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【短編小説】落ちたトマトで蘇るある夏の暑い日の物語


「拓実!!うるさい!!いい加減にしなさい!!」


3歳になる孫が狭いリビングを走り回っている。
隣の寝室では生まれたばかりの叶(かなう)がやっとお昼寝したところだ。
精神的にも肉体的にも参っている娘の依実(つぐみ)は今にも泣きそうな顔で静かに怒っていた。


「拓ちゃん、お外でばぁばとプールしようか。」

「いやだ!」

「拓実!なんでよ!行ってきてよ!
もうママを一人にして…」

「じゃあ拓ちゃん、アイス食べにイオン行く?」

「…いくー!!」

「つぐはゆっくりしてなさい。
お昼寝もさせて帰ってくるから。
叶、ゆっくり寝てくれたらいいね。」

娘は「ありがとう」と声にならない声で返事をし、拓実が残してぐちゃぐちゃになった昼ごはんのうどんを食べ始めた。

「つぐのうどん、冷蔵庫に入れてあるからね。」

泣いているのか、返事はない。

「ママいってきまーす!」

拓実は意気揚々と靴を履き、私の手を思いっきり引っ張って走り出した。
慣れない車を運転し、拓実の気が済むまであそびに付き合い、大好きなアイスを買い、帰りの車で即爆睡させることに成功した。
いくつになっても、この瞬間はガッツポーズが出そうになるほど嬉しい。


1時間半ほどして起きた拓実とスーパーで買い物をし、16時をちょっとすぎた頃に帰宅した。
娘は少し落ち着いたのか、拓実とご機嫌で話している。


さすがに私も疲れた。
夕食は炊き込みご飯と具沢山お味噌汁、ゆでとうもろこし、トマトのサラダで許してもらおう。
お惣菜もたくさん買ってきたし、拓実も何かは食べてくれるだろう。

ここ最近好き嫌いが激しい拓実は、ほとんどご飯を食べなくなった。
麺類やお菓子くらいだろうか。
野菜はとうもろこしだけ。
ほんのたまにトマトを食べてくれる。
けれど、気に入らないとすぐに床にぶちまけてしまう。

ガチャン

鈍い音がして、娘は拓実に軽く舌打ちをした。
床には一口サイズのトマトが散乱している。

「ご飯で遊ばない!
食べないならご馳走様してあっちで遊んできてよ。
毎日毎日同じこと言わせないで。
ご馳走様は?」

「・・・」

拓実は何も言わず、リビングのブロックをひっくり返した。
ガチャガチャと大きな音を立てたブロックに驚き、叶は泣いている。

「じぃじ帰ってきたら拓実お風呂入れて寝かしつけしてもらうから。
お母さん叶見とくから、つぐは自分のご飯食べてお風呂入っちゃいなさい。
拓実はまだまだ遊びたいだろうから。」

娘はまた泣きそうになっている。



23時

ようやく静かになったリビングに、授乳で目が覚めた娘が来た。


「眠れなくなった?」

娘はコクッと頷いて麦茶を一気飲みし、ソファにどさっと座った。



「ねぇお母さん。
私のこと叩いたことある?」


「え?!叩いたこと…
そうねぇ、こつんとこつくくらいなら何度もある。
あなた、全然反省してなかったけど。」


「いや、もっと本気で。バチン!って。」


娘の顔はいつもの表情だった。



「ある。」


「えっ!あるんだ!いつ?」


「ちょうど拓実と同じくらいの時、2歳になって少ししてかな。
その時も今日と全く同じ。
つぐも拓ちゃんと同じように、毎日のようにご飯で遊んで床にぶちまけていたの。何度言っても、どんな注意の仕方をしても、一向に治らない。
それで、たまたま前の日に嫌なことがあって寝不足の時にね。お父さんは朝早くに家を出るし、二人でご飯食べてたんだけど、ご飯気に食わなかったんだろうね。小さな手でペン!っとお皿を叩いて床にぶちまけちゃったのよ。一口サイズに切って皮を剥いたトマトが虚しく転がっていて。
それを見ていたつぐの頭を思わず叩いてしまったの。
カッとなっちゃってね。」


「そっか…
でも、その一回だけなんだ。」


「うん。その1回だけ。
叩いてしまった右手が震えてしまって、ベソかいて泣くのを我慢しているつぐの顔を見ていたら、今までで感じたことないほど心がエグられてしまって。
でもお母さんもまだまだひよっこだから、すぐに抱きしめてあげられなかったの。
つぐはとても悲しそうにこっちをまっすぐ見て、嫌いにならないでほしいと表情で必死に訴えていた。
トマトを拾って布巾を取りに行こうとした時も、ずっとこっちを見ていて、今まで見たこともないような表情で私のご機嫌を取ろうとしていた。
キッチンにトコトコやってきて「ママ」ってズボンの裾をそっと握って。
いつもなら私が「めんめ!」って言っても、知らん顔したり「め!」って言い返したり、時には叩いたりつねったりやり返されていたのに。
私が本気で怒っていることに気がついたんだろうね。
それんなつぐを見て、本当にやったらダメなことをしてしまったと思ったの。」


「お母さん…」


「でもそのあとちゃんと抱きしめて謝って、大好きだよって。つぐもごめんなさいして仲直りしたのよ。
でもね、もうこんな顔一生させちゃダメって思って、神社に行ったの。」


「神社?」


「そう、神社。
その日の前から嫌なことが続いていたし、叩いてしまったという罪悪感とあのつぐの表情で心がものすごく詰まってしまって。
自業自得なんだけど、清めに行きたいなと思ってね。
それで、つぐを保育園に送ってからバスで下鴨神社に行こうと思って。
でもそしたらバスは間違えるわ、行ったこともないようなよくわからないところに着くわ、朝ごはん食べていない上に寝不足でバス酔いするわ、外めっちゃ暑いわで、踏んだり蹴ったり。」


「はは、それはつらい。笑」


「でも、こんなの序の口だったの。
とりあえずバスは上賀茂神社のほうに向かってたからそこで降りて、上賀茂神社にお参りをしたのね。
初めて行ったけど、すごいよかったのよ。
自然たくさんで、とっても神聖な感じがして。
鳥居がたくさんある石の階段を登って、息を切らしながらお参りして。
で、なんかすごく心が洗われた気がして。
帰り道、石の階段を下っている時に、すごいわさわさと風が吹いて、葉っぱの枝が頭にコツンっと当たって、あぁ神様が清めてくださったんだと思って。」


「へー!」


「はじめはなんでこんなことに…って思ってたけど、ここに来てよかったって。
それに、ずっと行きたかったベーグル屋さんも近くにあって、歩いて25分くらいかな。
もうこんなところ来ることないと思って、歩いたのよ。炎天下の中。
むしろここに行き着いてラッキーって思いながら。」


「それでそれで??」


「そこすごい人気だからいつも行列らしんだけど、たまたまお母さん以外一人しかお客さんいなくて。
ゆっくり選んで、お腹ぺこぺこだったからベーグルサンドと普通のベーグルとマフィンを買って、隣の公園で食べようとしたのよ。
公園は誰もいなくて、めっちゃ食べにくいトマトと卵とチーズがたっぷり挟まったベーグルサンドを口の周りぐちゃぐちゃにしながら貪ってたの。笑
そしたら、上の方に大きな鳥がやってきて。
ワシかなぁ。
お母さん、鳥嫌いじゃない?
めちゃくちゃ嫌な予感がして、一旦さっと包み直して手に持ったまま逃げたの。
でもまだ飛んでて、怖すぎて公園から出ようと思ったら、後ろからガザ!!!!って手に持ってたベーグル掻っ攫われて。」


「えー!!大丈夫だったの?」


「掻っ攫われた瞬間、ぎゃー!!って久しぶりに大きな声で叫んで、ベーグル落としちゃって、でも怖すぎてそのまま走って逃げたのね。
鳥は落としたベーグル咥えて飛んでいって。
もう、怖くて震えが止まらなくて、過呼吸になって、座り込んでるのも怖いからお父さんにLINEしながらひたすら逃げるように歩いて。」


「過呼吸で震えながら歩いてるって怖!笑」


「うん、タオル握り締めながら必死に歩いて、ふと我に帰ったら右手から血が出てて。それ見るたびに何度も襲われた瞬間フラッシュバックして。笑」


「散々だったね…」


「でも、バチあたったんだろうなと思って。
つぐのこと、大切に思えていなかったから、叩いた右手のこと忘れないようにって神様が罰をくださったんだと思った。」


「それで、それっきり本気で叩いたことないの?」


「そう。どんなにカッとなっても、あのワシに襲われた時の恐怖が蘇って、冷静になれるのよね。
それに、あの時の恐怖以上に、つぐはお母さんのこと怖かっただろうなって。」


「そっか…」


「お母さん、それまで何度も何度もつぐに手を上げそうになってたの。
ほんと、自分のことばっかりで、つぐのこと大切にしたいと思っててもなかなかできなかった。
でも、やっぱりこのままじゃダメだと思って神社に行ったの。
だから結果よかった。鳥に襲われて。笑」


「私も一回行こうかな…上賀茂神社…」


「つぐにもタイミングがきっと来ると思う。
今は本当に大変な盛りだけど、ちゃんと一生懸命向き合えば、何かが変わる時が来る。
生きてる人間だもん。
そりゃイライラするし、心はコロコロ変わる。
それと向き合い続けながら、可愛い怪獣たちに振り回されるのが育児なんだと思う。
だから育児は大変なの。
だから、気にせずいつまでも甘えていいからね。」


楽しそうに聞いていた娘はまた涙ぐんでいた。


「お母さんがお母さんで良かった…
ありがとう。」


「何言ってるのよ…。
ごめんね、疲れてるのにこんな昔話だらだらと。
そろそろ寝よう。
すぐまた叶が起きる時間になるよ。」

嬉しさで涙が出そうになり、どう反応していいかわからなかった。


子供のように弱々しく歩く娘の肩を右手でそっと抱き、怪獣たちが眠る寝室へ向かった。


私たちは、みんなで並んで眠れる幸せをぎゅっと噛み締めた。

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