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解釈と創作ー安積の沼のあやめ(1)

あやめかる安積あさかの沼に風ふけば
  をちの旅人袖薫るなり
                  みなもと としより

この歌を目にしたとき
初夏の沼のぬるもった臭いが鼻腔をかすめ、
いろんなありもしないなまめいた記憶が
ぼくの海馬からたちあらわれた。

もちろん、これは歌自体の意味からはずれた、ぼく固有の感覚によって歪曲された幻である。

大岡信はこの歌を「名句 歌ごよみ」で次のように紹介している。

「安積の沼」は現在の福島県 こおりやま市の安積山のふもとに昔あったという沼。しようの名所として有名なうたまくらだった。「あやめか(刈)る」という形容は、安積沼の歌枕としての見どころを端的に表現している。歌論書『俊頼ずいのう』、ちよく 撰せん集『きんようしゆう』の撰者としても名高い平安中期の大歌人俊頼のこの歌は、実際にその地をたずねたものではなく、安積沼という名所にちなむ机上のだいえいである。だがいかにも初夏のくんぷうを感じさせてさすがである。「をち」は遠方。菖蒲の香があまりに高いので、遠い旅人の袖まで薫るという詩的誇張である。

▢ 沼に吹く風

「あやめかる」を「菖蒲刈る」と変換すれば、俳句での夏の季語になる。そして、この菖蒲が沼沢に繁茂する時期に吹く風はまさしく、薫風である。

ただ「風薫る」という言い方は、新古今以降に使われだすらしい。したがって、源俊頼の時代に「薫風」は存在していなかった。しかも、和歌世界にあっては、初夏限定のものではなく、桜や梅の匂いをおこす春風、花橘の香をはこぶ夏の風、まれには雪の香をも感じさせる風をも指すということである。

この俊頼の歌の「沼に吹く風」はもちろん初夏の風である。そして、菖蒲を刈り、沼に満ちるその香を運び、「をちの旅人」の袖を薫らせる、まさしく薫る風でもある。

「薫風」という言葉はなかった、しかし
すでに感性において薫風は存在していたということか。

  ぼくの記憶に風が吹く五月
  君の匂いは 安積の沼の
  橘花たちばなであり、菖蒲あやめであり、
  水底みなぞこに散りしく桜の花びらである

  ああ、五月
  時鳥ほととぎすが鳴けば 
  時をわたる風となって
  沼を薫らす君をさがす
  遠き旅人に
  ぼくは
  なる

解釈と創作ー安積の沼のあやめ(2)⇒


※参考
大岡信 「名句  歌ごよみ[夏]」(1995.5)


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