ただ一人の自分を信じ,踏み出してもいいのではないでしょうか。


夏休みも終盤に入り、志望先が決められない受験生は焦る気持ちが出てきているかと思います。

親御さんや先生も、早く腰を据えて勉強に集中してほしいと祈る思いが出てきたのではないでしょうか。

私自身はここまで書いてきたことが持つ力を信じ、高めたいと考えて今後も進んでいきます。悩んでいる方に一つの視点を提供できていましたら幸いです。

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