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未来派運動全体の中心人物であるマリネッティがロシアを訪れた事からロシアの前衛芸術に大きな影響が及ぼされ、「ロシア・アヴァンギャルド」の芸術運動が誕生した。
その中でゴンチャロワらのレイヨニスムやマレーヴィチらのシュプレマティスムなどの運動が誕生したのは先述の通りだが、他にもキュビズムとシュプレマティスムの影響を受けて「ロシア構成主義」が誕生、ロシア構成主義は第一次世界大戦後に樹立されたソビエト連邦の社会主義国家建設と密接に関わって発展していくこととなる。
そんなロシア構成主義の絵画の分野ではウラジーミル・タトリン、アレクサンドル・ロトチェンコ、エル・リシツキー、リュボーフィ・ポポーワ、アレクサンドラ・エクステルなどが有名である。
ちなみにロシア構成主義運動の関連した人々の中からは文学でもマヤコフスキーなど、音楽ではスクリャービンなど、映画ではエイゼンシュタインなど、演劇ではメイエルホリドなど多分野で巨匠芸術家が輩出されたとされる。
また、この頃の彫刻の分野ではキュビズムの影響で人体の統一性からの脱却を目指し自由な新しい造形表現を獲得、画家として活躍したパブロ・ピカソやロシア出身でパリで活躍したオシップ・ザッキンなどがキュビズム彫刻の彫刻家として挙げられる。
他にもキュビズム彫刻や未来派の影響などでダイナミックな形態を追求したレイモン・デュシャン=ヴィヨンやウンベルト・ボッチョーチ、装飾を削ぎ落とした根源的な形態を追求したコンスタンティン・ブランクーシなどが登場した。
また、同じ時代には主観的なドイツ表現主義に対立し社会の中の無名性や匿名性としての人間を表現した「新即物主義」という運動も誕生、建築分野ではブルーノ・タウトやモダニズムの巨匠ローエが、絵画分野ではオットー・ディクスやジョージ・グロスが新即物主義に参加した人物の中で著名となっている。
一方、ローエと同じくモダニズム建築の章で名前の上がるル・コルビュジエと画家アメデエ・オザンファンは1920年から1925年にかけて雑誌を連載し、そこで「ピュリスム」というキュビズムをさらに鈍化させ、装飾性、感情性を排除した純粋な幾何学的表現を模索した。
このピュリスムは後で触れるオランダのライデンの雑誌を中心とする国際的な芸術様式である「デ・ステイル」などに影響を与えているとされる。
また、1920年代から30年代にかけてのアメリカでも人工的な風景をキュビズム的な要素と写実的な要素を組み合わせて描く「プレシジョニズム」が誕生し、チャールズ・デムス、そして世界で最も有名な女性画家であるジョージア・オキーフなどが活躍した。
また、その一方で1910年代半ばのイギリスでは著名な詩人エズラ・パウンドを中心にキュビズムや未来派の影響を受けたパーシー・ウインダム・ルイスなどの「ヴォーティシズム」が誕生している。
オランダのピート・モンドリアンもこの時期にキュビズムの影響で自然風景を垂直と水平の要素まで抽象化、これに三原色を用いるという、見ただけではただの鮮やかな四角という「新造形主義(ネオプラスティシズム)」という極端な抽象美術を提唱した。
このモンドリアンはオランダの画家・建築家テオ・ファン・ドゥースブルフという人物と共に「デ・ステイル」という雑誌、および芸術家集団をオランダのライデンで作り新造形主義を広めた。
デ・ステイルのグループには世界遺産にも登録されている「シュレーダー邸」の建築者であるヘリット・リートフェルト、ドイツ表現主義などに対立する「新即物主義(ノイエザッハリヒカイト)」の草分け的存在とされるJ・J・P・アウトなど多くの著名な芸術家が所属していた。
このデ・ステイルの建築や抽象的な絵画を重視する様式は、後にドイツで生まれる「バウハウス」へ大きな影響を与え、また、ダダイスムと構成主義の橋渡し的存在となったと評価されており、美術史上大きな重要性を持つといえる。
ちなみに、創設メンバーであるテオ・ファン・ドゥースブルフが水平垂直の線だけではなく斜めの対角線を導入する「要素主義/エレメンタリズム」を提唱してそのまま、デ・ステイルを脱退している。