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海士町は生きることのテーマパーク

海士町にないものはない。だって、生きることの全てがここにあるから。

2024年2月末、無名人インタビューチームで島根県隠岐郡海士町を訪れた。
オフシーズンで観光地はほぼ全て閉まっていたけれど、間違いなく最高の旅だった。

無名人インタビュー×海士町

ただただご縁としか言えないけれど、たまたま海士町の方に「無名人インタビュー」を見つけていただいた。インタビューを終えた後、「いつか海士町いてみたかったんですよね~」と言ったら、トントン拍子で行くことに。

そして、チームで旅を決行した。

「町の人にインタビューをしに行きたい」という意味不明な私たちを受け入れ(まずここがすごい)、インタビューを調整していただき、島内を案内してもらい、何度も一緒にご飯を食べ、たくさん話してくれた皆さま、ありがとうございました。

そして、この時のインタビュー記事がこちらのマガジンにアップされています!
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食べること、働くこと、暮らすこと、生きること

まるひと月たって旅を振り返ると、確かに、海士町には全てがあった。

豊かな食を生み出す海と大地も、支え合い暮らしを成り立たせる仕事も、近くてあたたかくて気難しい人間関係も。
そして、まちの人は、すべてがつながりあう中で、シンプルにその人としてただ生きていた。

生きる、それを楽しむテーマパークだった。

私が撮っても様になる、地球の大きさを感じる海


まちの人と話したた中で、海士町で何よりも価値があるのは「信頼」だという言葉を何度も聞いた。

その人がどんな成果を出せるかよりも、信頼に足る人かどうか、それが何より大切。
離島であること、人そのものが少ないこと、いろいろ理由はあれど、海士町で暮らしていくためには信頼を勝ち取らねばならない。

わたしは初めて、お金さえあればある程度なんとでもなる都会のシステムの合理性を感じた。


信頼を得るのはお金を稼ぐより難しい。
10,000円を稼ぐ方法は知れば誰でも実践できるけど、目の前の人がどうやったら私の話を聞いてくれるかなんて、明確な答えはないのだから。

答えは自分で見つけるしかないし、もしかしたら存在しないかもしれない。
そういう世界だからこそ豊かに生きられるのを実感してしまうと、自己実現だの、数値で測られる成長だの、お金だの、そういう、誰かが名付けた分かりやすい意味を追うのが馬鹿らしくなった。
そういうものは、あくまでも手段であって、生きる目標ではないんだと。


やっぱり、海士町はすごかった


私自身も地方出身であり、仕事でもたくさんの地方を見てきたからこそ思うのは、手触り感をもってシンプルに「生きる」という感覚は、おそらく海士町に限ったものではなくて、地方暮らしの方々はある程度当たり前に持っていものだ。

でも海士町が違うのは、自分たちの当たり前を言葉で表現し、伝えることができる力を持っている人が多いこと
住人にとっては当たり前でも他者から見たら珍しい、「町の普通」をちょっとした愛おしさとともに語れる。
これは、強い。

過度な自虐でも郷土愛でもなくて、欠点も愛嬌に包まれていて。嘘っぽくないし、作られた感もない。

いわゆる、風の人、外からの流入が多いからなのか、それとももともとの気質なのかわからないけれど、繰り返し海士町の魅力を外部の人に問われ、伝え続ける繰り返しによって、自分たちのことを自分たちで語ることができる人がいるまち。なんてすごいんだ。 

見渡すとスケールの大きさを感じる


海士町はすごいと思っていたけれど、やっぱりすごかった。
学生時代から地方のこれからを考えたいと願い、まちづくりにかかわる仕事をしてきた私にとって、海士町は10年来の憧れの地。そんな場所で厚かましく過ごした4日間は10年分のご褒美のような時間だった。

帰るころには、このまちの異邦人であることが悔しくなっていた。

純粋に「また行きたい」という下心で、これからもインタビュー頑張らねば、と決意したナカザワでした。


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