強くいきよう、末永くお元気で。
「太く短く生きられればいいや」なんて言ってのけることができるのは本当に若いうちだけなんだと思う。
自分も女子高生くらいのときは言っていたし、18になった時には「もう人生終わりに等しいやん」としか思わなかったし、20の時は「長く生きすぎた」とさえ思った。
もちろん、全員が変わるわけじゃないしなんだかこんなことを言うのは説教臭くていやだ。
でも本当にリアルに、肌で「自分が長く生きるかもしれない」ことを感じるようになったのは、自分が死にかけた時よりも近しい人に死なれたときで、そして、残った大切な人たちにはできるだけ同じ世界にいてほしいと願うようになってからだ。
ふつうはもう少しまっとうに、早い段階で気づくものなのだろう。
現実には、死に時なんてそうそう都合よく選べない。
ひとりなら乱暴な手段を使ってでも終わりを自分で決めることもできるかもしれないが(良い悪いは別として)、大切な人やものが増えるほど、そういう自由もなくなる。
それが、社会につなぎ止められているという希望でもあり業でもある。
なにより、自分が大切な人に長く生きてほしいと願うからには、自分もそう選択せざるを得なくなる。
結局、2日ばかりぐるぐるといろんなことを考えて。辞めていくバンドメンバーに言えたひとことも、それでしかなかった。
とにかく、体壊さないでね元気でね。
「とにかく、集まって、続けてることが大事だと思うから」
バンマスの旦那が、以前そう言っていたことがある。
今私が思うことは少し違う。
とにかく、元気に怪我なく病気なく生きててくれることが、一番一番大事だよ。
ふふふ、焼きが回ったもんだなあ。
やめる、と言われたとき、正直ものすごく動揺した。他のバンドでならよくあることなので、そんなに大騒ぎしたりはしない。
特別な仲間で集まって音楽をやる、特別なバンドだった。だから、彼からやめるという言葉を聞いた時、逆に誰も止めるような言葉が出せなかったし、理由すら詳しく聞こうとしなかった。
その中心には、亡くなった彼女のことがあったのは言うまでもない。
始めるのに覚悟が要ったぶん、やめるのも、やめられるのにもエネルギーがいる。
同じ熱量が持てなくなってしまったのだとしたら、それは正直聞きたくない、という気持ちの方が勝っていたかもしれない。気持ちを縛りたくはないけれど、束ねていた糸がゆっくりと解けていくのだとすれば仕方ないこととはいえ、やはり、つらい。
今にして思えば、彼もそれがわかっているからこそここまで頑張ってくれたのだろうと思う。
もういろいろと、限界が来ているのは感じていた。彼は寝ずにスタジオに来ることが多かった。それほど、彼は忙しかった。
「事故しないでね。体大事にしてね」
グループLINEでそう告げると、だれからともなく、ひとこと、またひとこと話しはじめた。
なんでもないこと。彼女のことが話題にのぼるでもなく、彼を咎めるでもなく、ただただ、ありがとう、と、元気で、と、またやろうね、がタイムラインをやさしく埋めていった。
そうして、やめると言い出した彼も「この状態は自分としても不本意だし、落ち着いた時にその席があれば戻りたい」と、はっきりと言ってくれた。
社交辞令かもしれないけど、全責任は私に帰属するとしたうえで、信じることにした。
前日の電話で「理由は俺からは聞かないし、彼の自由だし。ライブの打ち上げも、いいよ、皆、何話していいかわからないもん」と言っていたバンマスから、
「ライブの打ち上げ、来られそうな日ある? 場所は来やすいところに合わせるよ」
という言葉が引き出せたので、まあ大団円だと思う。
人間っておもしろいなと思う。いくつになっても一喜一憂するし、互いの気持ちがわかればケロッとしてるし、今日はもんんんのすごく、晴れやかな気分だし。
私より一世代上のおっちゃんだって、言葉を尽くすよりも傷つきたくなくて守りに入ったりする。でも本当は、あったかいものを求めてるし、変わらないでほしいものには変わらないでほしいし、愛したいし、愛されたい。
本当、いくつになっても……。
さあ、先は長い。まだまだ元気に、末長く。
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