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薄楽俊
2023年1月16日 15:12
山頭火は「草木塔」に歯を詠んだものを3句収めている。 ほろりとぬけた歯ではある 冬がまた来てまた歯がぬけることも 噛みしめる味も抜けさうな歯で日記を見ても歯医者にかかった形跡はない。だから、治療などせず、歯痛に呻き苦しみながら、自然に「ほろり」とぬけるのを待っしかなかった。もちろん入れ歯を買う金もない。このような彼の歯との格闘は昭和7年、51歳の時か
2023年1月11日 15:07
前回の投稿で、山頭火の「俳句性」は「ぐつと」と「ぱつと」の瞬時性にあると述べた。ただ、それは彼が表現に無頓着であるということではない。今回はそのことを書いてみたい。▢ 「投げ挿し」と「投げ入れ」 こんな句がある。 投げ挿しは白桃の蕾とくとくひらけ 「草木塔」旅館なのか、知人宅の一室なのかは分からないが、おそらく夜である。蕾の花は夜に活ける
2023年1月6日 19:37
山頭火は、昭和7年9月から13年11月まで山口県の小郡の「其中庵」で起居していた。句友たちの援助を受けてむすんだ草庵である。その間付けていた「其中日記」の昭和10年4月3日、山頭火は次のように記している。「ぐつと掴んでぱつと放つ」ーこれほど山頭火の句の特徴を表した文をぼくは知らない。ぼくなりに解釈すれば、「ぐつと」掴むものは一瞬の感覚や心の動き、そして、「ぱつと放つ」はそれをそのまま言葉にする
2022年12月20日 18:17
▢ あざみあざやかなあさのあめあがり読むより先に目に飛び込んでくる句だった。あざみ、あざやか、あさ、あめあがり。あざやかな「あ」のつらなり。事象はあざみにとどまる雨のしずくが朝の光に煌めいているのだが、ぼくには「あ」が煌めいていた。この句にまさる「あ」にであったことはない。あざみが「あ」に煌めいている。そん感じだったのである。ざっと見ただけだが、山頭火の句にこのような句韻法はでてこない。も