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好きだった。



 毎年楽しみにしていた、氏神様の境内の桜が剪定されていて、一回り小さくなっていることに氣がついたのは、2週間ほど前の出来事。蕾をつけていたことを知っていたので、なんだか寂しい氣持ちになった。

 
 今日はわずかな色付きを遠目に確認することができ、嬉しくなったのも束の間、『嗚呼、この桜が満開になるのを、今年は見られないのだ』という淡々とした事実に氣づき、寂寥と再会。忙しない我が心よ。







 2年前の今頃。


 混沌とし始めた世界の只中で、わたしにできることは祈ることだけだった。何の手立てもなく、何もない、わたしには何もできないと思うときであっても。祈ることだけは、できる。


 家から極力出ないようにと、まるで全人類がグルーシェニカの掌で転がされているような状況でも、生きていれば必要最低限の外出は日々つきもので、人とすれ違わない道をただただ歩き、例年と違って咲いても喜ばれることの少なかったであろう花たちを愛でては、やたらに写真に収めて詩を書いた。


 街の中であるのに緑の多い神社。
 いつも鳥の囀りが絶えない神社。
 ほとんど人と会うことのなかった神社。


 2年前の今頃のように、今日も祈っていた。世界が平和であるようにと。少しでも争いや諍いが、光に還りますようにと。今日も一人祈っていた。ほとんど人と会うことのなかった神社で、今日はおじいさんとすれ違った。


 何を祈ったのかは、知らない。





 祈りの時間は、いつも静謐だった。
 祈りの最中、木々を撫でる風が吹いた。



 今日も、いつもと変わらず静謐だった。
 今日も、木々を撫でる風は優しく吹いていた。








 わたしはこの神社が、好きだった。











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 この人生における引っ越しの回数が8回目を迎えようとしている。『おかげさまで皆様に愛されて8周年!』的なおめでたさがあるはずもなく、多いのか少ないのかはわからないが、本人の感覚としては多いと思っている。


 毎回引っ越しの度に思うのは、『この部屋はわたしのことをどう思っていたのだろう』という取り留めもない、誰も教えてはくれない、知りようもないこと。


 数年前、住んでいたマンションの隣人が引っ越し、別の入居者に変わった。ベランダで煙草を吸うらしく、洗濯物がまともに干せなくなった。マンションとしては喫煙NGだったため管理会社に連絡をしたが、改善はされなかった。さらに1階の店舗は、飲食店に変わった。23時を過ぎてもパーティーのように音楽を爆音で鳴り響かせ営業をしており、眠れなくなった。そうこうしているうちに病床の父が亡くなり、四方八方奔走したわたしは思った以上に憔悴したらしく、実家から自宅へ戻ったとき、前述の居住環境に耐えられず、転居を決めた。


 当時は会社員だった。だからエリアはある程度絞られた。部屋の希望条件をすべて書き出し、なかなかハードな条件だと思われたが奇跡的に一件だけ見つかり、引っ越したのが今の部屋であった。つまり、7回目の引っ越し。







 一番の条件。それは、『日当たりが良くて、静かなところ』だった。一番の条件というか、それだけでも良かったかもしれないくらい、この部屋の日当たりの良さと静謐さが氣に入ったし、わたしはそれを必要としていた。


 当時のわたしに最も必要だったのは、紛れもなく癒やしだった。大通りがすぐ傍にあるのに立地が良いらしく静かで、強風の日でもここだけは風が穏やかだった。洗濯物を洗濯鋏で留めたことは一度もない。前面は広々とした平面駐車場で、太陽の光を遮るものは何もない。近所の氏神様から鳥の囀りが聴こえる。引っ越した当初はそれだけで、訳もなく泣けてきた。


 たくさんの経験に意味を見出し、解釈をし、きっとこういうことだったのだ、わたしにすべて必要な経験だったのだと肚落ちしたところで、落涙を免れるとは限らない。


 赦すとは、まるで何事もなかったかのように、すべてを包み込んでひっくり返し、白紙にするようなものだ。わかっていても自分にだけは、どうしてもできないでいた。それに氣づくことができたのも、この部屋のおかげだったろう。そんな時間を与えてくれる、優しい部屋だった。






 これまで住んだ部屋の中で、最も穏やかでいられたのも、この部屋だった。長年の傷心を癒やしたのは間違いなくこの部屋で、この人生に必要な充電期間と激しい転換期を、安全に無事に過ごせたのは、この土地とこの部屋のおかげだった。部屋に心があるのなら、どう思われていたのかはわからないけれど。







 わたしはこの部屋が、好きだった。










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 最寄り駅の階段から地上に出ると、夕焼けに染まる空に出会う。空が焼けるときというのは、朝であれ夕であれ刹那的で、ほんの一瞬でも目を逸らせば、その美しいグラデーションは終焉を迎えてしまう。





 世界はグラデーション。





 この言葉を好んで使うようになってから、随分と時が経った氣がする。わたしにはわたしの色があり、他者には他者の色がある。オレンジとネイビーは全く異なる色なのに、変容を伴うことで、いつか同じ、色になる。






 わたしはわたし。


 あなたはあなた。


 でもわたしはあなたで、あなたはわたし。


 すべては、繋がっている。






 こんな取るに足らない簡単なことは、いつだって自然が教えてくれていて、哀しいかな人間は、なかなか氣づかない。朝焼けや夕焼けのグラデーションにその響き合いを見出したなら、人の世もそうであると氣づける人が、如何ほどいるだろうか。


 宇宙で起こることは世界で起こり、世界で起こることは人と人との間でも起こる。そして細胞レベルでも起こるというシンプルな摂理。空が見せてくれることは、人の世にも映る。空だけじゃない。すべては、フラクタル


 『嗚呼、あと何度、ここから夕焼けを見られるのだろう。今日が最後かもしれない』と、数日前から憂い、いちいち立ち止まるわたしを他所に、家路を急ぐ人々は地下道に吸い込まれていく。





 わたしは構わず、家路をゆったり辿る。





 幼稚園から全速力で下り坂を走って来る園児。『ストップストップ!危ないから!』と叫びながら追いかけてくる保護者。開店したばかりの料理店。『テイクアウトできます』の看板を外に出す店員。コンビニに寄り道する高校生。手を振って帰宅して行く高校生。店じまいのシャッターの音。『お疲れ様でした』の声。

 
 車のエンジンをかける音。


 夕餉の匂い。



 車の走行音。




 点滅する信号機。





 飛行機雲。






 道端に咲く花。







 伸びていく影。








 現れはじめた月。








 いつもの野良猫。







 この日常に溶け込んでいた、当たり前で、名前も知らない存在たち。







 

 わたしのことなどきっと、誰も知らない。
 わたしのことなどきっと、知る由もない。





 そんな日々を生かされていた。
 そんな日々を生かしてくれた。





 氣づけばそれは、愛おしい日々だった。








 ありがとう。さようなら。









 行ってきます。
















 わたしはこの街が、好きだった。






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 hana 言葉の海









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