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生きる場所はそこだけじゃないから。子どもの世界を小さなものにしたくない

数ヶ月前から、辻仁成さんのツイートにハマっています。自分の内から出る言葉、そして優しい口調。

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今回は、ちょっとしたひとり言です。


大人になれば生きる場所は好きなように変えられますが、子どもはなかなかそうはいきません。昔子どもだった私もそうです。世界はもっと広いはずなのに、なぜ私の世界はこんなにも狭くて、そして逃げられないのだろう。

そう思っていたので、せめて自分の子どもには「世界はここだけじゃないし、今の学校だけがすべてじゃない」と思える体験や環境を与えてあげたいのです。

学校というものが、もっと自由にあちこち転校できるものであればいいのになと思います。自分は転校経験があって、初日の挨拶のドキドキとか、前の学校に戻りたい気持ちとか、幼なじみという関係に憧れるとか、そういう色々を抱えて生きてきました。

人生の中で転校をせず、慣れた環境で楽しく過ごせるのなら、それに越したことはないのでしょうけど、ここにいたくないという気持ちをずっと持ち続けて学校に通うのは地獄です。

15歳までの教育は義務であったとしても、苦痛は義務ではありません。ときには逃げずにやり遂げることも大切ですが、人生には逃げるべきときってのもあるはずなんです。

学校に行けなくなってしまった子のためのスクールもあちこちにありますが、世の中には山村留学といって(違う呼び名もあるみたいですが)1~数年間、違う町からの児童・生徒を受け入れるシステムもあります。こういうのがもっともっと世の中に認知されて、多くの子が広い世界を知れたらいいなと思います。

留学制度は整備されていませんが、日々の様子がよくわかる 浜益小HP

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私たちには当たり前の学校生活ですが、都市部の学校になれている子たちには、田舎の学校が新鮮に思えるかもしれません。

「今の学校合わないから、ちょっと冒険に出てみる。」

そんなふうに気軽に、学校を変えることができてもいいんじゃない?

環境が変われば、何かが変わるかもしれません。でも、変わらないかもしれません。それでも、変えてみないことには、どうなるかなんて誰にもわからないのです。

10年以上前に、図書館でとある中学生の作文を読みました。この地区の小中学生の作文集があったのです。(本人の許可を得たので、あらすじを載せます)

その子は先生の子どもとしてここ浜益に引っ越してきたのですが、あまり人と関わらず2,3年我慢すればいいのだと思っていたそうです。それがなぜか自分で認めるほどに自分が変わったのだと。ここで得たものが大きすぎて、それまでの12年間を悔やむほどだったと。

具体的にどんなこと、どんな学校環境が彼に響いたのかはわからないけれど、本当に楽しそうに日々を過ごしていたのは私も知っています。そして彼は驚くことに親の転勤についていかず、当時まだ地元にあった浜益高校へと進学しました。地元の子でさえ地元を選ばず、都市部の高校へ進学する時代に「地元じゃない子」が残る決断をするなんて。

自分はいつかここを出て行く人間だと表現しつつも、ひとつでも多くの思い出を作るためにと、この田舎の高校を選んだことが、当時の私にはものすごい衝撃でした。

もちろん、この地が彼の琴線に触れたのはたまたまであって、ここに来た誰もが彼のように開眼するわけではない、それはわかっています。

だけど、環境が変わるだけで人がこんなにも変われる可能性があるのなら。

学校選びはもっと自由であっていいのでは、と思うのです。


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