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将来の夢と錯覚しておく。その方が都合がいい。

将来の夢なんてない。

正確に言えば、「将来の夢は何ですか?」と聞かれた時に一般に期待される答えを持っていない。

私の究極的な夢は、「愛する旦那と幸せな家庭を作ること」である。(まだ旦那はいない)

しかし、「将来の夢は何ですか?」が出現する場面とは、入学・就職の面接や、二十歳の抱負を求められたりするような場面である。そのような場面では、これまでの経験や学歴から期待されること以上の夢を語ることが求められる。

製菓学校に通った人が将来の夢を聞かれた時に、「パテシエになることです」と答えるのは、その人の製菓学校に通ったという経験に照らして当然に期待される解答である。しかしながら、法学部の4年生大学に通った私が「パテシエになることです」と答えても、納得を得るのは難しいし、「そういうことを聞いたんじゃない」と言われてしまうだろう。

つまり、今後私が「将来の夢は何ですか?」と聞かれるであろう場面では、男女平等推進社会を生きる現代女性に道が開かれ始めたキャリア上昇志向、4年生大学を出た多くの人が望むであろう職業人としての成功を語ることを期待されているのである。そのような場面で、男女平等にも4大卒にも全く関係のない「愛する旦那と幸せな家庭を作ること」は全くお門違いなのである。

幸い、私にとって将来の夢を語らざるを得ない場面は、物心着いた頃からはそんなに頻出する機会ではなく、求められる将来の夢がないことに困り果てる機会は殆どなかった。

しかし、最近ついに出くわしたのである。将来の夢を語らざるを得ない場面に…。

先日、奨学金を大学経由で申し込んだ。しかし、その奨学金申し込みのために必要な小論文のテーマが「将来の夢」だったのである。A4を3枚書く必要があり、なかなかの分量である。しかし、大学生にもなれば興味のない分野のレポートを書く機会が多く、全く自分の考えもないテーマであってもあたかも熱心に訴えたい主張があるかのように書く能力が磨かれるのである。そんな私にとって、将来の夢はないが、あたかも必死でそれになりたいと願うような偽物の将来の夢の文章を書くことは容易かった。

容易く書けるとは言っても、本当の将来の夢はお嫁さんになることであるにも関わらず、小論文で求められる職業としての夢を真の夢らしく書くことは、自分に嘘をついているようで苦しかった。

しかし不思議なことに、いざA4を3枚書き上げると、だんだんそれが本当に将来の夢である気がしてきたのである。

その小論文で書いた将来の夢は、全くやりたくないことであるとかではなく、将来働かなくてはいけないのなら、この職種で働きたいというくらいには思っているのである。

将来の夢を意気揚々と語る人は、このように”強いて言えばコレ”というような様態であっても将来の夢として立派に語っているのだろうか。自分が今まで将来の夢に対するハードルが高かったのだろうか。

それとも、小論文でかいた夢は、やはり実際には”強いて言えばコレ”の領域を出ることはない唯の目標にすぎず、文字起こしをすることで将来の夢であると錯覚しているのだろうか。

しかし、今のところは、小論文で書いたものを錯覚だとしても”将来の夢”としておく。その方が都合がいいから。将来の夢と思っておくことで、就活だって頑張れるだろうし、夢を語る場面でそれらしいことを語れる。それに、他に頑張りたいこともやりたいこともない。とりあえず敢えて錯覚しておくことの方が私にとって有益なのだ。

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