古典の謎「花かつみ」をめぐってー真菰か花菖蒲かー
▢佐紀沢の「花かつみ」と安積の沼の「花かつみ」
をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみ かつても知らぬ恋もするかも
(万4-675)
中臣郎女が大伴家持に寄せた恋歌5首のひとつである。「花かつみ」が最初に現れる歌とされている。「をみなえし」は「佐紀沢」の枕詞、佐紀沢は奈良の地名である。「いらつめ」は若い女性を親しんでいう語で、この歌の主は「中臣家のお嬢さん」という感じだろう。訳は次のようになるか。
佐紀の沢に生える花かつみってわけじゃないけど
いまだかって体験したことのないような
恋心をあなたにいだいてしまったのね
上の句の「かつみ」が同音連鎖で下の句の「かつて」を引き出しているのだが、同時に佐紀沢に自生する「花かつみ」に恋する自分を重ねているようにも思える。
以後、この「花かつみ」は歌に詠まれ続けるも、その正体がわからないままである。もちろん、実体のないまま歌の世界に存在するにはそれなりの契機が必要である。それが、次にあげる古今集の歌である。
陸奥のあさかの沼の花かつみ かつ見る人に恋ひやわたらむ
(恋四・677・よみびとしらず)
「陸奥の安積の沼の花かつみ」が「かつ見(る)」の序詞である。
「花かつみ」の「かつみ」という音を使い、 「かつみ(る)=ほんのちらっと見る」という語句を導いているのである。
安積の沼の花かつみの名のように、ちょっと逢ったばかりのあなた
それなのに、恋しく思う気持ちがどうしてずっとつづいているのでしょう。
一読すれば分かるように、中臣郎女の「花かつみ」とは異なる言語連鎖がここにある。それは「花かつみ」が二通りの恋の主題を導いているということでもある。
ともあれこの古今集の名もなき「よみびと」によって、「安積の沼」は歌枕として人口に膾炙するようになり、「花かつみ」は歌の題材となって詠み続けられていくことになる。正体不明のままに。
未体験のもえるような恋と一目惚れの恋。
・・・中臣郎女やこの「よみびと」はいったいどんな花を見、
あるいは 思い描いていたのだろう・・・
しばらくそんな思いをもてあそんでいたら、長見菜子さんの「〈花かつみ〉考 -『万葉集』六七五番歌の検討-」という論文に出会った。
とても興味深い内容であったし、何より「花かつみ」についての、自分なりの見解がもててうれしかった。
その論文に即して「花かつみ」を追ってみよう。
▢ 長見菜子「〈花かつみ〉考」に即して
「花かつみ」とは何か。
長さんによればそれは〈真菰説〉と〈花菖蒲説〉に分類できる、ということである。
〈真菰説〉
(「花かつみ」=真菰)説の根拠は、「今鏡」や「無名抄」に出てくる藤原実方のエピソードである。ここでは「無名抄」の方で見てみよう。
陸奥国に菖蒲が存在しないことを知った実方が、「菖蒲の代わりに安積の沼の花かつみを葺け」と進言。それが真菰だった、ということである。つまり、菖蒲の代用品の「花かつみ」が「真菰」なのである。
〈真菰説〉
花かつみ ⇒(菖蒲)あやめ草の代用=真菰
ここで問題になるのが、「菖蒲」「花かつみ」「真菰」の3つがどうしてつながるのか、ということである。それについては次のことがあげられる。
源俊頼が「あさかの沼に、あやめをひかするは、ひが事とも申しつべし」としたのは、この能因、実方の流れに依拠しているとも言える。
〈人物のながれ〉
(中臣郎女・よみひと)⇒(能因→実方→俊頼)
花かつみ-? 花かつみ=真菰
【補足】あやめ草の呼称変遷
万葉集には「あやめ草」はあるが「しょうぶ」という言葉はない。「しょうぶ」は平安時代から登場し、平安前期には「あやめ=しょうぶ」と理解されていた。そして名称混同期を経て、後期に「あやめ」の呼称は「しょうぶ」となった。図示するとつぎのようになる。
あやめ草(サトイモ科)⇒(あやめ=しょうぶ)⇒しょうぶ
[万葉] [平安前期] [平安後期]
〈花菖蒲説〉
花菖蒲はアヤメ科で、「いづれあやめかかきつばた」の「あやめ」、現在よく見る色鮮やかなあの花である。この現代の「あやめ」=花菖蒲の種は江戸時代に品種改良によって広まった、とされる。したがって、奈良や平安時代には花菖蒲自体は存在しない。ただ、改良前の花は当然存在する。それが、ノハナショウブである。そして、これが同じアヤメ科のカキツバタとよく似ているのである。
万葉集にはカキツバタの歌は多くある。たとえば、
住吉の 淺沢小野の かきつはた 衣に摺り付け 着む日知らずも
我のみや かく恋すらむ かきつはた につらふ妹はいかにかあるらむ
かきつはた 佐紀沼の菅を 笠に縫ひ 着む日を待つに年ぞ経にける
カキツバタもノハナショウブも水辺や湿地に咲く花である。
ちょっと注意を要するのは万葉時代のカキツバタは現在の紫色の花ではないということだ。
カキツバタは「につらふ」(参照-「我のみや~」の歌)の枕詞でもある。「丹つらふ」は「赤みのある美しい色」の意味で、そこから万葉時代のカキツバタは赤の色素がもっと強かったと思われる。
ノハナショウブの色は赤紫であるが、これも万葉時代はどうだったのだろう。ここは、長先生の論文内容からそれての想像だが、どうも「丹つらふ」にぼくはこだわってしまう。「丹色」は赤というより朱に近く、朱色よりも黄みがかった色とされる。そう、神社の鳥居の・・・テントウムシの羽根の地の・・・あの色。万葉のノハナショウブやカキツバタもひょっとしたらそんな色で咲いていたのかも・・・
ただ、これらの類似は、二つの花が同一のものである、ということではない。
考えてみれば、万葉や平安の時代に植物分類の概念などあるはずもない。カキツバタにノハナショウブが交じって咲いていたかもしれないし、その逆もあっただろう。または歌を詠む局面で、カキツバタに、あるいは「花かつみ」になったかもしれない。
花かつみ≒ノハナショウブ≒カキツバタ
このくらいで、収めるのがほどよいだろうと思われる。
▢ 結論ー真菰か花菖蒲か
さて、真菰説と花菖蒲説、どちらをとるか。
長見菜子氏は、さらにいくつかの分析を加え、アヤメ科の花菖蒲説を採っておられる。
ぼくも、花菖蒲説の方を選ぶ。ただ、ぼくのはあくまで主観的わがままによってである。
中臣郎女もあの古今のよみびとも、ノハナショウブやカキツバタのように「丹つらふ」頬で恋をし、歌を詠んだと思いたいからだ。
〈参考文献〉
長 見菜子著:〈花かつみ〉考 ー『万葉集』六七五番歌の検討-
「学習院大学国語国文学会誌. 2021. 64. 3-18」
※上記論文は、〈花かつみ〉考 でググって、「︿ 花かつみ ﹀ 」を
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