日本人の海外志向が強かった時代に、前田青邨が描いた中国…《燕山之巻》@東京国立博物館
この前、久しぶりに東京国立博物館(トーハク)の、1階18室に行ってみると、なんと! 前田青邨さんという1885年(明治18年)生まれの画家の《燕山之巻》という作品が展示されていました。
わたしは前田青邨さんの作品を、ほぼトーハクでしか見たことがないのですが、好きなんですよね……何が良いのかちゃんと説明できませんけど。
それで、この《燕山之巻》というのも2〜3年前にトーハクの同じ展示ケースで見たことがありました。その時は「おぉ〜、なんか分からないけどいいねぇ」なんてボ〜ッと見て終わったのですが、今回はしっかりと写真に撮って帰ってきました。
ColBaseに書いてあったのですが「はじめて中国を訪れた青邨は、上海から揚子江をさかのぼり、南京、漢口、北京など各地を巡った」のだそうです。ちょっと地図を見ながら照らし合わせてみると、(北京は揚子江沿いではないため)変な文章だなという感じなのですが、とにかく第一次世界大戦が終わった翌年、1919年に34歳の 前田青邨さんは、中国大陸を旅しました。おそらく帰国してから、同じ年に本作を完成させました。
絵巻はまずラクダがぽつりぽつりと描かれています。そのラクダの列を置いながら左へ目を転じていくと、ある町に付きます。その町からも数頭のラクダがこちらに向かっていています……
日本人って……中国もかもしれませんが、絵巻が好きですよね。しかも人々を俯瞰したような絵巻が多いです。多くの源氏物語絵巻がそうですし、社寺の縁起絵巻もたいていは俯瞰ですし、伴大納言絵詞などもそうです。
とにかく、この《燕山之巻》も、そうして神の視点というか、俯瞰しながら……おそらく北京から北へ向かい燕山へ向かっていきます。
山間の道をラクダの列が進んでいるのが、うっすらと描かれています。
早稲田大学リポジトリ『前田青邨《羅馬使節》再考―新寄贈資料の紹介をかねて―』という資料に、前田青邨さんの《燕山之巻》などについてチラッと書かれていました。
さらに前田青邨さんを説明するartwikiというサイトの文章では、以下のように記されていて、驚きました。
もしかすると、前田青邨さんの著書に「 《燕山(えんざん) の巻》 は不本意だった」と記してあるのかもしれません。ただ、わたしからすると、大陸の茫洋とした雰囲気や砂埃の空気感などがよく表現された作品のような気がしますけどね……
それらとは関係ないのですが、前田青邨さんが生きた時代に、どんなことが起こっていたのかを年表にしてみました。なんとなくですが、明治維新で一気に開国した日本という国が、どんどん海外へ出ていった……そういう時代に前田青邨さんは生まれて育ち、外国というのがそれほど遠い場所のようには思わなかったのかもしれないなと思いました。
1894年(明治27年・9歳):日清戦争→下関条約
1904年(明治37年・19歳):日露戦争→ポーツマス条約
1910年(明治43年・25歳):8月に日韓併合条約調印&発効。横山大観が中国旅行→《楚水の巻》《燕山の巻》《長江の巻》
1911年(明治44年・26歳):11月から清国で辛亥革命
1912年(明治45年・27歳):2月に清国崩壊
1913年(大正2年・28歳):藤田嗣治 渡仏(27歳)
1914年(大正3年・29歳):今村紫紅が3月にインド旅行→9月に《熱国之巻》 。7月に第一次世界大戦開戦
1915年(大正4年・30歳):2月〜サンフランシスコ万博。横山大観、今村紫紅、小杉未醒、下村観山が東海道を京都まで行脚→《五十三次絵巻》。前田青邨の朝鮮旅行→《朝鮮之巻》
1916年(大正5年・31歳):(前田青邨が敬愛していた)今村紫紅 歿(享年35歳)
1918年(大正7年・33歳):3月スペインかぜ(第一波?)。東欧各国が独立宣言。8月にシベリア出兵開始。11月に第一次世界大戦終焉
1919年(大正8年・34歳):前田青邨が中国旅行→《燕山之巻》
1922年(大正11年・37歳):前田青邨、小林古径と欧州留学→1925年《イタリー所見》
1923年(大正12年・38歳):横山大観《生々流転》
ということでまた
<関連note>
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