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劇場版メイドインアビス-深き魂の黎明-の感想、あと個人的推察とか

節目の500記事目となりました。今回は「劇場版メイドインアビス-深き魂の黎明-」についての感想を殴り書きしようと思います。「メイドインアビス」について語るのは下記NOTE以来2年半ぶりになります。

少し時間が経ちましたが、2020年1月にアニメ1期からの続編が劇場で公開になって、同9月にはBDも発売されました。有り余るほどのネタバレと個人的推察(妄想考察)がありますので、原作未読・(アニメ1期&劇場版)未視聴の方はここで引き返すことをおススメしておきます。

原作をかなり忠実に映像化

劇場版は映像、音楽、音声いずれもアニメ1期の高いクオリティを維持したまま、原作を忠実に映像化していました。一部ではアニメーションによって原作を上回ってきているんじゃないかとさえ感じられる部分が多々ありました。原作ではぼんやりとしていた不屈の花園や前線基地の詳細が劇場版で鮮明かつ美麗に表現されたシーンは圧巻で、想像以上に空間的な広がりがあるように描かれていました。あと、黎明卿ボンドルドの登場シーンは原作を超えた絶望感を与える素晴らしい演出に仕上がっていました(しかもその時に流れる挿入曲のタイトルが「パパの子守歌」なのがまた度し難)。

また、R15+指定を食らうことになったエグいシーンをボカすことなく映像化しきったスタッフさんたちの仕事っぷりには「よくやった」と拍手するとともに「誰がそこまでやれと言った」っていう相反する感情が渦巻いていました。まぁ、「メイドインアビス」はこの世の理不尽を鍋にぶち込んで煮詰めたようなドロドロとした描写が売りとなっている側面があるため、小さなお子様も安心して見られるような一般向けの作品ではありません。

少年漫画ではキャラの体が傷ついてもすぐに治してしまいますけど、この作品ではそういう興醒めするマネはしません。そうではなく「体の一部が欠損したり不全になって悲しむのではなく、残った動く部分があるからまだこれで冒険が続けられるぞ!」という生命の素晴らしさとして描いているのが最高にカッコイイのです。自分は「実際、現実の世界ってそういうもんでしょう?都合よく治るような綺麗な作品を見たいって方はどうぞそちらの方へ行ってくださいな」っていう自信みたいなものを感じました。なので、この考え方というか思想を受け入れられるかどうかで視聴継続や評価が大きく分かれる作品だと思ってます。

予備知識が無いと消化不良で終わる劇場版——約束されしお通夜——

個人的には、劇場版と冠される作品は2時間ドラマのように一話完結型というイメージがあるんです。でも、「劇場版メイドインアビス-深き魂の黎明-」は「メイドインアビス」という作品の一部分を映像化したものなので単体の映画として見たら「えっ、何これ……?」とか「私は一体何を見せられているんだ?」となります。原作が未読であったり、アニメ1期あるいは劇場版総集編を未視聴のまま見ると消化不良に陥り、ただ惨劇を見ているだけの印象になってしまうでしょう。

仮にその予備知識があったところで、劇場では圧倒されて放心状態になった人と、R15+描写のせいですすり泣きしている人とでお通夜状態になっていたとネットで知りました。個人的には、原作自体が躁と鬱という感情起伏のジェットコースターに乗せて、見る人の心をタコ殴りする名作だと思っているので「まぁそらそうなるわな」って感じですね。

気になったところ

気になったのは約105分の劇場版に収めるために泣く泣く原作の一部を端折っていた部分があったことでしょうか。原作ではボンドルドからリコさん隊に他の白笛の探窟家たち(神秘卿、先導卿)の絶界行に関することや、自分だけが5層と6層を行き来できるということを伝えられるシーンがありました。劇場版ではその描写がなぜかカットされていたため、リコが見聞きしてもいないのに「黎明卿はどうして白笛が使えたんだろう?」っていうセリフがぽっと出てきて、そこに違和感が生まれていました。

あと、本編と直接関係無いですが、電力を得るための祭祀場の回転方向がアニメ1期OP(左回り)と劇中(右回り)では反対方向になっていました。見ている人間にとっては「ぶっちゃけ本編と全然関係ないし、回り方なんてどっちだっていい」からこそ、自分は余計に気になりました。もしかしたら、水流の運動エネルギーを電気に変換する方式のうち、より自然な方を描いたのかもしれませんね。「メイドインアビス」を映像化している制作陣はこういった本編と無関係な細部へのこだわりがある(ゆえに子供騙し感が薄れている)ので、間違いなく何らかの意図があってやっているんだろうと予想しています。

魅力ある悪役の倫理観ゆるキャラ「ボンドルド」、だからこそ彼の過去を掘り下げた原作エピソードが欲しい

作品を盛り上げるのは憎めない悪役(敵)ですが、勧善懲悪もののようにただ悪辣非道の限りを尽くしているキャラをやっつけても何となく後味が悪く終わってしまいます。なので、悪役にも悪役なりの美学というか「どうしてそんなことをするの?」という理由付けがなされていなければ気持ち的にスッキリしません。

不動卿からは "筋金入りのろくでなし" と言われている悪役ボンドルドは、一面だけ見ればアビスで起こる謎の現象「アビスの呪い」を研究によって明らかにしようとしている一人の探窟家であり研究者です。常軌を逸しているのは、アビスに対する知的好奇心と研究を優先する余り、そのためならいかなる犠牲を払っても構わないと考えていることでしょう。邪魔になる生物は毒物や放火という手段によって根絶やしにして開拓していったり、海外と高く取引できるアビス内の遺物を横流したり、貧民窟や口減らしの子供たちを攫ってきて何ら罪悪感も無く人体実験に使ったりしています。文面にすると、ボンドルドはこの世の悪を凝縮した殺意を抱かせるイカレ外道でもあります。

しかしながら、彼はその強すぎる好奇心によって自身の肉体をアビスの実験材料として使ってしまっているため、人間としての死は既に迎えてしまっています(殺したくても殺せません)。残っているのは彼の残骸となった白笛(命を響く石)と精神性で、精神性は精神隷属機という遺物を使って他の探窟家に自分の精神を上書きしています。このように、ボンドルドは倫理観がぶっ飛んでいるために作中で登場する黒笛ハボさんからは ”得体の知れない何かが仮面を被ってヒトの真似事をやっている” という褒め言葉(?)を頂いています。まぁこんな倫理観ゆるキャラではありますけれど「アビスの謎が知りたい研究者」としてだけは素晴らしいと認めざるを得ないと思うわけです(ただ、そのやり方が到底許されるものではないっていうだけで)。

だからこそ、彼が人間であった頃を含めた過去のエピソードが原作に描かれて、それが劇場版に落とし込まれていたらより良かったなぁと思いますね。「メイドインアビス」は重要キャラクターの掘り下げは結構やってくれているんですが、なぜかこのボンドルドは無かったので個人的にモヤモヤとしたものが残ってます。この劇場版で初めて「メイドインアビス」に触れる方には、ボンドルドは吐き気を催すような悪役のイメージしか残らないだろうってのが玉に瑕って感じです。

ボンドルドの研究随一の成果「ナナチ」

ボンドルドが溺愛しているナナチですが、彼の研究で一番の成果だったことがうかがい知れます。何せ、人間性を保ったままで6層から上がって来れるというアビスのルールを曲がりなりにも打ち破る生きた証拠を自ら生み出したわけですからね。自身のいくらでも替えが利く分身には頓着しないものの、ナナチはナナチだけしかいないので、ナナチの命がピンチになると取り乱すのはさすが研究者と言ったところです。

劇場版での戦闘後、勝負服(暁に至る天蓋)を着た個体の方で最期を迎えるボンドルドに対してナナチは「てめぇの憧れはここで終わりだ」と勝ち誇ります。それに対し、ボンドルドは死ぬことや勝ち負けなんか眼中に無くて、アビスへの好奇心を新たな形でナナチに語り聞かせます。「何を言っても無駄かよ、クソがっ」と逆にナナチに精神的なダメージを意図せずに負わせてしまうのがとてもボンドルドらしいです。個人的には、ボンドルドがただのイカレ外道から憎めない悪役に昇格する作中でも結構好きなシーンで「殺したいほど好きなキャラってこういうヤツだわ」と思いましたね。

ちなみに、悪役に(原作者の)本音を喋らせて、それに対して理想で主人公らを立ち向かわせるのが作品の作り方としてあるんですよ、と原作者がyoutube(音れこ漫画ちゃんねる、「メイドインアビス」つくしあきひと先生のお宅訪問インタビュー2本目)の中盤で語っていたので「あぁ、”この原作者あってボンドルドあり” なんだな」と自分は納得しました。

個人的な原作の推察(妄想考察です)

・夜明け(次の2000年)とは?
原作者が「メイドインアビス」は浦島太郎的発想があると言う風にどこかで聞いたことがあります。原作の方で時間感覚が狂うという表現があったのはそこから来ているのでしょう。また、劇場版と原作1巻からの内容とを併せると、レグをはじめ他の深界下層にいる猛獣や虫などがどんどん上層に上がってくる描写があるので、ボンドルドが「夜明け」と称するものは下層全体がせり上がってくるのかな?と思ったり……個人的には前線基地の描写が何となくブラックホールに見えたりしていて、上下に吐き出されるジェット的なものが、これより先はこの世ではない世界へ飛ばされることを具現化している印象を受けますね。
・リコの命の秘密も興味の対象?
ボンドルドはリコさん隊のことをまとめて「あなた方はアビスが生んだ驚異」と言っていました。レグは前例のない個体として真っ先に彼の好奇心による毒牙にかかってしまいましたが、リコの呪い除けの籠による影響も事前に知っていたということでしょう(もちろんその前例も知っている)。
そうなると、時間があったらリコも実験台にされていたということなんでしょう。通常の人とは違う、5層の上昇負荷で髪の毛がぐるぐるにならないことや、水晶板を通して物を見ないと頭痛に苛まれるとか、その秘密を実験で解明しようとしてたんでしょうね。いやはや恐ろしい。
・メイニャの成れ果てる前は?
ボンドルドが変化の子(メイナストイリム)と言っていたカエルっぽいキャラですけど、ミーティとナナチとで行われたアビスの呪いを押し付ける実験と似たようなことをかなり長い間やっていたはずです。想像ではありますけど、たまたまメイナスとイリムという子供が被検体にされて、愛慕か何らかの感情を通じていたために生みだされたナナチの別種みたいなものかもしれないなと考えたりしました。
仮に呪いを受けない側で生まれたのがメイニャだとすれば、人間性の喪失を防ぎきれていないことになるので、そういう意味では研究が発展途上段階にあって、作品の時系列的な整合性が取れてるなぁと思いました。プルシュカが育つまでに少なくとも5年ほどはかかっている感じなので、5年かかってやっとメイニャレベルがナナチレベルにまでなったんだろうという度し難い研究進捗の予想が立ったわけです。一体、それまでにどんだけの罪なき子供たちが犠牲になったのやら……。
・ナナチとミーティの実験が最後になった理由は?
ナナチとミーティがアビスに連れてこられた時には他にたくさんの子供たちがいました。個人的には「子供たちの間で形成されている精神性のつながりの強弱によって成れ果ての形はどう変化するのか?」を明らかにする実験だったんだろうと考えています。研究者であれば、①関係性無し、②ちょっと仲良し、③すごく仲良しに分けて試したくなるはずです。もともと面識が無い状態から③まで発展するのは一番レアだと思うので、ナナチとミーティは実験の順番が最後になった理由はそう考えると自然じゃないかと思えてきます(発想が度し難すぎる)。
・6層の克服は奈落の底への第一歩?
ボンドルドの6層から5層へと人間性を保ったまま帰還する方法は、現段階では多大な犠牲を払っていますが、研究がさらに進めば完全に人間体のまま行ったり来たりできるようになるようになるかもしれません。そうすると、これは奈落の底への足場を固める第一歩となる研究と見ることができますし、これは何十年か何百年後には偉業と称えられることなんだろうと感じました。その時代と価値観が称賛を許さないっていうだけで、研究者の死後に偉業となった例は現実世界の科学界でもありますからね。
ボンドルドは根っからの研究者なので、6層を完全に克服したら次は6層に研究拠点を築いて7層の上昇負荷を明らかにする研究をしようとしていたはずです。とはいえ、探窟家兼研究者をするには命がいくつあっても足りないため6層に行くまでにいくつもの自分の分身(祈手)を作ったと考えられます。まぁ今回リコさん隊が道半ばで終わらせた(?)と言えなくはないですね。

22.07.14. 更新note

少しだけ回顧&推察しました。


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