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平家の維盛の最後を描いた、前田青邨の絵巻を観てきました。

先日の週末に、数週間ぶりに東京国立博物館トーハクへ行ってきました。朝から雨が降っていて、これだったらトーハクもすいているはず! と思って行ったのですが……ここ数年で最も混んでいましたね。顕著に増えていたのが外国人の観光客です。観光バスでやってくる人たちも多く、雨なんて関係ないのでしょう。さらに特別展も開催されているので、もちろん日本人も多く、本館は人が絶えることがなく、展示品の前で立ち止まるのもはばかられるような雰囲気でした。

そんな中、意外にもそれほど混んでいなかったのが、本館1階「近代美術の部屋 18室」です。もちろん本館と平成館を行き交う人などで、混んではいましたけどね。ただ、じっくりと作品を鑑賞する人の数は少なかったような印象でした。

個人的な注目作品は、前田青邨せいそんさんが描いた絵巻、《維盛これもり高野こうやの巻》です。先日《朝鮮之巻》が展示されていたばかりなので、続けての前田青邨せいそんさん。わたしは最近知ったばかりなのですが、「青邨せいそんさんって、もしかして人気者?」なんて、いまさら思ってたりしています。

前田青邨せいそん維盛これもり高野こうやの巻》大正7年(1918)
東京国立博物館の本館1階
近代美術の部屋「18室」
赤矢印の場所が絵巻コーナー
前田青邨せいそん維盛これもり高野こうやの巻》大正7年(1918)

《維盛高野の巻》は、平家物語巻第十「高野巻(こうやのまき)」を題材にした作品です。

維盛これもりとは、平清盛の長男・重盛の長男ですね(諸説あり)。本来であれば、平氏の御館おやかた様なのですが、父の平重盛が早世したこともあり、微妙な立ち位置となっています。さらに総大将を務めた富士川の戦いでは、水鳥の大群が一斉に飛び立ったことに慌てふためいて大敗走した……というのは、作り話かもしれませんが、それくらい混乱したというのは本当だったのでしょう。さらに倶利伽羅峠と篠原の戦いでは、源義仲にさんざんに負けてしまい、その後は平家一門が都落ちするという事態に……。

その後、平氏は現在の香川県高松市の「屋島」に結集していたのですが、平維盛これもりは、ここから離脱して(脱走して)、高野山へ行って出家してしまいました。

この屋島から高野山へ、さらに出家した後には熊野へ落ちていき、寿永三年(1184年)3月28日……つまりに、那智の海に身を投じた……というのが『平家物語』のストーリーです。

同作が描かれた大正7年(1918年)の10月9日に発行された『美術画報』には、作品名を《維盛高野の巻》ではなく《維盛最後之巻》と記されています。そう言われてみると、絵巻は高野山で剃髪した後の熊野や那智の滝(?)なども描かれているようなので、《維盛最後之巻》の方がしっくりする気がします。

ということで、以下は《維盛最後之巻》と記すことにします。

そして、この《維盛最後之巻》は、屋島/不動山/高野聖/奥の院/狩野/熊野川/瀧籠に分けて、描かれています。ただし今回は「奥の院」までしか観られないのが残念!

でもこのお話の季節は、春なんですよね。「高野聖」の場所を観ると分かりますが、きれいな桜が描かれています。そのため高頻度で、春になると展示されるようです。来年……とは言いませんが、近い将来に「狩野」以降を観られるチャンスも訪れるでしょう。

ということで、以降は作品写真を貼り付けるのみにします。前田青邨の筆致や絵の具の使い方などを堪能してください。

前田青邨《維盛最後之巻》大正7年(1918年)トーハク蔵
《維盛最後之巻》「屋島」
《維盛最後之巻》「屋島」
《維盛最後之巻》「屋島」
《維盛最後之巻》「屋島」
《維盛最後之巻》「屋島」
《維盛最後之巻》「屋島」
《維盛最後之巻》「屋島」
《維盛最後之巻》「不動山」
《維盛最後之巻》「不動山」
《維盛最後之巻》「不動山」
《維盛最後之巻》「不動山」

暗雲が立ち込めていた「屋島」からいっぺんして、春の息吹を感じる明るい「不動山」。そんな晴れた日に、山あいを高野山へ向かって歩いていく(おそらく)平維盛一向が描かれています。

《維盛最後之巻》「不動山」
《維盛最後之巻》「不動山」
《維盛最後之巻》「不動山」
《維盛最後之巻》「高野聖」

平氏の一門という呪縛から逃れようと、一心に歩いてきた維盛は、ここで剃髪して聖(ひじり)……身分から解放された身……になったのでしょうか。

散り始めた桜が、維盛をいたわっているのか……もしくは祝福しているかのようです。

《維盛最後之巻》「高野聖」
《維盛最後之巻》「高野聖」
《維盛最後之巻》「高野聖」

描かれているのは、久しぶりに再会した平維盛と滝口入道でしょうか。かつての滝口入道…斎藤時頼…は、維盛の父の平重盛に仕えていました。その時に「横笛」という女性に惹かれますが、身分違いを理由に失恋してしまいました。悲しんだ斎藤時頼は出家。さらに、未練を断ち切るために高野山に住まい、高野聖となります。

屋島(平家一門)から離脱した平維盛は、旧臣とも言える滝口入道を頼って、高野山に入ったのです。

《維盛最後之巻》「高野聖」
《維盛最後之巻》「高野聖」
《維盛最後之巻》「奥の院」
《維盛最後之巻》「奥の院」

真言宗の聖地ともいえるのが、空海が住まう、高野山の「奥の院」です。出家した平維盛は、どんな気持ちで奥の院へ向かったんでしょうか。

《維盛最後之巻》「奥の院」

以上が《維盛最後之巻》……トーハク言うところの《維盛高野の巻》の前半部となります。絵巻はこのあと狩野/熊野川とクライマックスの瀧籠へと続きます。

<関連note>

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