美術史第34章『19世紀末期の美術-後編-』
*モネとマネが紛らわしいので気をつけて読んでくださいね
彫刻の分野では19世紀後半に入るとロマン主義の民族統一や自由を称える記念碑などの公共記念物が数多く制作される様になっていき、その中で最も有名なロマン主義公共記念物としてフランスの彫刻家フレデリク・バルトルディが1886年、アメリカ合衆国独立100周年を記念してニューヨークに建てた「自由の女神像」がある。
その後、ナポレオン3世によるフランス第二帝政の時代が開始するとジャン=バティスト・カルポーが登場、かつての装飾の多いロココ美術的な要素と非常に躍動感のある表現を組み合わせた作品を作った。
このカルポーの影響を受けたパリ出身の彫刻家オーギュスト・ロダンはこのカルポーの様式を洗練させ「地獄の門」「考える人」「カレーの市民」「接吻」など数々の傑作を生み出し、現在では「近代彫刻の父」と呼ばれ、19世紀の彫刻家の中で最も著名な人物となっている。
また、同じ頃、19世紀末期のドイツではフランス、パリでゴヤやドレの銅版画を研究しこの頃起こっていた「今までの様式から脱却する事」を目的とした芸術の運動、潮流である「ユーゲント・シュティール」の中で「ミュンヘン分離派」や「ウィーン分離派」「ベルリン分離派」などの分離派が誕生した。
分離派の一つである「ベルリン分離派」に参加したマックス・クリンガーという人物が彫刻・絵画・版画の分野で活躍し、性的寓意や社会的暗示に富んだ独自の作風を確立、20世紀初期の「シュールレアリスム」に多大な影響を与えることとなる。
19世紀の絵画の分野では新古典主義技法を保ちつつ市民の社会の変化に合わせるように様々な表現が誕生し始め、新古典主義とロマン主義を掛け合わせようとする「アカデミック美術」が誕生した。
アカデミック美術では神話や天使、少女を題材とした絵画を多く描いたフランスの画家ウィリアム・アドルフ・ブグローや、20世紀のミュシャやクリムトに影響を与えたオーストリアの画家ハンス・マカルト、人気作品「ヴィーナスの誕生」の作者であるアレクサンドル・カバネルなどが活躍した。
他にも細部描写と瞬間的場面で歴史やオリエント地域を題材とした作品を主に残したジャン=レオン・ジェロームなどの写実主義画家も活躍し、ドイツのアドルフ・フォン・メンツェルなどのように労働者や農民など現実的な主題を描く優れた画家が出現した。
中でもパリの画家エドゥアール・マネは明るい色調や軽快なタッチで民衆の生活を描き「草上の昼食」「オランピア」「テュイルリー公園の音楽会」「バルコニー」「笛を吹く少年」「皇帝マキシミリアンの処刑」「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」「鉄道」「フォリー・ベルジェールのバー」などの有名作品を作成と当時、19世紀末期の若手画家の中心人物として活躍したマネは当時の絵画の約束事の様なものを破壊して絵画に革新を起こし、後の印象主義絵画の元祖の一つともなった。
そして、19世紀末期から20世紀初期のパリで活躍したエドガー・ドガという「印象派」の画家・彫刻家は貴族から貧民まで凡ゆる階級の人間を優れた構図やデッサン力で描き出し、バレエを題材とした作品を多く残しており、非常に著名である。
ドガ達が属したこの印象派とは当時の批評家やジャーナリストが「印象・日の出」「散歩、日傘をさす女性」などの作者であるパリの画家クロード・モネの「印象・日の出」に因んで呼んでスケッチ的な画風の作品のことを読んだ言葉である。
中でもモネやドガの他、印象派の「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」「舟遊びをする人々の昼食」「桟敷席」「ぶらんこ」「大水浴図」「ピアノに寄る少女たち」などの作者ピエール=オーギュスト・ルノワール、「カード遊びをする人々」などの作者ポール・セザンヌ、カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレーなどは史上最も有名な画家達となっている。
印象派の画家達は絵具を用いて光をどう表現するかについて探求、筆触分割やそれにより生じる複数の色が混ざり合って見える視覚混合などの科学的技法を絵画に導入した。
他にも19世紀後期当時に万博への出品をきっかけ大流行したつまり浮世絵や琳派などの日本美術に触発された美術、いわゆる「ジャポニズム」や、当時誕生したばかりの写真などからヒントを得た構図の切り取りや上から見た俯瞰的な構図などを取り入れて、斬新な絵画を作り出していった。