美術史第33章『19世紀末期の美術-前編-』
19世紀末期、ヨーロッパでは1848年革命と世界で初めて世界中で戦闘が行われたクリミア戦争で完全にウィーン体制が崩壊し、ガリバルディなどの活躍でイタリア半島が統一されイタリアが誕生、ワラキアとモルドバが併合しルーマニアが誕生、普墺戦争でプロイセンがオーストリアに勝利しプロイセンがドイツ帝国となるなど統一国家が誕生する、オーストリアは改革されオーストリア=ハンガリー帝国が誕生した。
また、この頃のヨーロッパでは「普仏戦争」が勃発しドイツ帝国がフランス第二帝国を滅ぼし、ロシア帝国は中央アジアを征服して、さらに弱体化するオスマン帝国と露土戦争を行い領土を奪った。
ヨーロッパ以外ではでは太平天国の乱やアヘン戦争、アロー戦争で清朝が急速に弱体化し多くの領土をヨーロッパ諸国に奪われる、インド大反乱の敗北でムガル帝国が滅亡、アメリカでは南北戦争の結果、黒人奴隷が解放され、スペインやポルトガルから独立した中南米の国々がパラグアイ戦争を行い、日本で明治維新が発生しヨーロッパ以外の先進国が初めて誕生した。
他にもベルリン会議によりヨーロッパ諸国のアフリカの植民地化が一気に進みアフリカの国々が概ね消滅、東南アジアではベトナム・ラオス・カンボジアがフランス領、フィリピンがアメリカ領になるなど世界で史上初めてと言っていい変革が訪れた。
この時期、世界中を征服していったヨーロッパ諸国ではイギリスで始まった産業革命が広まり、商業・経済を重視する資本主義の社会が構築され、産業革命や鉄道の普及など科学技術が大きく進歩した影響で都市部の人口が増加、階級同士での対立が生まれるなど社会の大きな変革が発生、西洋美術も同時に大きな変革を迎えた。
建築の分野ではシャルル・ガルニエが建築した新古典主義(ボザール様式)を基調としてバロック建築の要素を入れたパリの歌劇場「ガルニエ宮」に見られるような新古典主義を元にした各種の建築様式を入れ込んだ建築が主流となった。
これにより、フランスを中心に多くの芸術性の高い建物が各地に造られたが、これに反して芸術性ではなく合理性のある建築が重要であり中世のバロック美術は最も合理的な建築様式であるとして讃えて多くのバロック時代の建築を修復したウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクという建築家がこの時期に活躍した。
デュクのこの理論は19世紀末期に始まった「アール・ヌーヴォー」という花などの植物のような有機的モチーフや自由曲線の組み合わせなどの新しい装飾や鉄やガラスなど今まで使われてこなかった素材を用いた美術様式の建築分野に影響を与えた。
アール・ヌーヴォーの建築では鉄、ガラス、コンクリート、鉄筋コンクリートなどの素材が大掛かりに用いられるようになり1851年、イギリス帝国の首都ロンドンで女帝ヴィクトリアの夫アルブレヒトにより開かれた第一回万国博覧会の会場として建てられた鉄骨とガラスの巨大建造物「水晶宮」は現在では普通のガラスを多く使った建築物の最初となっており、また、プレハブ建築の先駆ともされる。
一方、この頃のスペインでは西部のカタルーニャ地方の大都市バルセロナを中心にフランスのアール・ヌーヴォーに似た「モデルニスモ」の様式が地方の文化復興運動「ラナシェンサ」と関連して流行、ここではリュイス・ドメネク・イ・ムンタネーなどが北アフリカのイスラム建築や中世スペインのイスラムが混ざったムデハル様式を研究した。
また、このムンタネーの弟子で同じようにイスラム建築を研究した建築家の中で最も著名と言えるアントニ・ガウディという人物が特に活躍し「サグラダ・ファミリア」「グエル公園」「カミ・サラ」などの超有名建築作品を手がけた。
また、1880年頃のアメリカ合衆国中西部イリノイ州シカゴで1871年の「シカゴ大火」からの復旧・再開発により誕生した「シカゴ派」というこれも現在、非常に良くある鉄骨で造られた高層建造物の様式も西洋美術に大きな影響を与えている。
シカゴ派はアメリカの急速な経済成長により巨大建造物が求められていた事、丁度、鉄の大量生産体制が整い鉄の値段が安くなった事でアメリカ中に広まり、シカゴ派建築最大の巨匠としてはルイス・サリヴァンという人物がいる。
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